琥珀色の戯言

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『ヤッターマン』感想


『ヤッターマン』公式サイト


日記に感想を書いていたら、書ききれなくなってしまったのでこちらでも。

僕が昨日の「第1回」を観ていていちばん気になったのは、「スタッフは、今回の30年ぶりの『ヤッターマン』を、『復活』と考えているのか、『新生』と考えているのか?」という点でした。
冒頭でボヤッキーが、胸がはだけそうになったドロンジョの映像が手で隠されている場面に「前はもうちょっとお見せしてたんですけどね」みたいなことを言っていて、これはまぎれもなく「前作とのつながり」を示唆しているのだと感じたのです。ああ、ドロンボー一味は、30年前の記憶を持って登場してきたのだな、と。
しかしながら、その後の展開では、結局のところ、「ドクロベエさま」も「ヤッターマン」も「初対面」という設定のようでした。そして、そのわりには、えらくあっさりと「ドクロベエさま」の存在や敵としての「ヤッターマン」を受け入れてしまっているような印象があったんですよね。
いや、僕のような30年前の『ヤッターマン』をリアルタイムで観ていた人間にとっては、そこでわざわざ「ドクロベエって、何者?」とか「『ヤッターマン』って、どこのガキ?」みたいなリアクションをされるのも白々しく感じるだろうと思うのですけど、なんかこう、中途半端というか、「ドロンボーたちは、どのくらい『前世の記憶』を持っているのか?」という点が、ちょっとよくわかりませんでした。

おそらく、制作側としても、すごく迷いがあったとは思うのです。オールドファンの期待を裏切るような『ヤッターマン』では、30年ぶりの復活の意味がないだろうけど、30年前の子供たちやマニアだけがターゲットでは、月曜19時という時間帯での成功は難しいでしょう。やっぱり、関連の玩具とかを子供たちに買ってもらわないと、「商売」として成り立たないだろうし。
そういう逡巡が、昨日の第1話での「オールドファンに呼びかけながら、ドクロベエさまやヤッターマンの記憶を持たないドロンボー」、という設定になったのだと思うのですが、あれって、『ヤッターマン』を今回はじめてみる今の子供たちにとっては、どうだったんだろうなあ、と考えずにはいられませんでした。オールドファンには説明過剰だけれども、今回新しく入ろうという子供たちにとっては、説明不足で「お約束が多すぎて、疎外されている」ような印象を与えてしまったのではないかと。
ドロンボーモータース」のようなヌルい悪事を、僕などは「そうそう、ドロンボーはこういう『その才能があるなら、それを普通に使えよ!』って言いたくなるようなことばっかりやってるんだよねえ」とニヤニヤしながら観られるのですけど、今の子供たち、それこそ『DEATH NOTE』を読んでしまうような小学生たちに、この世界観が受け入れられるのか?とも思うんですよね。だからといって、ドロンボーが細菌兵器を使ったりしては、『ヤッターマン』じゃないわけで。
うーん、でもあのゾロメカの「スパナ」は、あまりにベタすぎのような気もするなあ。「お約束」が多いアニメだし、初回はその「お約束」の説明に時間をとられるのはしょうがないのだろうけど、どこか1ヵ所くらいは、意表をつくような場面があってもよかったのでは……
あと、ガンちゃんのキャラ設定には、「やっぱり今の時代には、『ヒーローらしいヒーロー』って受け入れられないと制作側も感じているのかな……」と思わずにはいられませんでした。

正直、第1話の路線というのは、「オールドファン」にも「今の子供たち」にもバランス良くサービスしようとして、ちょっと中途半端になってしまっている気がするんですよね。あのオープニングテーマは、まさにその象徴。「そうせざるをえない」のはわかるんだけど……

まあ、とりあえず「三悪」が元気にオリジナルの声優さんたちで勢揃いしてくれているだけで、僕はけっこう幸せなんですけどね。30年も経てば、「こんなの『ヤッターマン』じゃない!」っていうよりは、「多少違和感があっても、新しい『ヤッターマン』が観られる!」って悦びのほうが大きいです。
新しい『ヤッターマン』がなんとか「及第点」の結果を残し、長く続いてくれることを願ってやみません。

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