琥珀色の戯言

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シズコさん ☆☆☆☆


シズコさん

シズコさん

死なない人はいない。私もいつかは死ぬ。母さんごめんね、ありがとう――。

私は、母の手をさわったことがなかった。抱きしめられたこともない。あの頃、私は母さんがいつかおばあさんになるなんて、思いもしなかった――。シズコさんは洋子さんのお母さん。結婚して北京で暮し、終戦、引揚げの間に三人の子供を亡くし、波瀾の人生を送る。ずっと母親を好きではなかった娘が、はじめて書いた母との愛憎。

100万回生きたねこ』の著者として知られる佐野洋子さん。
あの絵本からは、ある種の「悟り」ようなものが感じられるのですが、現実の佐野さんには、こんなにも激しくていたたまれない母親との葛藤があったのか、と僕は驚いてしまいました。
もう70歳をこえておられるのに、この『シズコさん』というエッセイのなかで佐野さんが語られる「子供に厳しかった、そして、厳しいだけではなく、よそよそしかった母親」の姿は、あまりにも生々しいものでした。
僕は男なのですが、世間の「母と娘」という関係については、羨ましさと薄気味悪さが半ばというのが正直なところです。
仲が良いのが悪いことだとは思わないけれど、「わたしたち、『友達親子』なんですよね」なんて微笑みあっている母娘をみると、なんだかすごく居心地が悪くて。
父親と息子の場合、そういう関係になることは、まずありえませんから。

 ある時、母は家に来て、娘達に召集をかけた。奈良から妹も来た。私は家を35年ローンで建てたばっかりだった。一年位前に離婚もしていた。
 母はぐるりと娘たちを目の前にして、「私は老人ホームに入ることにきめたの」場所も特定してあった。
 私は、「あと六畳位は建て増しが出来るから家に来たら」と云うと、「あんたのところお客が多いから、玄関も台所も別にしてくれなきゃ嫌よ。私にもプライバシーがあるもの」私はあきれた。
「だって、母さん家族だもん、一緒に住めばいいじゃないの、ごはんなんかも一緒に作ってさ」母は目をむいた。「あんた、年寄りを家政婦代りにするわけ?」年寄りと云っても六十を少しばかり出たところである。
 奈良の妹も団地から割合い大きな家に引っ越したばかりだった。「母さん、奈良に来たら? 一つ部屋があるから」母は云った。「嫌よ、あんたのところのダンナ、鬱陶しいもの」妹も黙った。
「とにかく老人ホームに入るの、あと400万円足りないの」「本当にいいのね」「いいの。決めたんだから」私たちは三人で二階にかけ上がり、一分もたたないうちにお金の分配が出来た。ダダッと降りて「母さん安心しな、お金は大丈夫だよ」と云ったとたん母はワーッと泣き出した。「この年になって、娘に老人ホームに入れられるなんて……」私達は呆然と立ったまんまだった。
 次の日十二歳の息子が云った。「おばあちゃんは引きとめてほしかったんだよ」

 「身内」だからこそのもどかしさ。この本には、そういう「人があまり表に出せない感情」みたいなものが、けっこう赤裸々に語られているのです。
 家事のマネージメントにおいては天才的で、気が強く、いつまでも「女性」であることを捨てられず、外面は良いのに娘である洋子さんには冷たかったお母さん。
 自分の料理の上手さが、お母さんから受け継いだものであることに嫌悪感を抱きつつも、そのことにプライドを持ってもいる娘。
 こういう「母と娘」の関係もあるのだなあ、と僕はただ圧倒されるばかりで。

 私は妙にバアさんに好かれる人だった。自責の裏返しだったのかも知れない。
 私は自分と母の関係は異常なものだと思っていたが、四十を過ぎて、自分の母が嫌いな人が沢山居るのを知って驚いた。ああ居るのか。
 ある友人は時々首をしめたくなると云った。
 その頃行っていた美容室の美容師は母親が嫌いで東北の実家に十六年一度も帰っていないと云っていた。
 東京に実家があるのに下宿しているのは母親と顔を合わせたくないからだという若い編集者もいた。
 フロイトは父と子の関係、母親と息子の関係は研究したが、母と娘の関係をシカトしたのはフロイトが男だったからだろうか。
 しかし、それぞれの関係に同じものは二つとない。
 母親が死んだら自分は自殺するという友達もいたし、恋愛結婚した人よりも母親の方が好きだという友人もいた。反抗期がなかったという人もいた。
 愛されすぎて、うっとうしくて負担だという人もいた。
 母親が立派すぎて、一生母親のいう通りに生きている人もいた。
 そしてごく普通の程のよい関係の人も沢山いた。
 そういう人達も沢山いると知って、私は安心したか。全然しなかった。
 自責の念は年ごとに混った流れになる様な気もした。

 そんな佐野さんが、母親との葛藤を克服するきっかけになったのは、「母親の呆け」だったのです。
 僕は正直、それは本当の「和解」なのかな、とも思うんですよ。
 それでも、

 私はほとんど50年以上の年月、私を苦しめていた自責の念から解放された。
 私は生きていてよかったと思った。本当に生きていてよかった。こんな日が来ると思っていなかった。母さんが呆けなかったら、昔のまんまの「そんな事ありません」母さんだったら、私は素直になれただろうか。

本当にせつない「母と娘」の物語。
でも、これはもしかしたら、そんなに特別な話ではないのかもしれません。
読みながら、「それでも、高級老人ホームに入所させられるだけの金銭的な余裕がある佐野さんは、まだマシなんじゃないかな、とか考えてしまったのは、僕があまりに痛々しい老々介護の現実を視てきているから、なのでしょうか……

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