琥珀色の戯言

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株式会社日広エージェンシー企画課長 中島裕之 ☆☆☆☆☆

株式会社日広エージェンシー企画課長 中島裕之

株式会社日広エージェンシー企画課長 中島裕之

電通がなんだ!博報堂がなんだ!一対一なら負けないぞ!”の最強広告代理店・日広エージェンシー宮前賢一社長が語る広告マン・中島らも『中島も売れっこになって、八十七年の六月に飲みながら「お前は”日広エージェンシーの中島”でおるのはもったいない。ファンもいっぱいついてるんやから独立せい」いうたんやな。そしたら、中島が涙ポロポロ流して「ありがとうございます」いうて深々と頭下げよった。ええ男や!思ったなぁ。』(本文より)

 たぶん、この本の評価は、真っ二つに分かれるのではないかと思います。中島らもに興味がない人にとっては、「こんなに薄い、わけわかんない時代遅れの企画書がたくさん載せられているだけの本なのに、けっこう高いなあ」というくらいのものでしょう。でも、中島らもファンにとっては、まさに「らもさんの遺産」なんですよね。ここに載せられている、らもさんの「日広エージェンシー」での広告マン時代の企画書を見ていると、「あの『中島らも』も、普通のサラリーマンだった時代があったのだなあ」と感慨深いものがあるのです。企画の内容そのものには「さすがらもさん!」と言いたくなるような素晴らしいものも多いのですが、その一方で、「けっこう普通の代理店の『企画書』っぽいなあ」と感じてしまうようなものもけっこうあるんですよね。当たり前のことですが、らもさんだって「10割バッター」ではなかったのです。そして、大企業のお金をかけた「イメージ重視の広告」の企画書よりも、関西の地元企業の「予算は少ないけど、けっこう好き勝手にやらせてもらえる広告」のほうが生き生きと書かれていて面白いものが多かったのは「いかにも中島らも!」という感じです。
 この本、最初に目にしたときは、正直「らもさんの死に対する『便乗商法』なのではないか?」とあまり好感をもてなかったのですけど、らもさんの娘である中島早苗さんは、この本の巻末で、日広エージェンシーの宮前賢一社長に対して、こんなふうに書かれています。

 冒頭の話ではないが宮前社長に「あなたのおかげで学校に行かせていただきました」とふてぶてしいことを言うつもりはない。だが父を中島らもとして育てあげた主要人物で、親友であり、父の父であったことは間違いない。そして父が当時も二日酔いの酒臭い息を吐きながら「ここで背中から花火がシュッシュッと噴射しているパンク息子が実家に帰って来て、う〜ん…」とデスクで頭悩ませながら私ら家族を養っていたのも紛れも無い事実なのだ。その後本人のためを思い、毎晩飲み歩いた戦友を自ら手放すことになる宮前社長がどれだけ中島裕之を大切にしていたか、この広告集はその証のひとつでもある。だって普通全部とっとく? こんな膨大な資料。段ボール箱に「中島」と書いて20年も会社に保管されていたらしい。

 その宮前社長の「愛情」あるいは「愛着」のおかげで、僕たちはこの貴重な「中島らもになろうとしていた時代の中島裕之」の仕事を知ることができたのですよね。まさか、こんな形で世に出ることになるとは予想もしていなかっただろうけど。

 中島らもファンにとっては、この本って、大事な人の写真が残っているアルバムみたいなものなんですよね。僕はたぶん、何かに煮詰まったとき、この本を取り出してなにげなくページをめくり、「やっぱりすごいなあ」と純粋に感動したり、「らもさんだってクライアントにお世辞を言ったりしていたんだから」とか自分を慰めてみたりすると思います。

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