琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「ある個人史の終焉」と「昨日、子供が生まれた。」


昨日、子供が生まれた。
↑のエントリに、たくさんのコメント(ブックマークも含めて)、本当にありがとうございました。
こんなにたくさんの方々に応援のコメントやブックマークをいただけるなんて、全く予想していませんでした。
「同じような体験をした」とか「いつも読んでいます」なんてコメントに、励まされたり、「僕はそんなたいした人間じゃないので、勘違いしちゃダメだぞ」と自分を戒めたり。
本当に「すばらしい親」っていうのは、自分の感情をこうしてブログに書き散らすより、子供に語りかけたり、オムツを替えたりするんじゃないかと思うしね。
そう思いつつも、ついつい言葉にして、公開までしてしまうのは、僕の「業」なのかもしれません。

あのエントリを書く前に、考えていたことがありました。
「もしかしたら、これがここで書く最後のエントリになるかもしれないな」

ちょうど1年くらい前「ある個人史の終焉」というエントリが話題になりました(元のエントリは消されてしまったので、魚拓を御紹介しておきます)。
当時、まだ自分が1年後に父親になるなんて想像もしていなかった(というか、したくなかった)僕もこれを読んで感動したものです。
このエントリに対する「はてなブックマークコメント」、あるいはコメントやトラックバックは、大部分が好意的なものだったのですが、一部にはかなり過激な「悪口」が含まれていました。

はてなブックマーク > ある個人史の終焉 - after game over

いくつかのやりとりがあり、結局、「ある個人史の終焉」を書いた方は、「サイト閉鎖」という選択をされました。

僕は、あのエントリを書くまで、「子供ができた」ことをどこにも書いていません。
もちろん、「突然書いてみんなを驚かせよう」という、いやらしい「色気」がなかったわけではないのですが、最大の理由は、そのことをWEBに書くこと、とくに「はてな」に書くことが怖かったからです。
僕は妊娠・出産というのがかなりデリケートな性質の出来事であり、それが「必ずしもうまくいく」ものではない、ということを「頭では」知っています。
でもね、もし、「妻が妊娠した」というエントリに対して、誰かが「消えろ」とか「胸糞悪い」なんてコメントをつけたら、やっぱり傷つくと思うのですよ。
いや、傷つくだけだったらいいけれど、万が一、妊娠・出産中に何かトラブルがあれば、僕は「消えろ」とコメントした人間を許せない。もちろんそれは理屈としては「やつあたり」になるのでしょう。でも、僕はそいつを探し出して、「復讐」したいと願うはずです。
もしそれが無理でも、ずっとそいつを恨み、呪い続ける。
そして、「そんなヤツの目に触れるところに書いてしまった自分自身」も、きっと許せない。
だから、「生まれてくるまでは、絶対に書かない」と決めていました。
子供がこの世に生を受けてからは、「本人と周囲の人間の責任」が大きい。でも、子供がこの世に生まれてくるまでは、「人間の努力」だけではない、「運」みたいなものに左右される面がかなりあります。

「ある個人史の終焉」のことがなければ、もっと無邪気にいろいろ書いていたんじゃないかと思うけれど、デリケートな時期に、(それがその人にとっては「正当」なものであっても)呪いの言葉を投げつけられるのは、本当に辛いものです。もともと不安な時期なのに……

ほんの些細な言葉で、人というのは傷つきます。
僕たちはそれを知っているし、どんな事情があれ、町で見かけた見ず知らずの妊婦に「いい気になるな」なんて言葉を直接投げつける人はいません。
ところが、ネットというのは、あっけないくらいに、「『普通の人』がそういうことをしてしまう」世界なのです。

いや、彼らが「自分の言葉が他人を傷つけていること」に自覚的であれば、それはそれでひとつの「ポリシー」みたいなものでしょう。
しかしながら、相手に殴りかかられる覚悟もないのに、「ネット上での発言は『自由』だ」と嘯いている人は、けっして少なくありません。
「まさかあんな小さな石があたったくらいで死ぬとは思わなかった」というのは、「面白半分で石を投げる側」の勝手な思い込みでしかないのです。

ネットで呪詛の言葉を吐くのは「簡単」だけどさ、それが生む結果は、必ずしも「簡単」なものばかりとは限りません。
相手が置かれている立場や状況によっては、あなたが鼻くそほじりながら書いている、その一言が、誰かの一生の傷になることだってあるのです。
そして、その結果は、「そんなことになるとは考えもせずに」石を投げた側にとっても、大きな心の傷になるはず。

僕は「自分だけはそんなことしない」とは言えません。
実際に僕が書いたもので「傷ついた」と言われたことは何度もありますし、極論すれば、何かを書くことそのものが他人を傷つける性質のものなのかもしれません。
人間っていうのは本当にいたたまれないもので、AさんとBさんが幸せな結婚をした陰で、ずっとAさんに憧れていたCさんが悲嘆にくれることだってある。
AさんとBさんは、ただお互いに愛し合っていただけなのに、その結果が誰かを傷つけてしまう。

もちろん、誰かに「優しくしてあげる義務」なんてありません。
でも、「あなたが投げるその言葉を、相手があなたと同じ重さで受け止めるとは限らない」ということくらいは頭の片隅に置いてほしい。
とりあえず、僕は「なるべく根拠のない批判・批難はしないこと」「弱っている人をさらに傷つけるような言葉は使わない」ことを心がけています。
もちろん、至らないところもたくさんありますし、「誰かを傷つけてしまっている」ことを想像して怖くなるときもあります。
それでも「書かずにはいられない」というのは、まさに「業」のようなものなのかもしれません。
あのエントリだって、「書かないほうが安全」であったことは間違いないのだから。


ある程度バッシングされる覚悟はしていたにもかかわらず(そして、それがあまりに酷いときにはサイトを閉鎖するつもりだったにもかかわらず)、あのエントリに対する言葉は、あまりに温かいものばかりで、僕は驚き、また、ネットって、人間って、けっこうあったかい場所なんだなあ、と、あまりにネガティブ思考にとらわれていた自分を恥じています。
書いてみてよかった。
そして、「閉鎖」せずにすんで、本当によかった。

個々のコメントやトラックバックにお返事できず、申し訳ありません。でも、全部読んでます。ほんとうに、ありがとうございます。
これからも、僕の人生なりのペースで、このブログを続けていくつもりです。

インターネットの90%は、優しさでできている。でも、日頃目につくのは、残りの10%。
ほめてくれるコメントはスルーして、批判コメントに顔を真赤にして返信。
そんなネットとのつきあいかたは、もうやめよう。

もっと「素直」にならなくてはね、本当にそう思う。

アクセスカウンター