琥珀色の戯言

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フリーランスのジタバタな舞台裏 ☆☆☆


フリーランスのジタバタな舞台裏 (幻冬舎文庫)

フリーランスのジタバタな舞台裏 (幻冬舎文庫)

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

サラリーマン生活にオサラバしたら、金なし・信用なし・未来なしの冷や汗生活が始まった。こんな仕事はやりたくない。でも金のためにはやらなきゃいけない?悶々と悩む間にみるみる底をつく預金残高。視線をあげればかわいい我が子。誰もが夢見るフリーランスの、これがリアルな舞台裏。

ああ、なんかこう「組織の都合」ってやつに振り回されて、やりたくもない仕事を押し付けられたり、馬が合わない人ともそれなりに折り合いをつけていかなければならないって、辛いよな。いっそのこと、フリーになって、自分のやりたいことをやってみたいなあ……
そんなふうに考えたことが一度も無い人のほうが、むしろ少数派なのではないでしょうか? 僕だって、「フリー」とはちょっと違いますが、自分のクリニックを開業してみたいな、というようなことを考えることもあるのです。まあ、それはもともと「開業志向」ではなかった僕にとっては、「今までの僕の実績と実力では、大学で教授になったり、大きな病院で管理職になったりするのは難しいだろうな」という「諦め」の裏返しでもあるんですけど。

元本を出して、様々な感想といただく中で、特に意外だった声が「思ったほど順風満帆ではなかったのねこの人」というものだった。はたから見ている分には、さっと脱サラして、さっとプチヒットを出して、ささっと安定基調に入った人……と見られていたらしい。おもしろいなぁと思う。実際の自分といえば、「なんでまた、こんなご時世にこんな業界に飛び込んできたの?」とあきれられるのが日常のことで、仕事上同席した人に挨拶したって「あ、そう。で、アンタだれ?」なんて具合に冷たく一瞥されるのが関の山。ほんと、一個人として価値を認めてもらうことの難しさと、ずっと向き合わざるを得ない立場で四苦八苦していたからだ。

著者のきたみりゅうじさん自身が「文庫版あとがき」でこのように書かれているのですが、僕もこの本を読んで、「順調にフリーになって成功したように見える人だと思っていたのに」と意外でした。まあ、その一方で、「それなりに辛い状況もあったみたいだけど、切実に食えない事態に陥ったことはないみたいだし、『エッセイにするほどの苦難』でもないような気もするなあ……」とも感じていたのですけど。

僕がこの本のなかでいちばん心に残ったエピソードは、きたみさんが大学時代の友人の披露宴の二次会に出席したときに、酔っていた新郎から「成功していること」「収入が多いこと」を妬まれ、執拗に絡まれた、という話でした。ビル・ゲイツみたいな『浮世離れした大成功、というレベルでもない、「ちょっとした成功」でも、こんなふうに人間関係に亀裂が入ったり、他人の見る目というのは変わったりするものなのだな、と怖くなりました。
しかしかなら、この「友人に絡まれたエピソード」をこうして文章にし、本にすることによって、おそらく今後、きたみさんとその友人が「和解」することはないでしょう。こうして、友人の狭量を「世間に公開してしまった」のだから。胸にしまっておけば、将来「あのときは俺も仕事がうまくいかなくて、イライラしててごめんな……」と謝られる機会があったのかもしれないのに。もちろん覚悟して書いたのでしょうけど、「身近な人の話をネタにする」ということは、書いた本人が思っている以上に、人間関係にとって「決定的なダメージを与えてしまう」ことも多いはず。そもそも、相手は「反論」できないのだし。「書く」っていうのは、本当に罪作りなことですね。

最後に、もうひとつ印象的だった「文庫版あとがき」の1節。

あいかわらず自分のフリーランス生活は強運に助けられながら今も続いています。ただ最近は運に対する考え方が少し変わってきていて、「土壇場で助けられることじゃなくて、実は初期の取り返しがつく段階で失敗して勉強させてくれることこそが一番の強運なんじゃないだろうか」と思うようになりました。まさに「失敗は成功の母」というか、自分流に言えば「失敗は棚卸しの好機」なのです。

これは本当にその通りだなあ、と思います。病院で仕事をしていると、病気を知りながら長い間放置していたにもかかわらず、もう手が付けられない状態になって「奇跡を起こしてくれ!どうして治せないんだ!」と嘆く人を目にする機会があまりに多いので。
その癌は、しこりに気づいた5年前に来ていれば、ほとんど傷も残らず、乳房も温存できたのに。
脚が真っ黒になって腐ってしまってから「インスリンなんて打ちたくない」なんて言うのなら、最初に健診で注意されたときに、食事に気をつけておけばよかったのに。
「奇跡を願い、奇跡をもてはやす」よりも、「奇跡を必要としないようなマネージメント、早め早めの軌道修正」のほうが、よっぽど安全かつ確実なんですよね。
でも、それができる人は、とても少ない。
僕もこれを書きながら猛省するばかりです。

きたみさんは基本的に、かなり努力も工夫もされていて、勤勉かつ用意周到な方みたいです。
まあ、だからこそ、「このエッセイはあんまり面白くない」とも言えるんですけどね……
やっぱり、観る側としては、「早目早目の軌道修正」よりは、「波乱万丈」とか、土壇場に追い込まれての「ドラマチックな奇跡」のほうがエキサイティングなものですから。

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