琥珀色の戯言

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武士の家計簿 ☆☆☆☆☆

武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)

武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)

東京・九段の靖国神社に立つ「大村益次郎」像の建立に力があったのは、加賀前田家の「猪山成之(しげゆき)」という一介のソロバン侍だった。幕末の天才軍略家と一藩の会計係の間に、どのような接点があったのか。「百姓」から軍略の才一つで新政府の兵部大輔に上りつめた大村と、ソロバン一つで下級武士から150石取りの上士にまで出世した成之の出会いは、いかにも明治維新を象徴する出来事だが、著者は偶然発見した「金沢藩猪山家文書」から、その背景をみごとに読み解いている。
猪山家は代々、金沢藩の経理業務にたずさわる「御算用家」だった。能力がなくても先祖の威光で身分と報禄を保証される直参の上士と違い、「およそ武士からぬ技術」のソロバンで奉公する猪山家は陪臣身分で報禄も低かった。5代目市進が前田家の御算用者に採用されて直参となるが、それでも報禄は「切米40俵」に過ぎなかった。しかし、120万石の大藩ともなると、武士のドンブリ勘定で経営できるものではない。猪山家が歴代かけて磨きあげた「筆算」技術は藩経営の中核に地歩を占めていく。

本書のタイトル「武士の家計簿」とは、6代綏之(やすゆき)から9代成之(しげゆき)までの4代にわたる出納帳のことである。日常の収支から冠婚葬祭の費用までを詳細に記録したものだが、ただの家計の書ではない。猪山家がそれと知らずに残したこの記録は、農工商の上に立つ武士の貧困と、能力が身分を凌駕していった幕末の実相を鮮明に見せてくれる。220ページ足らずとはいえ、壮大な歴史書である。(伊藤延司) <Amazonの内容紹介より>

 この本、「papyrusパピルス)2007.6,Vol.12」(幻冬舎)の特集「漫画家・山下和美〜人間の不思議と世界の普遍を探して〜」のなかで、山下和美さんに友人の書店員さんが薦めた本、として紹介されていたのです。それを見て、「けっこう面白そうだなあ」ということで僕も読んでみたのですけど、予想以上に興味深い内容でした。「武士は食わねど高楊枝」なんていう言葉を知っていたり、「幕末には困窮して刀を売る武士も多かった」なんていう歴史的な知識は持っていても、実際に彼らがどのくらいの収入を得て、それを何に使っていたのか、そして、その「窮乏」の原因は何なのか?ということを知っている人はほとんどいないのではないでしょうか? この本には、「なぜ武士はお金に困るようになったのか?」ということが、加賀藩の「御算用家」(藩の経理を担当する家柄)である猪山家の「家計簿」を分析しながら語られています。この本を読んでいると、経済観念があり、「歴史を動かせるほど器が大きい人」ではないけれど、清廉で自分の仕事はきちんとこなす当主が続いていた猪山家でさえこんなに厳しい「家計」だったのだから、他の「普通の武士」の家計はまさに「火の車」だったのだろうなあ、という気がします。武士というのは、そんなに贅沢をしなくても、「武士として(恥ずかしくないように)生きていくために」かなりのコストがかかっていたみたいです。
 ところで、この本のタイトルは『武士の家計簿』なのですが、この本の面白さというのは、そういう学術的な興味だけではないんですよね。家計簿とともに語られる「猪山家の歴史」も、かなり読みごたえがあるのです。
 志を高く持って大言壮語し、天下国家を語るような武士たちが主役であったはずの幕末に、大きな夢を語ることもなく、「経理という自分に与えられた仕事をただひたすらにやり続けて生き、そしてその『自分の仕事』で歴史を少しだけ動かした人」もいたのだということに、学術的な面を離れても、僕はなんだかとても感動してしまいました。

 慶応三年の秋から冬にかけて、成之の炊き出しの労苦は、すさまじいものであった。
「四月命を受けて京都に赴き、加賀藩禁裏守諸守衛隊の兵站事務を担当す。時に都下騒憂、事務煩激を極めしも成之能く之に堪え、昼夜精励、功績頗る(すこぶる)著はる】というように、ほとんど寝る間もなく兵站事務をさばいている。時代状況が人物を作り上げるというが、まさにそうであった。このときの加賀藩兵の窮状は、成之のなかにあった「兵站の天才」をとりだし、開花させてしまったのである。

 新政府は「元革命家」の寄り合い所帯であり、当然、実務官僚がいない。例えば、1万人の軍隊を30日間行軍させると、ワラジはいくら磨り減って何足必要になり、いくら費用がかかるのか、といった計算のできる人材がいないのである。
 このような仕事には成之のような「加賀の御算用者」がうってつけであった。加賀百万石の御算用者は「日本最大の大名行列」の兵站業務を何百年も担ってきたのである。事実、成之は大村(益次郎)をよく支えた。

 平和な時代であれば、部屋で算盤をはじいて暮らしていればよかったはずの「御算用者」。彼らは「自分の仕事を確実にこなし、日々の糧を得ていく」ことだけを考えていたにもかかわらず、「回天の志」を持った志士たち以上に歴史を動かし、戦争をするための「必要不可欠な存在」になってしまったという歴史の皮肉。実は、世の中が不安的なときほど、「経済学」というのは必要とされてきたのです。この本を読んで、歴史の授業ではあまり大きく採り上げられることがない、あるいは、否定的に語られることばかりが多い「文官」の本当の価値を僕はあらためて思い知らされたような気がしました。

 やっぱりキャゼルヌとフィッシャー提督はヤン艦隊の「要」だったんだなあ、というようなことを考えてみたり。

 歴史好きの方は、ぜひ御一読くださいませ。


papyrus (パピルス) 2007年 06月号 [雑誌]

papyrus (パピルス) 2007年 06月号 [雑誌]

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