琥珀色の戯言

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お母さんという女 ☆☆☆☆


お母さんという女

お母さんという女

出版社/著者からの内容紹介
自分が子どもの頃の母のことを想うと、せつないような、不思議な気持ちになりませんか? 母と一緒に過ごす、なんてことのない毎日の昔と今を愛を込めて著者が描く、笑ったあとにホロっとくる、ほのぼのコミック&エッセイ。大好評だった文庫版のイラストをすべて新しく描き直し、書き下ろしを加えての新装版。

この本を読みながら、僕は「母と娘」には、「母と息子」とは全然違う世界があるのだなあ、ということを考えていました。
益田ミリさんとお母さんは年に何度も旅行に出かけたりして、本当に「仲良し親子」なんだけど、益田さんはお母さんをけっこう冷静に観察しているんですよね。父親と息子の場合は、「支配・被支配」とか「儀礼的無関心」になってしまうことがほとんどだし、母親と息子というのは「盲愛」になってしまいがちなのですが、母親と娘というのは、「友達のような関係」になる場合があるのだなあ。
世間では呆れられたり、懼れられたりしがちな「オバサン」という存在の優しさ、愛らしさを益田さんはふんわりと描いておられます。
読んでいて、「お母さんという存在のしあわせ」に満たされる作品。

 母はよく「いつもニコニコしていなさい」と子供の頃からわたしと妹に言っていた。まぁ、ムッツリしているより感じがいいからそうしていなさい、ということなんだろうけど、実はこれは人間関係を築くうえでとっても重要なことを習っていたのである。
 よく笑う人と一緒にいると単純に楽しいし、その人が笑えば笑うほど、一緒にいる自分が楽しいことを言っている人間になったようなワンランクアップ気分になる。
「笑い」についてあーだこーだと語っている人に限って一緒にいてもつまらない、なんてことが往々にしてある。そういうタイプは、笑いについて熱心に研究しすぎているせいかあんまり笑わないので、こっちも話す気が失せてくるのである。
 母は本当にくだらないことでも大笑いしている。女優さんたちの白々しい天然ボケにも迷わず笑っている。だけど、それを近くで見ていると心がほんわかするもので、笑いの頻度が少ない人のほうがかえってカッコ悪いんじゃない?
 などと目からウロコが落ちそうになるのだ。
 母を思い出すとき、母はいつも笑っている顔である。
 今にも「オシッコちびりそう」などと言い出しそうな笑顔である。
 わたしも誰かに思い出されるときには「笑っている顔」になっていたいものだ。そのほうが会いたいなと思ってもらえそうである。母の笑顔は、わたしにそんなことをふと思わせるのだった。

 僕はずっと「面白くもないのにやたらとニコニコしているのはカッコ悪い」と思いながら生きてきたのですが、最近、「それでも、笑顔って大切だよなあ」とあらためて感じています。息子の笑顔を見ていると、とくにそれを実感するのです。
 これはもう、自分の力だけでは生きていけない赤ん坊の「生きるための武器」なのかもしれません。
 本当に面白くて笑っているのかどうかよくわからないのだけれど、それでも、「笑顔」を見るために、なんでもしてあげたくなってしまう。

 「いつもニコニコしている人」って、それだけで周りを幸福にしてくれますよね。まあ、努力してやろうとしても、僕の場合はもう不気味は引きつり笑いしかできなくなっているのですけど。

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