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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

絶滅危惧種としての「ゲーセン」

社会 GAME


ゲーセンに逆風 大手、店舗閉鎖相次ぐ - 暮らし(asahi.com)

 先日、映画の待ち時間にシネコンに併設されたゲーセンに入ったのですが、そこで見た光景に僕はちょっと驚いてしまいました。
 そのゲーセンの待合室で、2人の小学校に上がったばかりくらいの子供が、やってるんですよ、ゲームを。ニンテンドーDSで。
 そりゃあ、お小遣いの問題とかいろいろあるのかもしれませんが、せっかくゲーセンに来ているのに、ここでDSやらなくても……と僕は思いました。だってさ、100円払わなきゃいけないけど、周りにはたくさんあるんだよ、最新のアーケードゲームが。
 しかし、あらためて店内を見回してみると、僕はこの子供たちがDSで遊んでいた理由がわかるような気がしたのです。そこにあるのは、メダルゲーム格闘ゲーム、カードを使うオンラインゲーム、麻雀、パチンコ・スロットのゲーセン版……
 要するに、「小さな子供が興味を持つようなゲームが、その『ゲームセンター』には全く置かれていないのです。

 また昔話になるのですが、僕が補導員たちの目を懸命に避け、ヤンキーたちから逃げまどいながらゲーセンに通っていた20年〜25年前くらいの時代って、ゲーセンに置いてあるゲームは、まさに「時代の最先端」だったんですよね。噂の『ゼビウス』をはじめて見たときはその「未来的」な美しい画面に感動しましたし、『スペースハリアー』のシートが動き回っていたのを見て驚いたり、『戦場の狼』の大音量のBGMに心躍らせたり。
 当時は、「お金が無くても(そりゃ、あったほうが良いに決まってますが)、そこに置いてある最近ゲームの画面を見ているだけで楽しい時代」でした。

 僕がゲーセンから離れてしまったのは『ストリートファイター2』が大ヒットした時期くらいからで、結局、「自分のペースで楽しめなくなったこと」が嫌になってしまったのだという気がします。
 でもまあ、いちばんの原因は、「技術的に新しいもの、ゲームの進化の過程を見るという楽しみが無くなってしまったから」なのかもしれません。
 いや、細かいところで「進歩」しているのは事実なんでしょうけど、なんというか、そこにはもう、「圧倒的な技術を体験する喜び」みたいなものが残っていなくて。

 この記事では、Wiiのためにゲーセンがピンチに陥っている、というような内容が書かれているのですが、正直、Wiiで売れてるのって任天堂のごく一部のゲームだけなんですよね。『Wii Sports』や『Wii Fit』、『スーパーマリオギャラクシー』など。サードパーティのゲームでとりあえずある程度売れたのって、『ドラゴンクエストソード』くらいのものです。『スマブラ』があれだけ売れたのはとても象徴的なことで、実は、「みんなが一斉に『スマブラ』を発売直後に買いに走るほど、Wiiのユーザーは面白いゲームに(現時点では)飢えている」のかもしれません。
 そもそも、昔からのゲーマーである僕からすると、Wiiサードパーティは、「Wiiらしい操作性のゲーム」を作らなければならないという強迫観念のために、単なる「操作しにくいゲーム」を濫発してしまっているようにも思えるのです。
 あの操作系って、「なんでもできそう」で「新しい」けれども、裏を返せば、「ファミコン」をあれだけメジャーにしたのは、「A、Bボタンと十字キーだけというシンプルな操作系」の賜物だったのです。
 どんなに「ゲーセンでしかできないゲーム」って言ってもさ、『ガンバレット』とか『タイムクライシス』みたいなガンシューティングって、そんなに何時間も遊び続けて楽しいゲームじゃないし。

 実際のところ、「ゲーセン」という文化は、こんなふうに記事になるずいぶん昔から(たぶん、10年くらい前から)「一部のコアなマニアが大部分を支え、何かのついでに立ち寄るカップルやファミリー層が一部を補填していた」という状況だったのです。
 次世代ゲーム機(据え置き型)はWiiの「ひとり勝ち」なんていわれているけれども、ゲームソフトの売り上げからすれば、「据え置き型ゲーム機」のシェアは、どんどん携帯機に侵食されていっています。Wiiが置かれている居間で、お父さんは『ドラクエ4』、子供たちは『ポケモン』で遊んでいるのです。もちろん、自分のニンテンドーDSで。
 ここで、「ゲーセンはもっと(技術的に)魅力的なゲームを!」と叫んでも、たぶん、あまり効果はないと思うんですよ。
 なぜなら、「ゲーム機」の主流というのは、「ゲームセンターに行って遊ぶもの」から、「一家に一台」、そして「一人に一台」という、よりパーソナルなものへと移っていっているのだから。
 居間にあるテレビのほうが大きくても、「自分のテレビ」を手に入れることが僕たちの子供のころの夢でしたし、たぶん、いまの子供たちも、「どんなに画面が小さくても、『自分のゲーム機』のほうがいい」のですよ。
 そういえば、僕も最近据え置き型ゲーム機の電源を入れたのは、さていつだったか……という感じなので、大人だって、「自分だけのゲーム機のほうがいい」のだよね、たぶん。
 
 「ゲーセンらしいゲームを」って考えてみるのだけれど、僕が頭に思い描いているような「ゲーセンらしいゲーセン」は、もう、10年以上前に無くなってしまっているのです。今あるのは、「ゲームセンター」という同じ名前で呼ばれている別物でしかない。
 率直なところ、「それでもお金をつぎ込んでくれるマニアを大事にして少しでも生き長らえる」という「延命治療」しか思い浮かばないんだよなあ……先細りになっていくことはわかっていても……

参考リンク:「活字離れ」は「読書家」の責任なのか? (琥珀色の戯言 (2007/9/4))
これって、↑で書いた話と同じで、

 ただ、こういうのって、「ゲームマニアがゲームをつまらなくしている」っていうのと同じで、マニアの立場から言わせてもらえば、「じゃあ、今の出版業界を(金銭的に)支えて、いろんな本が出せるようにしているのは誰だと思ってるんだ?」とも感じます。

 テレビゲームで言えばニンテンドーDSの一部のソフトを除けば、コアゲーマーしかゲームを買ってくれないから、結局、コアゲーマーに売れるゲームしか出せないというのも現実。「読書家」がいなくなったら、みんな本を読むようになるかと問われたら、僕は「やっぱり読まない人は読まない」と思いますし、そうなると、本を買う人が誰もいなくなってしまうのでは?と危惧してしまうのです。

という状況だと思うんですよ。
正直、「子供がDSに夢中になってしまうゲーセンという空間」に、明るい未来が待っているとは、やっぱり考えにくいしねえ……本当に絶滅してしまったら寂しいけど……