僕が『信頼の手』を離してしまったこと(6/9)
↑の「プライベートモード明け」のエントリ(および、それに至るまでのプライベートモードの間)には、それなりにたくさんの皆様から励ましのコメントやトラックバック、はてなブックマークをいただきました。本当にありがとうございます。
僕は常に「やめたい衝動」に駆られているブロガーなのですけど、こんなふうに「待ってたよ」と仰っていただけたのは、本当に嬉しかったです。細々とでも、続けていてよかったな、と思っています。
というわけで、まずは当該エントリのコメント欄から
Noko
『おかえりなさい。また更新されていて、うれしいです。』
piedpiper
『welcome back!
Publicモード復帰、ぼくもうれしいです。』
はるえる
『あー、良かった、またfujiponさんの文章が読めるんですね。うれしい、その一言に尽きます。』
R
『プライベートモード表示に驚き悲しんでいた読者の一人です。
またfujipon様の文章が読めてとても嬉しいです!』
ぎょぴ
『はじめまして。
あぁ、もう読むことができないのか、と諦めていたためすごく嬉しいです。
プライベートモード表示を見て、「レインツリーの国」という本を思い出していました。
ネットって、辞めようと思ったら本当につながりがなくなってしまうものなのですね。
だめもとでもう一度きてよかったです。』
id:Nokoさん、id:piedpiperさん、本当にいつもありがとうございます。持つべきものはサイト友達、というか、お二人に読んでいただいているというだけでも、このブログにはそれなりの存在価値があるような気がします。
はるえるさん、呼んでいただいて、ありがとうございました。Rさん、不快な気分にさせてすみませんでした。でも、喜んでいただけるなんて、僕のほうこそ感謝です。ぎょぴさん、やっぱり2週間くらい「プライベート」にしちゃうと、「もう読めない」と思われてしまうものなんですね。でも、僕ももう一度お会いできてよかったです。
次にはてなブックマークから
2007年06月11日 suzaku-s
2007年06月10日 lovecall サイト運営 おかえりなさい!
2007年06月09日 whiteball22 サイト, コミュニケーション
2007年06月09日 kanimaster サイト運営
2007年06月09日 shimamenou コメント お帰りなさい。御待ちしておりました。
2007年06月09日 hatayasan blog, writing, web, communication 「書かなくなっても「読む」ことは変わりないはずなのに、自分がそこから何か引き出そうという「野心」みたいなものがないと、読者として素直に楽しめる一方で、「引っかかり」みたいなものは感じなくなってしまう」
id:hatayasanさん、ブックマークのコメント、いつも読ませていただいてますよ!(私信)、id:shimamenouさん、御待たせしました。って「御」を漢字化すると、なぜだか御大筒井康隆先生を思い出します。あんまり関係ない話ですみません。id:lovecallさん、ただいま!
最後に言及していただいた、サイト、ブログなど。
僕もエイプリルフールに似たようなことして表示されないようにしましたけど、若干同じような事を思ったことが。
やっぱり、読みに来てくれる人たちを失望させるようなことをやってはダメですね、本当に。
私も氏の記事で自分語りをさせてもらった事がある。そして、私の記事を取り上げて下さったブロガーも少ないという訳ではない。そういった繋がりが出来た記事を断絶してしまうわけにはいかないよな。たとえ、この命がこの瞬間に失われる事になったとしても、私の記事は死んだわけではない。取り上げて下さった方々が生きている限り、私の書いた物は生き続けるし、この私の場所でも生き続けるわけだ。
最後まで読んだら泣けてきてしょうがなかったです。id:xuraさん、とにかくありがとうございました。
それにしても、一時休養という事で、無事復活(それも予定より早く)された理由が、「過去ログ」という辺りは分かるような気が。読者と過去ログってのは、やはり気になるし。私は、自分が書いた文章を消すという事がほとんど無い。馬鹿な事を書いて恥を晒したりもしてるけど、それも残しておく。人の迷惑になる物は消すけどね。
僕は逆に、id:yas-toroさんが取り上げられている「1年前の記事」のなかにこのブログのものが含まれていて、「今はデッドリンクなのに……」と、ちょっと申し訳ない気持ちになっていました。間接的に、だから早く復帰しようと思った、のかもしれないです。
引っかかる敷居があがったことによって、何にでも首を突っ込まなくなっていい。
確かに「更新しすぎないようにする」っていうのは、意外と大事なのかもしれませんね。
ネットはバーチャルだが、意見はリアルだ。僕はそれでいいと思う。
それにしてもなぜ彼らは「ヒマな連中」「虫けら」等と“ネット大衆”を冷酷に断罪することができるのだろう。
かつてはこの池田先生のような一部の特権階級に握られていた言論の自由が、ネットの普及によって大衆のものになった。いかにも、「毎日長文を書いている」なんていうのは、特権階級だったし、今もそうなのだ。
立場とか状況っていうのは人を変えてしまうものだなあ、と痛感しておりました。僕の場合は「みんなネットで長文書けるなんてヒマでいいねえ」(本当は僕ももっとネットやりたい……)というのが本音だったりするんですけどね。ただ、「高等遊民の言葉」っていうのは、やっぱり「伝わりにくい」のではないかという気もします。
というわけで、なんだか書いているうちにグダグダになってしまって、名前を挙げさせていただいた皆様には御迷惑だったと思いますが、たまには「ブログって、長くやっていれば、自分でも気づかないうちに、こんなに「人との繋がり」ができるものなのだよ、と誰かに、そして自分に伝えておきたかったので、このエントリを書いてみました。
うまく言えないけれど、僕は・君たちが・好きだ。