琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ ☆☆☆☆


【ストーリー】
北陸の山間部の小さな集落。交通事故で亡くなった夫婦の葬式の日。ふたりの長女・澄伽が東京からふらりと帰って来た。長男・宍道、妹の清深はとまどう。宍道の嫁・待子は不思議な目で見ていた。やがて自分勝手でワガママな澄伽に振り回される家族。女優になるために上京したが、うまくいかないことを家族のせいにする澄伽だったが、宍道も清深はうとましく感じながらも、気をつかっていた。待子の知らない秘密が、この家族にはあったのだった…。

エゴ丸出しの姉に佐藤江梨子
その陰に怯えながらもしたたかな妹に佐津川愛美
家族の秘密の重圧に翻弄される兄に永瀬正敏
度を越したお人好しが哀れな兄嫁に永作博美を迎え、一触即発の人間関係を赤裸々かつブラック・ユーモアたっぷりに描く。

 この作品、劇場公開されたときもかなり評価が高く、DVD化されるのを楽しみにしていたのですが、ようやく観ることができました。
 本谷有希子さんが「劇団・本谷有希子」の第1回公演の舞台の脚本を小説にしたものが原作で、小説版はかなり「舞台っぽさ」を感じる内容だったのですが、この映画版では、北陸の田舎の風景の美しさがうまくちりばめられていて、「美しくて広い自然と濃密で息詰まるような家庭(そして田舎)」がうまくコントラストを描いていました。
 そして、この映画、主演四人の演技がとくに素晴らしいんですよね。永作博美さんの「待子」は映画賞をたくさん獲ったのですが、こんな「自分のイメージと重ねられてしまう可能性が高い役」を誠実に演じた佐藤江梨子さんの熱演も、もっと評価されて良いのではないかと僕は感じました。
 原作に比べて、「虐待シーン」「性的描写」はかなりマイルドになっているのは事実なのですけど、こういう「息苦しいんだけど、逃げられない感じ」というのって、田舎には確かにあるんですよね。

 この映画には「家族なんだから」という言葉がたくさん使われているのですが、「家族」だからという理由だけで、人は支え合っていけるのか?と僕は考えずにはいられませんでした。いやまあ、この作品での「家族」には、「それだけの理由」ではない、「よくも悪くも濃密なつながり」があるんですけど。

 それにしても、人間の「表現欲」とか「自己顕示欲」とか「自己実現欲」っていうのは、うまくいかないときには、これほどやっかいなものはないですよね。それが「素晴らしいもの」だと世間では認知されているだけに、かえって行き場がなくなってしまうのです。自分を責めるか、「誰かのせい」にしてしまうか……「夢っていうのはかなわないこともある、というか、かなわないの単に『よくあるしょうがないこと』でしかなくて、『間違っていること』じゃないんだ」なんて、テレビや雑誌では誰も教えてくれません。
「夢をあきらめるなんて最低」という考えかたは、「自分探し商法」の人たちによる刷り込みなのかもしれないのに。「他人を踏み台にして自分の夢をかなえる」のと、「自分を殺して周囲のために尽くす」のと、どっちが人間として「正しい」姿勢なのか……
 この映画版のエンディングは、小説に比べると、やや「妥協している」ような気がして、ちょっと物足りない気もするんですけどね。 

 澄伽を笑い飛ばしてもいいですし、永作さんの怪演に驚くのも良いと思います。
 もちろん、「自分探し病」や「家族という病」を知るためのテキストとしてもお薦めです。
 ひたすらネガティブでブラックな作品なのに、なぜか観終えたあとはスッキリします。


 しかし、「それでも描かずにいられない」っていうのは、まさに「病」だよなあ……

「やっぱお姉ちゃんは、最高に面白いよ。」


参考:『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』小説版の感想

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫)

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