琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

マンナンライフ事件は、やっぱり「事故」だと思う。

参考リンク:マンナンライフ事件は事故なんかじゃない - 虚構組曲

この事故と訴訟についての記事を御紹介しておきます。

 兵庫県の1歳男児がこんにゃくゼリーをのどに詰まらせ、昨年9月に死亡した事故で、製造会社「マンナンライフ」(群馬県富岡市)の対応に問題があったとして、両親が3日、同社などを相手に計約6200万円の損害賠償を求める訴訟を、神戸地裁姫路支部に起こした。
 訴状によると、男児は昨年7月29日、兵庫県内の父親の実家で、半解凍状態だったとみられる「蒟蒻(こんにゃく)畑 マンゴー味」をしばらく触った後、口に入れてのどに詰まらせた。加古川市内の病院に搬送されたが、約2カ月後に死亡した。
 両親の代理人の弁護士らは記者会見し、同社のこんにゃくゼリーは、大きさがのどをふさぐ程度で、硬さや弾力性がのみ込みにくいものとなっており、容器の形状を考えると設計上の欠陥があると主張。同社が事故を認識しながら、適切な改善措置を取らずに製造・販売を続けたとした。
 男児の両親は事故後、同社に連絡を取ったが、謝罪はなかった。示談交渉でも、書面で2回やりとりしただけで、解決できなかったという。両親は弁護士を通じ、「マンナンライフ社の企業努力によって(死亡事故は)防げた」とコメントした。
 マンナンライフによると、同社は事故を受け、昨年10月に製造を一時中止。約1カ月半後、「凍らせないように」という警告文を追加し、1つ1つのゼリーに警告マークを入れるなど改善策を講じた上で、製造と販売を再開した。
 マンナンライフの話 訴状を見ていないのでコメントは差し控えたい。 


うちの息子、いま4ヶ月とちょっと。
ずっと母乳+ミルクだったのだけれど、そろそろ離乳食をはじめたほうがいいかな、ということで嫁は日々悩んでいます。
お義母さんや保健師さんにも相談しているし、ネットで情報を集めたり、本を読んだりしてもいるんだけど、これがもう、調べれば調べるほどわけわかんなくなっちゃっているのです。
「4ヶ月くらいからそろそろ離乳食を!」って書いてある本もあるし、「6ヶ月くらいまではミルクだけにしておいたほうがいい」と言う人もいる。
もちろん、その時代時代によって、ある程度の「標準」みたいなものはあるんだと思うけど、初めての子育ての親にとっては、試行錯誤の積み重ねなのです。

↑のエントリとこれについたブックマークコメントを読みながら、僕は暗澹たる気持ちになりました。
この事例、「虐待致死」っていうのは、あまりにも祖母がかわいそう。
確かに、「子どもが食べるものに注意をするのは保護者の義務」です。
あの溶けにくい「こんにゃくゼリー」を「凍らせて」1歳9ヶ月の子どもに与えるのは、やっぱり「危険」だとは思う。
とはいえ、1歳9ヶ月の子どもっていうのは、けっこう歩いて動き回るし、いろんなものが食べられるようになっているので、「このくらいは大丈夫なんじゃないか」と思い込んでしまうのも理解不能とまでは言い切れない。
こんにゃくゼリー」という食べ物と「普通のゼリー」との違いについて(いやまあ、「凍らせて」っていうのはあんまりなのだけど)、僕の親世代がどこまで認知しているかと考えると、「まあ、よくわかんないおばあちゃんがこの世界にひとりくらいはいても、しょうがないだろうな」という気がするんですよ。
全くもって「未知の食べ物」「想像もつかない食べ物」であれば、おばあちゃんだって子どもにあげなかったはずです。
ところが、高齢者というのは、「自分の経験の範疇で物事を判断する」傾向が強くなるものなので、「こんにゃくゼリー」を見て、「ああ、こんにゃく味のゼリーなんだな」というような解釈をしてしまった可能性が高いのではないかと。

この御時世でも「振り込め詐欺」に引っかかる高齢者が少なくないように、「情報」というのは、日々ネットで「新しい情報」にアクセスしている僕たちが考えているほど、隅々までいきわたっているわけではないのです。
仕事柄たくさんの高齢者と接するのだけれども、高齢者というのは、「昔のことをものすごくよく知っている」一方で、「いまのことは驚くほど知らない」場合が多い。

この事例で、もっとも傷ついたのは、もちろん亡くなった子どもです。
そして、次に傷ついたのは、この「こんにゃくゼリーを食べさせた」祖母だと思います。
かわいい孫に食べさせてあげたものがのどに詰まって、こんな事態に陥ってしまったのだから。
でも、だからといって、すべてを「マンナンライフの責任」にしてしまうのは、さすがにあんまりです。
少なくとも、世間一般の感覚(ただし、それが「ネットを自由に使いこなせるくらいの「情報力」がある人たちの声であるというのは、忘れてはならないことです)では、「食べさせるべきじゃないものを食べさせた」としか言いようがないから。

この訴訟に関しては、あの「割りばし死亡事故」のことを思い出さずにはいられません。
子どもを失ったつらさを「誰かの責任にして、自分たちが救われたい」という面があるのではないかと思うし、当事者としては、「自分が壊れてしまうことを防ぐための反応」なのかもしれません。
とはいえ、これで訴えられたマンナンライフもたまらないでしょう。
気持ちはわかっても、自分に火の粉が降りかかってくれば話は別です。

ただ、僕はこの件について、最初に連絡をとったとき、マンナンライフがどういう対応をしたのかというのはちょっと気になります。
筋としては、「うちには責任はない」で間違ってはいないのでしょうが、あまりに無下に扱ったり、両親を傷つけるようなことを言った可能性だってある。そのあたりは、もう少し慎重に経緯をみなければならないな、と考えます。

そして、もうひとつ感じたのが、「誰かの責任にしなければならないという、いまの社会の残酷さ」だったんですよね。
この人たちは、「ただお金が欲しくて、訴訟を起こした」わけではないと思うのです。
この両親のもとには、子どもを失ってから、弔いの声も届いたでしょうが、その一方で、いわゆる「世論」として、「お前たちの責任だろ!」という声がたくさん浴びせられたのではないでしょうか。
彼らは追いつめられて、「自殺する」か「世を捨てて出家する」か「悪いのは自分たちじゃない!と主張する」かのいずれかを選ぶしかなくなったのではないかなあ。
それで、結局は「他の誰か(この場合はマンナンライフ)の責任にする」ことを選んだのではないかと。
もし、世間が「不幸な事故だったねえ。おばあちゃんも悪気があったわけじゃないんだから、責めちゃダメだよ」という反応を示す、あるいは、彼らの耳に届くものがそういうものばかりだったら、こんな訴訟は起こらなかったかもしれません。

僕はこの事件や「わりばし事件」のことを考えると、とてもやりきれない気持ちになります。
どうしてみんな、人の死を「誰かの、あるいは何かの責任」にしたがるのだろうか?と。

この「こんにゃくゼリー事故」から学ぶべきところは多いし、「悲しいこと」ではあるけれど、「虐待」だと言われるほどの事例ではないはず。
この世界で起こるすべてのこと、誰が悪いわけでもないことにまで「誰か責任をとるべき人がいるはず」と「犯人探し」をしてしまうというのは、良い傾向だとは僕には思えないのです。

悪意がなければいいのか。知らなかったら許されるのか。
「当たり前」を当たり前に行使できない人間のレベルまで、我々の社会は基準を落とさなければいけないのだろうか。

僕はこういう場合、「悪意」がなければ許されて良いんじゃないかと思います。
もちろん、食べさせたのが、「子どもを扱うのを仕事にしている専門家」であれば話は別ですが、このお祖母ちゃんは、子どもを死なせてしまったことによって、すでに大きな「制裁」を受けているはず。
「当たり前を当たり前に行使する」というのは、実はかなり大変なことだし。

子どもの食事や教育って、本当に「百家争鳴」という感じなんです。あまりにみんながバラバラなことを言っていて、困惑するばかり。
こんにゃくゼリーをどんどん食べさせましょう」と書いてある本はありませんが、「絶対に食べさせないように」と書いてある本もそんなに多くないのです(それこそ「そんなの常識」だからかもしれませんけど)。

いやほんと、「子育て」って怖いし、わからないことだらけです。
この4ヶ月、何度ヒヤリとしたことか!
親や周囲や専門家に尋ねることやネットで調べることですべてが解決するなんてものじゃない。
「偶然事故が起こらなかっただけ」の親経験者や「ネットで一部の情報を知って憤っているだけ」の育児未経験者が振りかざす「世間の常識」というのは、あまりに無責任なもののように僕には感じられます。

あまりに「完璧な子育て」を要求される世の中っていうのは、すごく危険な気がするのです。
もちろん、「先人の事例から学ぶこと」を忘れてはいけないのだけれども。


追記(2009/3/10)
コメント欄で教えていただいたのですが、この「祖母」は40代だそうです。
僕は「祖母」というだけで60代以降の「おばあちゃん」を想定してしまっていたので、その点は大変申し訳なく思っております。
ただし、年齢が40代であることというのは、「ある程度若い年齢の人でも、同世代間に『情報格差』が確実に存在している」ということでもあるのです。
病院で仕事をしていると、30〜40代でも愕然とするほど知識に乏しい人もいるし、70代、80代でも世間のことにずっと興味を持っている人もいます。
「若いから知っておくべきだ、知っているはずだ」とも、言いきれないのではないかと。

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