琥珀色の戯言

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チェンジリング ☆☆☆☆☆


『チェンジリング』公式サイト

あらすじ: 1928年、シングルマザーのクリスティン(アンジェリーナ・ジョリー)は、ロサンゼルス郊外で9歳の息子ウォルター(ガトリン・グリフィス)と暮らしていた。ある土曜日、彼女は同僚に泣きつかれて断り切れずに休日を返上して仕事へと向かう。暗くなって彼女が帰宅すると、家で一人で留守番をしているはずの息子の姿はどこにもなかった。(シネマトゥデイ

日曜日の16時半からの回を観たのですが、観客は40人くらい。
レイトショーばかりで、あまり休日のこの時間から映画を観ることはないのですが、このシネコンにしてはかなり賑わっているなあ、と感じました。
口コミでけっこう人が来ているみたい。

2時間半の映画を観終えて、僕はもう、なんとも言えない気持ちになったんですよ。
ああ、クリント・イーストウッドは凄いなあ。
「すごい」じゃなくて、「凄い」。
この映画を「社会の腐敗と闘うひとりの女性の物語」や「母親の子供への愛情の深さ」を描いたものとして語り、感動することはもちろん間違ってはいないと思います。
でも、僕はこの映画を観ていちばん感じたのは、「人生の不条理」だったんですよね。
人間って、ほんのちょっとした油断や偶然、誰かのやり場のない悪意が偶然向けられてしまうことで、とんでもないところに連れていかれることがあるんだな、というやるせなさ。
そして、「当事者」ではない人たちのくるくると変わる態度。
僕は物語の後半で、クリスティンを熱狂的に応援している市民たちも正直怖かった。
世間の人たちが信じている「正しさ」って、「流行」みたいなものじゃないのか?

この映画の観客は、クリスティンが「狂っていない」し、彼女のもとに戻ってきた「息子」が偽者であることを「知っている」のです。
でも、僕が当時生きていて、この事件についての知識がすべてメディアを通じてのもの(テレビは当時なかったので新聞やラジオ)と近所の噂話だけだったら、僕は訳知り顔で、「このお母さん、子育てが嫌になって息子を偽者だって言い張っているんじゃない?」あるいは、「気がふれてしまったのでは?」と考えてしまうのではないかと思うのですよ。
この映画の設定を「子供をとりかえるなんて、やらないだろそんなこと」と感じる人は多いはず。
でも、みんながそう思い込んでしまうところに、こういうバカバカしい「作戦」が成り立ってしまう土壌がある。
もしかしたら、同じような事例で、「受け入れてしまった」ケースもあるんじゃないか、という気もします。

この映画、観た後に幸福感に浸れるような作品ではありません。
僕は観終えて、思わず家に電話して息子の無事を確かめてしまいました。

クリント・イーストウッド監督のすごいところは、この映画で、「不条理なものを不条理なまま観客にさらけ出していること」だと思うんですよ。
この映画を最後まで観ても、観客はどこへも行けません。
それでも、人はいろんなものを信じたり疑ったりしながら、生きていくしかない。
「いなくなった子供は、24時間は捜査しない」という警察の対応に観客は憤るけれど、本当に「いなくなった子供を全員すぐに捜索する」ようにしたら、警察はすぐに容量オーバーで機能不全に陥ってしまうはず。
そして、クリスティンに救いの手を差し伸べたのは「宗教」の指導者であり、彼とて100%の善意(子供の命を救いたい)というよりは、「この機会に警察の悪事を告発したい」という自分の目的を最優先にしています。
でも、こういう「活動家」の協力をえないと、社会というのは動かない。
そもそも、あのタイミングで事件が「発覚」しなければ、「闇に葬られていた」可能性もある。

ミリオンダラー・ベイビー』を観たときにも感じた、「クリント・イーストウッド映画の凄さ」をあらためて思い知らされる傑作でした。
「答えがないものを、答えがないまま映画にして、それを最後まで観客に見届けさせること」
それは、本当に難しいことのはず。

これは本当に傑作です。
「予告編を観て、内容がわかったような気分になっている人」には、ぜひ時間をつくって観ていただきたい。
でもなあ、小さな子どもがいる人は、かえって観ないほうがいいかもなあ、すごく気が滅入るから……

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