琥珀色の戯言

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カプコン、創業25周年


カプコン、6月11日で創業25周年を迎える - iNSIDE(2008/6/11)


参考リンク:カプコンの歴史(株式会社カプコン)

 25周年、おめでとうございます。
 もうそんなになるのか、という気持ちと、まだそのくらいなのか、という気持ちが入り乱れてしまうニュースでした。

 Wikipediaの「カプコン」の項によると、

アイレム(現アピエス)創設者の辻本憲三が社内事情のため同社を退社し、ナムコから退社した社員を雇用(移籍)した形で、新たに起こした会社がカプコンである。社名は系列会社の「カプセル・コンピュータ」に由来する。第一作目は1984年5月発売の業務用縦スクロールシューティング『バルガス』。

 となっています。だから、「カプコン」の英語表記が「CAPCOM」なんですね。
 僕も『バルガス』『ソンソン』の頃の創業期(『バルガス』が1984年5月)のカプコンはおぼろげながら記憶にあるのですが、当時は『ゼビウス』の二番煎じのようなシューティングゲームを作る新興メーカーがたくさん出てきた時期で、『マイコンBASICマガジン』の新作アーケードゲームの記事の『バルガス』を見ながら、「また似たようなゲームか……このメーカーも長くないんじゃないかなあ」なんて思ってたんですよね。
 その後、アーケードで『1942』『戦場の狼』が大ヒット(僕は『戦場の狼』の音楽が大好きだったんです。どこのゲーセンでも大音量でこのゲームのBGMが流れていたんだよなあ)、そして、あの『魔界村』がアーケードで発売されたのが1985年の9月。ただ、このゲームは当時としては圧倒的なグラフィックで僕たちを魅了したものの、アーケード版としてはあまりに難易度が高すぎて、「歴史的大ヒット」という感じでもなかったのです。
 ところが、この『魔界村』が1986年6月にファミコンに移植されたのが、カプコンの「躍進」のきっかけになりました。
 当時の感覚としては、「あのグラフィックがファミコンで表現できるわけないだろ!」というのが多くのゲーマーの感覚で、僕ももちろんそう思っていました。
 ところが、実際に発売されたファミコン版『魔界村』は、大容量ROMの威力もあり、『魔界村』の看板を掲げて恥ずかしくない移植だったのです。これは、本当に驚かされました。
 ファミコン版でもこのゲームはやはり激烈に難しくて、僕たちは、「このROMには3面までしか入っていないに違いない」と確信していました。最近、有野課長がクリアしているのを観て、ようやく「ちゃんと最終面まで移植されていた」ことを知り、とても感慨深かったです。

 ちなみに、この「ファミコン魔界村」には、こんな逸話が残されています。

 ファミコンの『魔界村』を発売するときのカプコンは資金繰りが苦しくて、せっかく苦労して『魔界村』完成させたのに、カートリッジを作るための資金がなかった。
 それでも、ファミコン版『魔界村』のデキに自信を持っていた経営陣は、夜逃げ覚悟でトイチ闇金でカネを借りて、『魔界村』を大量に発注、結局、カプコンはこの『魔界村』の大ヒットで蘇った。

 いまや日本を代表するゲームメーカーにも、こんな時代があったのです。
 ファミコン全盛期は、こんな「ギャンブル」をやっていたメーカーはけっして少なくなかったようですが。

 その後は、『ストリートファイター』で大ブームを巻き起こし、『バイオハザード』シリーズ、『鬼武者』『逆転裁判』『デビルメイクライ』『ロックマン』『クイズ殿様の野望』そして、記憶に最も新しいところでは『モンスターハンター』。
 さまざまなジャンルのゲームで大ヒットをとばしているカプコンは、まさに日本を代表する超一流ゲームメーカーになりました。
 あの頃乱立していたゲームメーカーとカプコンの明暗を分けたのは、結果的には、「家庭用ゲーム機に適応できたかどうか」に尽きるのではないかと思います。

 それにしても、あれから25年か……
「雨後の筍のように乱立していた新興ゲームメーカー」がここまで大きくなるのを見てきた自分の人生の長さも、一緒に振り返ってしまう話ではありますね。

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