琥珀色の戯言

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『それでもボクはやってない』感想(再掲) ☆☆☆☆☆

公式サイト:http://www.soreboku.jp/index.html

Shall We ダンス?』の周防正行監督が、11年ぶりにメガホンを取った本格的な社会派ドラマ。電車で痴漢に間違えられた青年が、“裁判”で自分の無実を訴える姿を、日本の裁判制度の問題点を浮き彫りにしつつ描く。ハリウッド映画『硫黄島からの手紙』に出演し、世界的に注目を集めた加瀬亮が、本作で初主演を果たす。主人公を弁護する弁護士には、瀬戸朝香役所広司らがふんする。3年もの歳月をかけて“裁判”について取材した監督が、現代の日本における“裁判”の現実を突きつける。(シネマトゥデイ

 ああ、これは本当に凄い映画です。ぜひ一人でも多くの人に観ていただきたい。2時間半近い長尺なのですが、かなり寝不足の状態で観にいったにもかかわらず、最後まで全然目が離せませんでした。過剰な演出が無いかわりに、ムダなシーンも全然ありません。凄い緊張感、そして、観終わったあとのとてつもない脱力。
 僕はこの映画を観終えて、あまりにもいいかげんな「取調べ」や「裁判」に憤りながらも、冒頭の「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜(むこ)を罰するなかれ」という言葉について、ずっと考えています。いや、確かに「10人対1人」ではそうなのかもしれないけれど、じゃあ、1人の無辜を罰しないために100人の真犯人を逃すことを社会は許容できるの?1000人の真犯人を逃すことも、受け入れられるだろうか?と。
 本当はいろいろ書きたいのですけど、ネタバレでしか書けそうにないので、以下はネタバレコーナーです。でも、個人的にはとにかくこの映画をひとりでも多くの人に観ていただきたい。話はそれからだ、という感じです。

 ただ、この「それでもボクはやってない」というのも、あくまでも「裁判のひとつの見かた」にすぎません。ぜひ、↓の北尾トロさんの著書も読んでみてください。「裁く側の人々」にも、同情すべき点はたくさんあるのです。

裁判長!ここは懲役4年でどうすか (文春文庫)

裁判長!ここは懲役4年でどうすか (文春文庫)

というわけで、以下ネタバレです。読むと映画が面白くなくなるので、ぜひ作品を先に観てください。観て損はさせません。よろしくお願いします。

 上映終了後、僕の近くで観ていた女性2人組が、「なんか最後がすごく気分悪いよねえ」って言いながら出ていきました。いや、つまらないというのじゃなくて、この映画を被告人・金子徹平側から観ていた観客にとっては、それが普通の感想だと思います。逆に言えば、途中被告がどんな酷い目に遭っていても、最後の判決が「無罪」であれば、観客はそれなりにカタルシスを感じて、「やっぱり最後には正義が勝つ!」とか言いながら、意気揚々と家路に着けたと思うのですよ。興行的にも、そのほうがプラスだったかもしれません。でも、周防正行監督は、あえてそうしなかった。この映画って、シンプルに「痴漢冤罪と闘う男の話」として観ることもできるのですが、僕はところどころで、その「裏」を考えてしまったのです。痴漢事件に飽き飽きしている刑事、罪を認めて罰金払ったほうがラクだと勧める弁護士、痴漢の被害に何度も遭ったため、頑なになっている女の子、200件もの事件を一度に抱えている裁判官……彼らは、けっして「明確な悪意」を抱えているわけではない「普通の人々」です。
 僕は小日向文世が出した判決とその理由のあまりのこじつけに憤りながらも、その一方で、「もしこの状況で、僕が純粋な『第三者』であれば、この裁判官の言っていることは「それなりに」筋が通っていると納得してしまったのではないか?」と感じました。いや確かに、そういうふうに「解釈」できなくはない。僕たちはこの事件が「冤罪」だということを知っていますが(と言いたいところですが、周防監督は『犯行シーン』を描いてはいないので、被告人が本当にやっていないかどうかはわかりません。もちろん周防監督も、それを承知の上でぼかしているのでしょう)、劇中でも語られるように「無罪判決を出したって、喜ぶのは被告とその周りの人々」だけなんですよね。そして、↑で紹介した北尾トロさんの本にもあるように、多くの犯罪者は狡猾(かつ稚拙)であり、「騙されてはいけない」という意識が常に裁判官にもあるはずです。
 それにしても、この「裁判制度」の問題って、医療の問題とも相通じるものがありそうです。もちろん裁判官というのは司法の番人であり、「誤審」があってはならないのだろうけど、誤審をゼロに近づけるためにすべての事件を徹底的に分析するほどの時間は、彼らには与えられていないんですよね。ごく稀な疾患を否定する目的で、すべての患者さんにMRIで検査をするわけにはいかないのと同じことだよなあ、と。もしその検査をしていない患者さんに病変が見つかった場合には、「どうして必要な検査をしなかったんだ!」と叩かれますが、日常業務では特殊なケースを基準にしていたらにっちもさっちもいかなくなってしまうのです。この映画を観た人のなかには「検察官や裁判官のいいかげんさ」に憤る人も多いと思うのですが、彼らはあの事件だけを扱っているわけではないのです。被告にとっては人生を左右する一大事でも、裁判を運営する側にとっては、単なるありふれた裁判のひとつです。

 極端な話、冤罪をゼロにするには、「被告を全員無罪にする」しかないのではないかと思うのです。日本の裁判制度の矛盾(そもそも、無実を訴えている人のほうが、罪を認めた人よりもはるかに酷い扱いを受けているのはあんまりですよね) はわかるのだけれども、そもそも「人が人を裁く」ということそのものが矛盾しているのだ、と周防監督は言っているような気がします。それでも、今のところ裁判制度に人間は頼らざるをえないし、結局のところ、金子徹平にできることは、裁判で訴え続けることしかないのです。裁判で闘うことの虚しさを実感しても、それ以外に方法がないのって、本当にせつない。まさか裁判所に「殴りこみ」に行くわけにはいかないし。「裁判」に絶望していても、「控訴します」としか言えない現実。
 しかし、あんなに熱心にやってくれる友人や弁護士、証言してくれる目撃者までいたにもかかわらず無罪にならないということは、無罪への道というのは、本当に果てしなく遠いのだろうなあ。あの女の子がいわゆる「不良」だったら、あるいは被告が有名企業の正社員だったら、裁判官の心証は変わって、無罪だったのかもしれない、という気もするのですが。でも、それで裁判の結果が変わってしまうのであれば、それはそれで大きな問題ですよね……他の人が痴漢をしていた、あるいは被告は痴漢をしていないという明確な証言を同乗していた複数の第三者が証言してくれれば話は別なのでしょうが。
 
 それにしても、オウム事件や池田小事件、光市の母子殺害事件などの報道を耳にするたびに、「生ぬるいなあ、いったい何年裁判やってるんだ……」と憤っていたのですけど、もっと身近なところにある「ありふれた事件」では、こういう現実があるというのには、正直驚きました。普通の男性にとっては、殺人事件で何年も裁判を受けるよりは、痴漢冤罪事件に巻き込まれる危険性のほうが、はるかにリアルな恐怖なのです。そして、この「現実」も、訴えた女子中学生側の視点からみれば、全く違ったものになるはず。
 主演の加瀬亮さんは、「この映画の撮影が始まってから、電車に乗るのが本当に恐くなってしまって……」と語っていました。僕は幸いなことに満員電車に乗る機会は滅多にないのですが、東京に行く機会があっても、なるべく電車には乗らないようにしようと心に決めました。
 そうそう、僕は被告に感情移入しながらも、こんなことも考えていました。結局彼は、とくに証拠も無く「隣の太った男」が真犯人ではないかと主張していたんですよね。「太った」とか「オタクっぽい」とかいうのは、それだけで人々の印象を「有罪」に近付けてしまうし、金子徹平のことを証言してくれた女性がいたのも、彼がけっして「感じの悪い人ではなかった」という面が大きかったのではないでしょうか。

 「人は見た目が大事」。悲しいけどこれ、裁判なのよね…………

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