琥珀色の戯言

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教科書でおぼえた名詩 (文春文庫PLUS) (文庫) ☆☆☆☆☆


教科書でおぼえた名詩 (文春文庫PLUS)

教科書でおぼえた名詩 (文春文庫PLUS)

内容(「BOOK」データベースより)
僕の前に道はない…春眠暁を覚えず…おごりの春のうつくしきかな…分け入っても分け入っても…あはれ花びらながれ…昭和二十年代から平成八年までの日本の中学、高校の国語教科書千五百余冊の中から、誰もが知っている二百五十篇の詩、漢詩、訳詩、短歌、和歌、俳句を精選したまさに国民的愛唱詩歌集。巻末にうろおぼえ索引、作者・題名索引を掲載。

 いいですよこの本。
 中学・高校の教科書で採り上げられていた作品を集めたものなのですが、読んでいると、「懐かしさ」と同時に、教科書というのは、やはり、選りすぐりの作品を集めていたのだなあ、と感心してしまいます。
 あの頃は、「なんかかったるい、偉そうな作品」であり、「早く帰って『北斗の拳』読みたいなあ」だったのにねえ。

幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処でのひと盛り
    今夜此処でのひと盛り

サーカス小屋は高い梁
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(さか)さに手を垂れて
  汚れた木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
  安値(やす)いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん


屋外(やがい)は真ッ暗 暗(くら)の暗(くら)
夜は劫々(こうこう)と更けまする
落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジア
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん


                              中原中也『サーカス』

ああ、中原中也いいなあ……いまあらためて読んでみると、なんかすごく染みる。
そして、あんなに「つまんないなあ」と思いながら教科書を読んでいたのに(でも、僕はけっこう国語の教科書は好きだったんですけどね。少なくとも学校の教科書のなかでは、リーダビリティが圧倒的に高かったし)、けっこう覚えているものなんですね。
ゆあーん ゆよーん ゆやよよん。

あと、「自分が年を取り、大人になったことで、あらためて伝わってくる作品」というのもあるのです。

こどもたちよ、
これはゆずりはの木です。
このゆずりはは
新しい葉ができると
入れ代わって古い葉が落ちてしまうのです。

こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉ができると無造作に落ちる、
新しい葉にいのちを譲って―。

こどもたちよ、
おまえたちは何をほしがらないでも
すべてのものがおまえたちに譲られるのです。
太陽のまわるかぎり
譲られるものは絶えません。

輝ける大都会も
そっくりおまえたちが譲り受けるものです、
読みきれないほどの書物も。

みんなおまえたちの手に受け取るのです、
幸福なるこどもたちよ、
おまえたちの手はまだ小さいけれど―。

世のおとうさんおかあさんたちは
何一つ持っていかない。
みんなおまえたちに譲っていくために、
いのちあるものよいもの美しいものを
一生懸命に造っています。

今おまえたちは気がつかないけれど
ひとりでに命は伸びる。
鳥のように歌い花のように笑っている間に
気がついてきます。

そしたらこどもたちよ、
もう一度ゆずりはの木の下に立って
ゆずりはを見る時がくるでしょう。


                          河井酔茗『ゆずりは』(花鎮抄より)

 この詩、僕が中学校の教科書で読んだときには、「なんて恩着せがましい詩を読ませるんだ、大人ってみっともないなあ」というような反感を抱いていたんですよね。
 でも、いま30代後半の僕が読むと、「この世界の繋がりのなかでの自分の存在」のようなものを考えずにはいられません。
 そして、僕が譲ってもらったもの、譲っていかなくてはならないもののことも。
 「ベスト1ばかりを集めた、コンピレーションアルバム」みたいなもので、それぞれの作家についての「深み」には欠けるかもしれませんが、一冊手元に置いて、たまにでもページをめくってみたい本です。

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