琥珀色の戯言

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「『物語』としての戦争」

わしズム 2007年 8/30号 [雑誌] ☆☆☆☆

わしズム 2007年 8/30号 [雑誌]

わしズム 2007年 8/30号 [雑誌]

「『物語』としての戦争」というサブタイトルがつけられているのですが、良くも悪くも「『戦争』というのは、人類にとって最上のドラマなのだ」ということを思い知らされる本ではありました。僕は「戦争なんて嫌い」なつもりだけれども、その一方で、子供のころから戦車や戦闘機のプラモデルを嬉々としてつくってきたし、『機動戦士ガンダム』や『宇宙戦艦ヤマト』も観てきました。『ヤマト』なんて、まさに「特攻隊の物語」ですよね、考えてみれば。
 あれは「物語」だからOKだけど、本物の戦争は嫌いです、というのが成り立つのかどうか?

 ところで、小林よしのりさんは、この雑誌の対談のなかで、著書『戦争論』について、こんなことを仰っています。

 雨宮処凛という人は、『戦争論』を読んで「日本人というだけで自分が肯定されたという感覚になった」という。『戦争論』を読んで右傾化した若者の中には、そういう人間が大勢いるというんだな。結局、そこには肥大化した「私」しかいない。オウム真理教に入った若者たちと同じで、肥大した「私」を説明したり評価したりしてくれるものを求めているだけなの。だから、わしはむしろ戦前の人間に比べて現代の日本人は恥ずかしいという感覚で描いたのに、彼らは日本人というだけで自分が誇らしいという気持ちになってしまった。

 「右傾化」というのは、イデオロギーの転換というよりは、「自分を肯定してくれる背景」を流行にあわせて取り替えているだけなんじゃないかな、と僕は感じています。「だから『ゆとり』は!」ってやたらと叫ぶ人とか「嫌韓」とかにも、そういう人が多そう。「ゆとり教育世代じゃないこと」なんて、タイミングだけの問題で、別に自慢するようなことじゃないはずなのに。

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