琥珀色の戯言

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泣かない女はいない ☆☆☆☆

泣かない女はいない (河出文庫)

泣かない女はいない (河出文庫)

出版社 / 著者からの内容紹介
ごめんねといってはいけないと思った。「ごめんね」でも、いってしまった。――恋をめぐる心のふしぎを描く、長嶋有自信作。角田光代堀込高樹キリンジ)両氏絶賛!「センスなし」併録。

 あんまり好みじゃなかったはずなのに、文庫化されて書店に並んでいると、ついつい手にとってしまう作家っていますよね。いやーそんなに好きじゃないんだけど、他に目についた本もなかったからさー、なんて言いつつも、やっぱり「読まずにはいられなくなっている」人。
 僕にとっての長嶋有さんは、そういう作家のひとりなのです。ちなみに、僕にとってのそういう作家として、もうひとり思い浮かんだのが大崎善生さん。長嶋さんは「何もドラマチックなことが起こらないところ」、大崎さんは「主人公の男がやたらと自意識過剰でモテるところ」が僕は嫌いなはずなんですけどね。

 でも、この『泣かない女はいない』の表題作を読んで、僕は「ああ、長嶋有っていいなあ」と素直に感じました。いままで「技術的な素晴らしさ」とか「自分と同世代なので、作品中に取り上げられている時代への共感」みたいなものはずっとありつつも「心に響かない」印象があったのですけど、この表題作は、ものすごくスッと入ってきて、僕のなかで長嶋さんの最高傑作になりました。
「じゃあ、どこがいいの?」って言われるとうまく説明しにくいのですが、あえて言葉にしてみると、人間の感情というものの「どうしようもなさ」みたいなものがひたすら淡々と描かれているところ、でしょうか。
 大きな病気とか事故とか事件みたいなものがなくても、傍からみると、それがどんなに理不尽なものであっても、人は「心変わり」していくものなのだ、という一種の「諦念」がこの作品からは伝わってくるんですよね。そして、長嶋さんは、「そういうもの」に対して何の主観的な評価もせず、ただ、「そういうものなのだ」という描き方をしています。
 (小説的に)都合よく人が死んだり、大きな災厄に見舞われたりしなくても、普通の人間の普通の人生においても、そういう「ちょっと特別なシーン」というのは存在しているのですが、それを小説として言葉にできる人は、ごくわずかなのではないかなあ。
 最初に、僕が長嶋さんの作品を苦手としている理由として、「ドラマチックなことが起こらないところ」を挙げましたが、これを読んで、長嶋さんは「ドラマチックなイベントで『泣かせること』に逃げない作家」なのだな、と思うようになりました。少し慣れないと、この「すごさ」はわかりにくいのかもしれませんし、僕が「無理矢理泣かせようとしている小説」に食傷気味だったからこそ、長嶋さんの作品の良さがわかってきたのかもしれませんけど。
 あと、『センスなし』を読みながら、「デーモン小暮」というのは、30代くらいの読者にとっては、商品になる小説のモチーフとして「使える」のかな?と考えてしまいました。こんなにストライクゾーンを狭く設定していて、大丈夫なのだろうか、と。
 いや、僕は閣下のオールナイトニッポンのヘビーリスナーだったので、大変面白く読めたのですが。
 

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