琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

『マトリックス レボリューションズ』感想



劇場公開時(5年前)に某所で書いた感想を再掲します。

(以下再掲分)

マトリックス・レボリューションズ」の感想です。激しくネタバレしていますので、また未見の方で、これから観ようと考えられている方は、読まないでください。お願いします。


本当にネタバレですよ。


先日の日曜日にこの映画を観に行ったのですが、感想としては、良くも悪くも「これで終わりか…」という感じでした。他の観客も、みな一様に「うーん」という顔をして出てきたのが象徴的。

 いきなりオチの話になってしまって何なのですが、要するに「機械」(=アーキテクト)という圧倒的な神に対して、救世主ネオが慈悲を求めに行って(作品中では「取引」と言っていますが、僕の印象では、公平な取引というよりは、「闘ってみせるから、自由にしてくれ!」というような闘技場の剣闘士みたいに見えました)、エージェント・スミスと戦い、スミスを倒して(ネオがスミスを「倒した」のかどうかは微妙な気もしますが)、その「献身を認めた」機械サマが、「じゃ、今回は人間たちを勘弁してやるか」ということで手を引いてくださった、という感じにしか思えなかったのです。
 僕はこれでも人間ですから、やっぱりそういうオチだとムカつくんですよね。最後に予定調和的に出てくる、アーキテクトがオラクルに「危険な賭けをしたな」なんていうシーンでは、「ネオやトリニティは、所詮『駒』だったのかよ!」と脱力してしまいました。
 セラフが生き残っていたのが嬉しくて、内心「嘉門さん、お帰りなさい」とか思っていましたけど。

 結局、「マトリックス」って、人間を「駒」にしたゲームを見せられていたようなものかよ!って。

 とりあえず、「レボリューションズ」への不満を並べてみましょう。

(1)主役はミフネ?

 ネオはなんだか迷ってばかりで、なぜか最後にマシンシティに突撃します。昔観た、「さよなら宇宙戦鑑ヤマト」を思い出しましたよまったく。
 ボロボロになったヤマトが、白色彗星に突入していくシーン。
 で、やることが機械神さまに慈悲を求めに行くことだっていうんだから…
 今作でいちばんキャラが立っていたのは、なんと言ってもミフネでしょう。圧倒的な物量の敵を前に仁王立ち、カッコいい!とにかくあのセンティネルの数は、観ている僕のほうも絶望しました。こりゃムリだろ…って。
 でも、センティネルは意外と優しいというか、その気になればすぐ壊滅できそうなAPU(ミフネたちが搭乗していた戦闘用ロボット)をほとんど無視していた。まあ、雑魚はいちいち相手にするな、というプログラムだったのかもしれないが。

(2)ノーガードなAPU

 それにしても、あのAPUというのは、どう考えても前面の装甲が弱すぎる(というか、ほぼ裸同然)と思う。パイロットのことももうちょっと考えてやれよ。
 それでも、ミフネ船長はカッコよかったんだけど、どう考えても「マトリックス」に必要なエピソードとは思えない。ああいうのがやりたかったら、別のSF映画を1本撮ればいいのに。しかもそのシーンが激烈に長いし。前作のザイオンでの踊りのシーンといい、クドイ演出が好きな監督なのかもしれないし、それが記憶に残るのも確かなんだけど。
 いかにも「衝突寸前でドアが開きます」という展開で、ベタにそれをやってみられると、ちょっと拍子抜け。激突⇒即死、っていうわけにはいかないんだろうけどねえ。

(3)「ネオ!助けてくれるんだったら、早くしてくれ!」

 あと、ネオがマシンシティに行くときに、トリニティが死んでしまうシーンでも、僕は今ひとつ感情移入できなかった。トリニティの死に悲しむネオを観ながら、「トリニティはもう死んでるんだから、早くザイオンの人たちをなんとかしてやるために行動しろよ!」とか思ってしまったし。
 ああやって悲しんでいる間に、たぶん何百人かはよけいに、ザイオンの一般市民は死んでたんじゃないだろうか。
 同じ理由で、「もっとシャキシャキ歩けよ」とも。
 映画の中で「ネオ、助けるんならなるべく早くしてくれ!」というセリフには、思わず苦笑。確かにその通り。あの状況であれば、ネオはもっと焦って然るべき。


(4)中途半端なキャラクターたち

 最初の駅のシーンは、「要らん!」という意見も多いみたいだけど、僕はけっこう好きだ。ああいうわけのわからない「哲学」みたいなのが「マトリックス・ワールド」なんだと思う。むしろ観終わった後、「あのへんがレボリューションズの中ではいちばん『マトリックス』らしかったな」と思えてきただけなのですが。でも、考えてみたら中途半端にメロビンジアンとかパーセフォニーとかを出して、「マトリックス的な格闘」をやってみせるためだけのシーンなのかもしれない。
 モーフィアス出番ほとんどなし、トリニティ殉職刑事役。スミスに乗り移られた人は、限りなくターミネーター
 そしてネオは、限りなく弱体化。
 キャラが沢山出てきて、それぞれ見せ場をつくろうとしているために、かえってそれぞれが目立たなくなってしまっているのだ。
 なんか、最後に唐突にネオが出てきてスミスと勝負。いつのまにそんなに偉くなったんだスミス。そして、神への忠誠の証として、スミスとの御前勝負を行うネオ。
 いやもう、いっそのこと、放っておけばザイオンも滅亡するけどマシンもやられるんじゃないかとか、スミスと共闘できないものか、とか思ってしまった。
 もっとも、スミスというのは「ネオが天敵」というプログラム(ウイルス?)みたいだから、そううまくはいかないのかもしれないけどさ。
 スミスがやられるシーンも納得できない(スミス=ウイルス、ネオ=アンチウイルウスソフト説やスミスはネオを倒すのが「目的」だから、倒してしまって「目的」を失ったプログラムであるスミスは存在意義を失ってしまった説、など諸説あり)。
 それに、あれだけたくさんスミスがいるのに、みんな背景かよ!とも。

 
(5)根本的には

 思想は「マトリックス」だけど、映画的には普通のSFじゃないか!ということです。とくにザイオン絡みのシーン。


 けなすばっかりじゃあんまりなので、以下は良かったところ。

<1>結末について

 では、もし「レボリューションズ」の最後が、「救世主ネオが、機械をうちやぶって、人間の自由を回復した!」とかいうオチだったら、それこそ「マトリックスらしくない」と思われること必定。まあ、もうちょっとフラストレーションを減少させるようなまとめ方もあったような気はするけれど。


<2>ザイオン

 すくなくとも映像表現上は、あのセンティネルの大群が観客に与える絶望感は凄い。
 ちなみに僕は、編隊を組んでやってくるセンティネルをみて「ギャラガみたい」とか思ってました。


<3>ネオ

 は結局、「機械と人間との共存」への端緒をつけるための犠牲になったと考えればいいのかもしれない。少なくとも機械は人間を「見直した」のだし「機械は人間と違って嘘をつかない」らしいしね。「望む人間には自由を与える」ということは、エージェントによる自由人狩りなんかもなくなるわけだ。まあ、単にエージェントに懲りただけなのかもしれないし、どっちにしても人間側の野心で、この束の間の平和は破られそうな気もするが。


<4>世界観

 「愛なんて、プログラムされた『目的』にすぎない」と、この世界的に大ヒットが見込める映画で言うのは、なかなか勇気がいると思う。そのあとで、ネオとトリニティの愛のシーンが流れるのは、ひょっとしてものすごい皮肉なのではないだろうか?
 僕たちが、感情だと思っているものは、プログラムされた必然にすぎない、つまり、人間も機械なんだ、ということ。それは、ある意味真実だと思う。今のところ、「人間」というプログラムは、人間自身の手に余っているだけで。


<5>でも、楽しかったよ。

 なんのかんの言って、これほど続編を楽しみにできた映画はなかなかなかったし、その「待つ楽しみ」を与えてもらっただけでも感謝すべきなのかもしれない。
 続編のオープニングでこんなにワクワクしたのは久しぶりだもんな。あとはスターウォーズくらい。
 今でも、こうやって謎解きの楽しみを与えてくれるわけだし。
 だいたいのSF映画なんて、ここまでツッコミを入れてみようなんて気にもならないし、議論になることも無いだろうと思う。「レボリューションズ」そのものについては不満はたくさんあるけど、「レボリューションズ」が存在してくれるということには、楽しみがあったわけで。
 少なくても、僕にとっては2003年の映画の中でいちばん「公開を楽しみにできた作品」(面白かったとは別だが)なので、「マトリックス」の無い時代よりは、ある時代に生きられて良かったと思うのです。
 まあ、言い換えてみれば「3連敗でもワールドカップに出られただけよかった」とか、そういう心境なのかなあ。

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