- 作者: 下関マグロ
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2009/04
- メディア: 文庫
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内容(「BOOK」データベースより)
世界では僕のことを“露出者”と呼ぶ。なぜなら、名前と写真、自宅の電話番号入りの個人広告を雑誌に出したから。以来、電話の嵐。「マグロさん、ボク、カツオです」などの名前ジョーク、「カツ丼三つ」などの出前ジョークから、「ぶっ殺すぞ」「特ダネ買ってよ」「3Pしませんか」まで、アブない電話が一カ月で千本!ちょっと危険な爆笑エッセイ。
先日、下関マグロさんの話をちょっとだけ書いたのですが(内容はかなり記憶違いだったみたい)、この『まな板の上のマグロ』は、あの『露出者』の文庫化(少し加筆あり)だったんですね。というか、単行本から10年経っての文庫化なのか……なぜいままで文庫化されなかったのか、そして、なぜいまさら文庫化されたのか?
そういえば、最近下関マグロさんの名前を見ないので、「北尾トロと同一人物なのか?」などと勝手に想像していたのですけど、この10年間は、マグロさんにとってもけっこう大変だったみたいです。
今回、10年ぶりに読み返してみた感じたのは、マグロさんがこの本のなかで行っている「名前と写真、自宅の電話番号入りの個人広告を雑誌(「お友達募集!」というキャッチコピーとともにレディースコミックやアダルト誌)に出す」という行為のインパクトは、この10年間でだいぶ薄れてしまったな、ということでした。
その大きな原因のひとつはやはり「インターネットの普及」にあるのかもしれません。
10年前は、「パソコン通信」という狭いコミュニティの時代から、ようやくインターネットが普及しはじめ、ハンドルネームでの「メールフレンド探し」が流行り始めたくらいの時期でした。
その後、ネットが普及してくると、この本のなかで下関マグロさんがやっているような「露出」をやっていたり、「体験談」を公開する人が、ネット上にたくさん出てきたのです。
まあ、マグロさんの凄さというのは、「名前を出して、雑誌という公の場でそれをやっていること」ですし、マグロさんのおかげで、「伝言ダイヤルとかカップリングパーティとかって、みんなサクラってわけじゃないから(もちろん、そういうのが多いみたいですが)、こうして商売として続いているのだな、ということが、実際にそういうことをやってみる勇気も無謀さもない僕にもわかったのですけどね。
それにしても、10年ネットやってると、多少の「個人情報露出趣味」じゃ驚かなくなるよね本当に。
一方では、過剰なまでに「隠そう」としているというのに。
「あれは、まっさんが演じているキャラクターで、本当は何か隠しているんだろ。人には言えないこともやっているんだろ」
当時、『裏モノJAPAN(鉄人社)』の編集長であったオガタによく聞かれた。いや、本当なんだ、僕は自分自身の電話番号はおろか、住所や収入、借金の明細、セックスライフなどすべて活字にしてきた。隠していることなどない。もしあれば、またネタにするだけだ。
なんでこんなことをしはじめたのかというと、一種の読者との約束事のようなものだった。僕が高校生や大学生のとき、エロ関係の記事に、嘘や誇張があった。そんななかで、本当のことが書かれていたりすると、異様に興奮できた。たとえばそれは、本当にSMやスワッピングをやっている人たちの手記や、写真家がその奥さんを撮った写真だった。(中略)
僕自身、誰のために文章を書くのかと考えたときに、やはり読んでくれる人のために書くのだと思う。しかし、僕が駆け出しのライターの頃、仕事の多くは編集者のためだったり、取材先のためだった気がする。数は少ないが広告コピーも書いたことがあるから、こんな場合は広告主のために文章を書いていた。
それが僕にはいやだった。作家なら自分のために書くという人もいるだろうが、僕は作家ではない。そもそも、僕は文章を書くのが好きではないのだ。ならば何のために書くかといえば、僕の場合は読者のためである。読者の利益は、僕が見たことを嘘や誇張なく、そのまま知ることだ。そうなると自分自身のことも嘘や誇張なく、正直に書かなければならない。嘘や、書くべきことを隠してしまうことは、読者に対する裏切りだと僕は思ったわけだ。
そんな行きがかりで僕はこれまで、普通の人なら隠したがることを公開してきた。それでわかったことは、人は何かを隠すからこそ守るべき秘密が生まれてしまうということだ。だからこそ、それがゆすりの対象になったりするわけだ。隠すもののない露出者は強い。たしかに強いのだが、日々の生活は楽しくない。たとえばそれは、自分自身の行動が24時間、テレビで放映されているようなもので、それは極めて窮屈なものになる。かっこつけてしまうからだ。
たとえば、ここで女の子を口説いてホテルに誘おうと思っても、いや、うまくいけばいいが、うまくいかなかったらそれも正直に書かなくてはならない。ならばここはちょっと我慢しよう、というようになってしまう。
引用部の最後のところは、ネットでの「露出者」たちをみていると、「うまくいかなかったら、それをネタにできるから」という理由で、かえって「自分の人生にリアリティを失って、過激な行動をとってしまう」場合もあったのではないかと思うのですが、マグロさんの「誠実さ」は、僕も含めて、一部の人間には、けっこう影響を与えているのではないかと感じます。
これを読みながら僕は、「世の中には、淋しい人がけっこうたくさんいるのだな」と思わずにはいられませんでした。というか、「淋しい人」か「淋しいと思わないようにしている人」しかいないのかもしれませんね。