琥珀色の戯言

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死刑執行人サンソン ☆☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
敬虔なカトリック教徒であり、国王を崇敬し、王妃を敬愛していたシャルル‐アンリ・サンソン。彼は、代々にわたってパリの死刑執行人を務めたサンソン家四代目の当主であった。そして、サンソンが歴史に名を残すことになったのは、他ならぬその国王と王妃を処刑したことによってだった。本書は、差別と闘いながらも、処刑において人道的配慮を心がけ、死刑の是非を自問しつつ、フランス革命という世界史的激動の時代を生きた男の数奇な生涯を描くものであり、当時の処刑の実際からギロチンの発明まで、驚くべきエピソードの連続は、まさにフランス革命の裏面史といえる。

「この男こそ 人類の究極の実話だ」――荒木飛呂彦

 荒木先生の『SBR(スティール・ボール・ラン)』のジャイロ・ツェペリのモデルが、この本の主人公である、「ムッシュー・ド・パリ」(パリの死刑執行人)シャルル‐アンリ・サンソン(1739-1806)なのだそうです。

 国王の子は国王になる。それと同じように、処刑人の子は処刑人になる。どちらの場合も厳格な世襲制が踏襲される。違いは、国王は社会の最頂点で光り輝くのに対し、処刑人は社会の最底辺の闇の中に追いやられる、という点だけである。
 サンソン一族の中には、処刑人の頸木(くびき)から逃れ、ほかの職業につこうとした者もいる。この者は、だれも自分たちのことを知らない土地で錠前屋をはじめたのであったが、ふとしたことで身元がばれてしまうと客がまったく寄りつかなくなり、店をたたまざるを得なかった。こうした事情のため、処刑人の一族は事実上、ほかの職業につくことができないのだが、処刑人自身が息子たちがほかの職業につくことを嫌っていた。もし、万が一、息子がほかの職業につくようなことになれば、息子はかならず処刑人である父親を恥じるようになる、と思うからである。
 こうして、長男は父親の跡を継ぎ、次男三男は別の都市の死刑執行人になることを目指す。フランス各地にサンソン家のような世襲の処刑人一家がおり、仲間内のネットワークもできていた。結婚もほとんどの場合、このネットワーク内で行われた。

 このように「処刑人」という存在が、「世襲制」で「社会から忌み嫌われていた」という話に関しては、「まあ、そんなもんだろうなあ」という印象だったのですが、この本を読みすすめていくと、「どうせ処刑することが快感になってしまっているサディストか、ただ唯々諾々と命令をこなすだけのような人に決まっている」という僕の先入観は見事に打ち砕かれました。

 また、サンソン家では代々医業を副職にしてきた。つまり、人を死に至らしめることを職業としている人間が、もう一方では、人の命を長らえさせることもしていたのであった。これは一見奇妙に見えるかもしれないが、いろいろな刑を執行していた死刑執行人は、どこをどう叩けばどうなるか、どこがいちばんの急所かといったことを体得し、人体の生理機能に詳しくなるのである。死体の引き取り手がない場合、埋葬までの間、死体の管理は死刑執行人ぬゆだねられたが、それらの死体を解剖することによって、人体の構造を知悉するようにもなる。解剖室もちゃんとあった。歴代当主たちが解剖によって得た知識は、文章にしたためられて子孫に伝えられた。
 サンソン家は家伝の軟膏、飲み薬といった薬品の販売も行っていた。医学・解剖学のほかに、植物学の研究も代々行われてきたのであった。このサンソン家家伝の薬類には、呪術的効果も期待されていただろう。死刑執行人も死刑そのものも一般の人々にとって恐ろしいものだが、恐ろしいものが呪術的力を持つことがある。たとえば、絞首刑に使われたロープは、普通は気味が悪くてさわりたくもないものだが、ご利益があると信じ、これを手に入れようとする人もけっこう多かった。

 「処刑人」というのは、当時のフランスにおける数少ない「科学者」であり、「知識人」でもあったのです。この本にも書かれているのですが、とくに「見せしめとしての公開処刑」が行われていた時代においては、「処刑人」というのは、見物の群集に恨まれ、傷つけられる危険もありましたし、ただ刑を執行するだけではなく、「処刑というイベントをプロデュースする」という能力も必要とされていたのです。
 要するに「見物人を満足させなければ『公開処刑』の意味がない」わけです。そもそも、人前で「処刑」するというのは、並大抵の覚悟や胆力では、なかなかできるものではないでしょう。相手がどんな極悪人であっても、処刑人にとっては、「直接の恨み」がある人物ではない場合がほとんどなわけですし。

 この本には、「処刑人であるがゆえに、当時としては最高レベルの教育を受け、誰よりも高いプライドと深いコンプレックスを抱えて革命の時代を生きなければならなかった男の物語」が描かれており、それは、「歴史好き」にとっては、とても魅力的なものだと思います。
 王家を尊敬していながら、ブルボン王朝最後の王を処刑しなければならなかった男、シャルル‐アンリ・サンソン。

 「だから死刑なんて残酷な刑罰は反対!」という著者の主張のために、シャルル‐アンリ・サンソンの生き様が、かなり一方的な解釈をされているように思えて残念な面はあるのですが(シャルル‐アンリ・サンソンは車裂きの刑のような「残酷な刑罰」を嫌っていたようですが、法を守るための自分の仕事に誇りも持っていたように僕には感じられますし)、「フランス革命の新たな一面」がわかる、とても興味深い作品です。

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