琥珀色の戯言

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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 ☆☆☆☆☆

公式サイト:ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

 正直、今回の「新劇場版」については、「ま、DVDで発売されたら、観てもいいかな」というくらいの気持ちだったんですよね。田舎ってえのは30代半ばの見た目からしてオタク度全開の男(僕のことです)がひとりで『ヱヴァンゲリヲン』を観るのにはあまりに世間の目が厳しいところだし。
 そもそも、パチンコの『エヴァ』の大ヒットがきっかけになっての『エヴァ』の再評価、という流れを考えると、今回の「新劇場版」が製作された「本当のきっかけ」というのは、『奇跡の価値は』でネタを出し尽くしてしまったパチンコメーカーの「事情」が大きいのではないかと想像していたのです。

 まあ、要するに今回の「新劇場版」というのは、「もう今までの『エヴァ』はネタにしつくしてしまったので、新しい『エヴァ』のストーリーや新キャラを売りにパチンコ台の第4弾を作ろう!」という「新台補完計画」ではないかと。
 だいたい、あの『まごころを、君に』で、庵野監督は、観客の『エヴァの世界に取り込まれた人たち』に向かって、わざわざアニメとしての世界観をぶち壊す実写映像を挿入して、「そろそろお前らも現実見ろよ!」と突き放してくれたわけで、それが10年経ったからって、「今の時代だからこそ、新しい『エヴァ』を!」とか言われても、「お前こそ『エヴァ』から抜け出せてないじゃねえか!」とか指さして糾弾やりたい衝動にもかられるのです。

 しかし、結局のところ、今回僕は「序」を観に行ってしまったんですけどね。正直負けた。
 だって、僕が巡回しているサイトは、軒並み『エヴァ』の話ばかりで、このままでは、きっとどこかで致命的な「ネタバレ」を読んでしまうに違いない状態でしたし、どうせいつか観るのなら、この「祭り」に参加したい、とも思ったんですよ。
 それに、公開直後だったらまだ客がいるだろうから、「オッサンひとりで他に誰もいない映画館で『エヴァ』鑑賞」という、知り合いには絶対に目撃されたくないシーンを現出させなくてすむだろう、という計算もあって。
 いやほんと、僕も『夜のピクニック』で一度経験したきりですが、「映画を映画館でひとりで観る」って、ほんとに辛いんですよ。ましてや『エヴァ』でなんて!

 というわけで、仕事にかなり強引に合間をつくって観てきたんですが、なんと僕がよく行く映画館では、栄光の「1番スクリーン」での上映! 18時からの回で、1本後の回はレイトショーで1000円なのに、その劇場で一番収容人数が多いスクリーンに半分くらいの客入り! しかも客層が若い!(20代中心で、男女比は6:4くらい) パンフレットは売り切れ! など、僕が恐れおののいていた「『エヴァ』を観に行ったら奇異な視線を浴びまくるのでは?」というような不安は、全くありませんでした。むしろ、あまりに普通の「人気映画の封切週」の扱いだったので驚いてしまいましたよ。こんなにメジャーでいいのか? なーんだ、全然恥ずかしくないじゃん。でも、僕と同じ「男ひとりエヴァ」の人を見つけると、ついつい横目で観察してしまうんですけどね。

 すみません、感想に入る前に、脱線しまくってしまいました。

 以下は感想です。ネタバレしないように気をつけて書きますが、人によっては映画を観る楽しみを奪ってしまう可能性もありますので御注意ください。


 結論から言います。

 悔しい、ほんとになんか負けたような気がするけど、面白い、すごく面白い。
 この「序」に関しては、ほとんどが「TV版で観たことがあるシーン」のはずなのに、すごく面白かったです。
 ある意味、ここまで説明不足な映画でいいの?とも感じたのですが、完全にこの映画は、「『エヴァ』を一度は観たことがある人向け」に作られているのだと思います。100分くらいの長さですから、まあ、アニメ映画としては標準的なサイズなのですが、庵野総監督のすごいところは、普通だったら、「これは『序』だし、少しは説明しておかなきゃな」と考えそうなところなのに、「説明的な場面を入れる時間があるのなら、第三新東京市が地下からせり上がってくるシーンや、砲台が回るところ、ラミエルの圧倒的な攻撃シーンを入れる」という選択をしたことだと僕は思います。

 ストーリーはみんな知ってるだろうし、とりあえず名場面、名台詞は入れとくから、あとは各自脳内で補完してくれ。せっかく映画でお金かけられるんだから、俺はカッコいい戦闘シーンを描く!! あとは、せっかくだから、テレビでは描けない綾波の「●●」も微妙にサービスしとくぜ!

 演出的には、そのほかにもいくつか気づいた点があって、テレビ版で「これは放送事故か?」とびっくりしてしまった「長い沈黙や静止のシーン」や「聞き取れないボソボソ喋り」も、この映画にはほとんどありませんでした。「時間が無かった」せいなのか、ああいうのは「新劇場版」には必要ないと判断されたのかは不明です。残そうとした「らしさ」と完全に切り捨てた「らしさ」が、けっこうクリアに分かれていたような印象を受けました。


 以下ネタバレなので隠します。


 この「序」に関して言えば、「新しい切り口」はあっても、新キャラも新しいストーリーも無いし、「原作のダイジェスト版」ではあるんですよね。純粋に映画になってすごくなったな、と思ったのは、メカや背景、使徒の映像的な進化と音の迫力だけ。
 でも、「以前観た話」にもかかわらず、やっぱりすごく面白い。
 ただ、この「面白さ」は、TV版を観ていたときの「興奮」とはちょっと違うのです。
 今回の「新劇場版」では、昔、これを観ていた時代のことをついつい思い出してしまったり(ああ、この「笑えば、良いと思うよ」に感動したなあ、とか)、TV版との「演出の違い」を見つけて喜んでしまったりするのです。だから、『エヴァ』そのものを楽しんでいるというより、「『エヴァ』にハマっていた時代にトリップするためのきっかけとして」あるいは、「庵野(総)監督は、いまの観客に『エヴァ』をどう見せようとしているのか?を楽しんだ」というのが正直なところかもしれません。
 少なくとも、僕の意識は、碇シンジとではなく、「碇シンジというキャラクターを描いている大人たち」とシンクロするようになってしまっている、ということを、あらためて気づかされてしまったのも事実です。

 それにしても、ラミエル強かったなあ、あれはもう圧倒的だとしか言いようがない。ただ、ラミエルをやっつけたシーンの直後に、多くの観客がミサトさんの「いやったあ!」という声を聞き、画面の「勝利」という表示を観たのではないかと僕は思うのです。そして、「あっ、『大当たり』じゃないんだ」と気づく。
 やっぱり、パチンコ台の大ヒットというのが、『エヴァ』に与えた影響は大きいです。あれは確かにもともと名シーンだけど、ラミエルがこんなに圧倒的に詳細に描かれたのは、パチンコ台での「ヤシマ作戦リーチ」の人気が高かったからなのではないかと勘繰ってしまうんですよね。

 ほんと、観るまでは「わざわざ同じもの作って商売しやがって!」「パチンコメーカー主導映画!」とか文句を言う気満々だったのですけど、とりあえず「序」は観てよかったです。最後のカヲルが出てきてエンディングの宇多田ヒカルの歌につながる流れも「完璧」!
 庵野さん、この映画を観たら才能枯れたわけじゃなさそうなのに、なんでこんなに長い間「沈黙」してたんですか!と言いたくなるくらい。

 予告編を観ると、次の「破」では、新キャラも出てくるみたいだし、とりあえず、この4部作を観るまでは生きていたいものだな、というのが今の僕の気持ちです。でも、今度の最後も「やっぱりお前ら現実見ろよ!」みたいな感じだったらキレるな絶対……

 この映画ではじめて『エヴァ』を観た人がいるとすれば、その人にとっては、「なんだか全然わけわからない映画」なのではないかと思われますが、実際はどうなのでしょうか? そういう人がいたら、ぜひ感想を聞いてみたいなあ。

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