琥珀色の戯言

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ソフトボールで「アメリカが負けたこと」の意味


日本が米国倒した!悲願の金!上野完投!…ソフトボール(スポーツ報知)

 昨日のソフトボールの金メダルには、本当に感動してしまいました。
 日本にとっては、今大会初の団体競技での金メダルということもありますし、いままでの大会、そして今大会でも、どうしても破れなかった「王者アメリカ」の壁を最後の最後に破っての勝利。そして、上野投手の2日間にわたる熱投。
 僕は日本人ですし、基本的に「日本側」からみた報道に触れる機会しかないのですけど、↑の記事を読んで、僕が最も印象に残ったのは、

キャンドレア米国監督「日本には脱帽する。祝福したい。ベストなプレーをしたが、今夜は日本の方が上だった。細かいプレーは重要で、それを積み重ねることができなかった。負けることもある。それがスポーツだ」

 このアメリカの監督の言葉でした。
 日本側からみれば、「最後の最後の大事な試合に勝って金メダル」だったのですが、アメリカ側からすれば、予選で大勝し、準決勝でも勝った相手ともう一度対戦し、その一度の負けで自分たちが「敗者」になってしまったのは、納得がいかないのではないか、と僕は感じていたのです。いや、そのルールは最初から決まっていたことで、その前提で勝負していたのだから、「受け入れざるをえない」のでしょうけど。

 個人的には、プロ野球の「クライマックスシリーズ」というのもおかしなシステムだと思っています。だって、あれだけの長さのペナントレースの結果がほんの何試合かでひっくり返るっていうのは、変ですよやっぱり。それなら最初からトーナメントにでもすればいいんじゃない?ただ、プロスポーツの場合は、「興行」という側面が確実にあって、結局のところ、「クライマックスシリーズをやったほうがお金になる」という理屈の前にはどうしようもないのです。

 でも、オリンピックでは、本当は「リーグ戦の結果で優勝チームを決める」あるいは「最初からトーナメントで優勝チームを決める」べきなのではないかと思うんですけどね。まあ、「オリンピックも『興行』である」というのは間違いないんですが、ソフトボールの「ページシステム」というのは、なんでこんないびつなシステムになったんだ?と感じてしまうのです。

 日本では報道されていないけれど、アメリカの選手たちには、こういうシステムへの不満や恨み言はなかったのか、と疑問になり、いくつか英語のサイトをあたってみたら、こんな記事を見つけました(アメリカの選手たちの「不満」ではないので念のため)。

Will U.S. loss be softball's Olympic savior? - Los Angeles Times(英語)

"We've been telling you guys there is parity, but nobody would listen," Candrea said. "Not parity of 16 teams, but four or five now."

The first time the IOC can reverse itself is at a meeting in October 2009. Between now and then, Porter, a bulldog with a bit in his mouth, will keep pushing for reversal.

But his best argument was made Thursday night, on a misty night in a softball stadium filled with people who liked what they saw, and probably would like to see it again.

USA Softball lost, giving its sport a chance to win.

 昨日の決勝戦は、「ずっとこの競技の勝利を『独占していた』アメリカが負けたこと」によって、そして、「決勝戦のスタジアムがたくさんの観客で満たされ、彼らを満足させるすばらしい試合が行われたこと」によって、ソフトボールが「再評価される」大きなきっかけになったのかもしれません。
 そして、選手の活躍だけでなく、こういう記事が書かれるところが、「アメリカのスポーツ文化」の奥深さなのだなあ、とも感じました。
 アメリカの選手たちにとっては「救い」になる話ではないでしょうけど……

 負けることもある。それがスポーツだ。

 僕は、日本の勝利に感動したのと同じくらい、このアメリカの監督の言葉にも心を動かされました。
 本当に「当たり前の言葉」なのですが、日本の優勝がこんなにもすばらしいものになったのは、「最強のアメリカ」をはじめとする、各国のチームが、高いレベルで勝負していたからです。たとえ日本が金メダルを獲ったとしても、一方的な試合だったら、こんなに強い印象は残らなかったはず。

21日に行われたソフトボールの表彰式後に、日本、米国、オーストラリアの選手たちが2016年五輪での競技復活をアピールした。12年ロンドン大会の実施競技から除外されることが決まっており、この日の日本−米国の決勝戦が現状では「五輪ラストゲーム」になる。

 首にメダルをかけた3カ国の選手がダイヤモンド中央のピッチャーズ・サークルに集合。黄色いボールで「2016」の文字をつくると、肩を組んで「バック・ソフトボール」と声を張り上げた。

 日本とかアメリカとかオーストラリアとか、観ている側は「国」で括ってしまうけれど、選手たち、とくに「オリンピックの正式競技から除外される」という逆境にある選手たちにとって、同じ競技を愛し、続けてきた人たちは、みんな「仲間」なんだよね、きっと。
 もしソフトボールが最短で2016年に正式競技に復帰するとしても、ここで「バック・ソフトボール」とアピールした選手たちのほとんどは、そのときにフィールドに立っていることはできないでしょう。トップレベルのアスリートのピークというのは、そんなに長いものじゃないから。そんなことは、彼女たちも十分承知しているはずです。それでも彼女たちは、この競技と競技者たちの未来のために、「2016」を描かずにはいられなかった。

 僕は野球やサッカーをオリンピックでやる必要はないと思うのです。彼らには、他にたくさんの活躍の場や目標があるのだから。

 でも、ソフトボールは、2016年にぜひ「復活」してもらいたい。今回のオリンピックを観て、ソフトボールをはじめていくであろう若者たちのためにも。

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