琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

ダイアリーを書けない人のために


ダイアリーを毎日書けるようになるにはどうしたらいいんだろう? (by タチバナ式モエモエ日記)

有馬記念のエントリが一番上にあるのは自分でも憂鬱極まりないので早々に更新。
id:yas-toroさんのところで紹介されていたこのエントリなのですが、この方のように「ネタはあるけど……」という場合には、「思い立ったときにすぐ書いてしまう」のが一番なのではないかと。

それで、このエントリからはちょっと話は外れてしまうのですが「ネタがないので書けない」人はどうすればいいのか?ということについて書いてみます。
僕は基本的に、「書くこと」だけを求めるのであれば、「その日食べたもの」を記録していくのがいちばん良いのではないかと考えているんですよね。

それこそ「今日の晩御飯」のように、単なる記録で他人が読んでもちっとも面白くないければ役にも立たない内容でも、書くことによってそこに何がしかの意味が生まれるかもしれないし何も無いかもしれないけれど、書く事そのものにはきっと意味があるのかな、と。

実は、「今日の晩御飯」だけを日々記録していくのって、ものすごく意味のあることなんですよ。いや、あの「レコーディング・ダイエット」とかの目的じゃなくても、「食事の内容」って、かなり日々の生活とか感情とリンクしているものなので。
例えば、外食をしたりとか、ケーキを食べたりしていたら、そこになんらかの「出来事」が起こっている可能性が高いですし、食べたものを読み返すだけでも「そういえば、あの日は○○さんの誕生日だったっけ……」というようなことを思い出せるんですよね。簡単な食事が続いているのを読み返すと、そのときの忙しさや精神的に煮詰まっていたことがわかりますし。
僕は基本的に「日常やっていることを記録する」というだけでもブログというのは大きな意味があるのではないかと考えています。
「今日観たTV番組」「今日の食事」「今日買ったもの」を記録するだけで、何の感想もなくても、けっこういろんなものを残せるのではないかと。
「書けない人」は、まずそこからはじめてみればいいと思うんですよ。

参考リンク:ある作家が、「妻に日記を書くように勧めたときの言葉」(by 活字中毒R。)

 百合子の「絵葉書のように」(『私の文章修行』朝日新聞社)によると、日記を書くように勧めたとき、夫の泰淳はどんな風につけてもいいこと、何も書くことがなかったらその日に買ったものと天気だけでもいいこと、面白かったことやしたことがあったら書けばいい、と言ったという。また、百合子自身も、自分に似合わない言葉や、きらいな言葉は使うまい、と心に決めていた。

有名作家でも「書くことがなかったらその日に買ったものと天気だけでもいい」と言っておられます。



参考リンク:「書いている途中で行き詰まる人」への偉大な脚本家の言葉(by 活字中毒R。)

 師匠に何度も何度も同じシーンを書かされ、もう一字も書けなくなった時、こう言われたそうです。
「どうして書けないんだ。いや、大体、君はそこのシーンをうまく書こうと思うから、行き詰まってしまうんだ。うまく書こうと思うな。上手に書こうと思うな。もっと平凡な、単純な、幼稚でもいい、子供の作文のような形でもいいから、とにかくそのシーンを書いてごらん。それで形ができたら、それを直して、更に直して行けばいい」



「小説というのは、どうやって書いたらよいのでしょうか?」(by 活字中毒R。)

「小説というのは、どうやって書いたらよいのでしょうか?」
 と若き日の林芙美子は、”小説の鬼”と呼ばれた作家、宇野浩二に尋ねたという。林芙美子というのは、後に『放浪記』を書いて、広く愛される作家になった人である。宇野浩二と初めて会った時は、まだ女学生だったという。
「小説というのは、どうやって書いたらよいのでしょうか?」
 この素朴すぎて感動的ですらある質問を、よくぞ口にした。さすが林芙美子、と私は思うのである。
 対する宇野浩二の答えも、質問と同じくらい素朴なものだ。曰く、
「話すように書けばよろしい。これは武者小路実篤氏が祖です」

ブログを書くには、とにかく「考える前に書いてみろ、上手いとか下手とかいうのは関係ねぇ!」ということに尽きるのではないかな、と僕は思っています。書いたおかげで嫌な目に遭うこともありますが、それでもやっぱり、発信することには替え難い魅力があるのですよね。

アクセスカウンター