琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

『はてな』を窒息させる「理論派ブックマーカー」


はてブの人たちが偉そうにしている理由
↑のエントリへの反応を受けて。

肯定的なコメントが多いエントリの場合、自分はあえて批判的な意見を言おうと心がけてますね。
別にシニカルを気取るわけじゃなく、新しい視点を持つ事の訓練としてブクマを使ってる面もあるので。
本当はそうする事で議論が広がっていくと嬉しいんだけど、コメントから話題が広がる事って少ないんだよなぁ。

↑のエントリに対して、id:YOSIZOさんからこんなコメントをいただきました。
実際に↑のエントリに対するブックマークコメントにも、こういう感じの内容がけっこうあったんですよね。
(ですから、以下の内容は、この方だけを批難しているわけではありません。というか槍玉にあげてしまってすみません。個人的な怨恨はまったくないです。それこそ「新しい視点を持つことの訓練」として利用させていただいております)

id:YOSIZOさんが考えておられることはよくわかりますし、「新しい視点を持つための訓練としてブクマを使う」ことが悪いわけではありません。基本的には、こういうサービスって、「使い方は、使う人しだい」なのでしょうし。
ただ、僕はこれだけは言っておきたいのです。

ネット上にあるブログのエントリというのは、誰かの訓練に使われるために存在しているわけではない。

僕は基本的に、「批判できるものを集めて批判して優越感に浸っているだけ」のネガティブブックマーカーは大嫌いですが、「好きなものは褒めるし、嫌いなものはけなす」というスタンスの「是々非々なブックマーカー」の「ネガティブなコメント」を批判するつもりはありません。「感情」に対して、「それを嫌いだとか、嫌だと思うのは間違っている」と他人に強制することはできませんしね。もちろん、「嫌いであることを、わざわざブックマークで表明する必要があるのか?」とは思いますけど。
でも、こういうふうに「議論を広げるため」とか「そのほうが面白くなるから」という理由で、「自分が実際にそう思っていないこと」をブックマークコメントに書くのは、「お門違い」というか、基本的に「失礼」なのではないかという気がします。他人を弄んでいるだけにしか思えませんし。感じたことを衝動的に書いちゃうのは人間らしい行為として納得できるんだけどさ。
僕自身、そういう「ディベートのテクニック」を大学で練習したことはあるのです。そういうのは、それなりに「学んだ人間にとっては有益」だとは思うんですよ。ただし、それはあくまでも「ディベートのやり方を勉強するという前提の場」で行われたことで、僕が知っている優れた研究者たちには、みんなでお昼ご飯を食べたり、忘年会をやっている最中に「ディベートのテクニックを発揮する」人はいません。

「ネガティブブックマーカー」は論外なのですが、実は、はてなを息苦しくしているのは、こういう「ネットの中では、常にみんなが『議論』を望んでいるのだと疑わない人たち」の存在も大きいのではないでしょうか。彼らが言っていることは、「正しい」ように思えるけれども、大事な視点が抜け落ちています。

それは、「あなたが議論を吹っかけているエントリを書いているのも一人の『人間』であり、傷ついたり腹を立てたりする」ということ、そして、「すべての人間が、議論をしたくてブログをやっているわけではない」ということ。「人気エントリ」になれば、書き手の大部分は、アクセス解析などを経由して、自分のエントリにつけられた「ブックマークコメント」を目の当たりにするのです。
言ってみれば、「自分は『理論派』だと思い込んで、あちこちに議論を吹っかけているブックマーカー」っていうのは、公共の公園で、「ここでいつも自分たちが遊んでいるから、という理由で、ピクニックに来て寝転んでいる親子連れを狙撃するサバイバルゲーム愛好家」みたいなものです。「訓練」したいなら、そういうのをやりたい連中だけでやってくれないかね、迷惑だから。
はてな」って、アクティブユーザー数のわりには、そういう人が多い印象があるんですよね。
で、彼らはいつも、「学会では……」「研究者の世界では……」って偉そうな言い訳ばかり。
学会には学会の作法があるし、公園には公園のマナーってものがあるのですよ。
「学会ルール」で勝負したいのなら、学会内でやればいいんじゃない?
ネット上にだって、そういう人たちのコミュニティがたくさんあると思いますよ。


はてブコメントが偉そうだ(Geekなぺーじ(3/6))
↑のエントリは「はてな(の一部)に満ち溢れている『エンジニア的空気』について言及されていて、非常に参考になりました。
ただ、ここでもやはり「すべてのブロガーやエントリが、議論されることを望んでいるのではない」という視点は欠けているのです。
「疲れた」「恋人と別れた」「ようやく子供ができた」というようなエントリで、誰が「議論の広がり」を望んでいるのか?
彼は、自分の気持ちをどこかで吐き出したい、だけなんですよね。そりゃあ、「おつかれさま」って言ってもらえれば、そのほうが良いのかもしれないけれども。
「議論を前提としたエントリ」に批判的なブックマークコメントがつくのは、当然のことだと思いますし、書いている側としては、参考にもしています。
ところが、「議論の対象にしてほしいエントリ」にまともな批判が寄せられることって、本当に少ないんですよね。お得意の「揚げ足取り」だとか「バカと言った人がバカ→バカと言った人がバカと言った人のほうがバカ」的な千日手コメントばかり。「ネタ」だと言っている人のコメントって、「ネタならせめて面白くしろよ……」と言いたくなるものがほとんどですし。

ただし、そもそも反対意見しか出ないような議論というものもあります。反対と賛成が入り混じって、最後まで結果が出ない事もあります。そして、反対意見が多いものは事実ではないというわけでもありません。「地球は丸い」と言っても信じてもらえなかった人も昔はいました。

この例に沿うと、「本当の議論」を求めているはずの「地球は丸い」というエントリに対して、「なぜ地球は丸くないのか」を誰も証明しようとせず、「地球が丸いなんて言ってるお前はゆとり」とか、「地球は丸い教信者乙!」とか「人格攻撃」ばかりが行われているのが問題だということに、なんで気付かないのだろう?

僕は「研究」をやってきた人間として、「お前らの憂さ晴らしや煽りやいいがかりなんか、本当は『議論』でもなんでもねえよ!」って言いたいんですけどいい大人だから言いません。書いちゃったけど。

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