琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

取るに足らない事件 ☆☆☆☆


取るに足らない事件

取るに足らない事件

内容紹介
匂い立つ混沌(カオス)の時代、焼け跡の時代、昭和20年代。
双子ドロに万引き機械、食い逃げ会社にのど自慢強盗…。戦後の混乱期、昭和20年代の新聞から取るに足りない事件ばかりを拾い集め、新たに光をあてた可笑しな可笑しな犯罪帳。

イラスト、写真、多数掲載!

「太平洋戦争」終戦直後、混沌の昭和20年代の「取るに足らない事件」を当時の新聞からよりぬいて紹介している本。
読んでいると、60年前にも、いまのワイドショーで軽くネタにされるような「お間抜けな小悪党」がけっこういたのだということがよくわかります。
規模や手口はさまざまながら、「一般的な悪いやつ」が考える悪事には、そんなにバリエーションはないのだな、という感じです。

しかしながら、この本、「犯罪の内容そのもの」よりも、「終戦直後の世相を描いた本」として、非常に面白く読めました。

(昭和24年の「元陸軍の兵器図が多量に盗まれた事件」についての著者のコメントの一部)

 そうなるともうひとつの可能性が浮かんでくることになる。犯人は兵器などはどうでもよく、単に紙がほしかったのではあるまいか。
 当時は慢性的な物資不足の時代であったが、出版界における紙不足も深刻なものだった。
 戦時中、思想、言論は軍部の統制下にあり、にらまれた雑誌や書籍は軟弱だの不敬だの批判的だの主義的だのとイチャモンをつけられ、多くが発禁処分を受けた。その数は多く、谷崎潤一郎志賀直哉江戸川乱歩といった名だたる作家までもが発禁を食らうほどだった。
 だが終戦後、自由が訪れると出版界は息を吹き返し、また娯楽に飢えていた民衆は、こぞって本に飛びついた。
 とりあえず活字が印刷してあれば売れるとも言われたほどの人気で、哲学者の全集の発売日が待ちきれず、神田の岩波書店には三日前から行列ができたという。岩波の哲学書にドラクエ並みの人気が集まったのだから、民度という意味では素晴らしい時代だったのかもしれない。

この本を読んでいると、「戦後の混乱期」を生き抜いた先達たちのつらさとともに、あきれかえるほどの生きるためのしたたかさも感じずにはいられません。
とくに巻末のコラム「早送りの戦後史(2)〜マッカーサーはノッペラボー」は白眉でした。

GHQの最高司令官・マッカーサー元帥がアメリカからの食糧支援をとりつけたときの、日本人の熱狂ぶりといったら!

 そしてそのあふれまくる感謝の念は占領軍でさえも予想しなかった形で現れる。マッカーサー元帥(以下、マ元帥)に熱烈な「ファンレター」が届き始めたのだ。
 ファンレターは膨大な数に上った。膨大すぎてその数は正確にはわからない。だがGHQに届く手紙は一日でも数百通にも及び、占領期間中に公式処理されたものだけでも50万通に及ぶという。その多くには感謝の言葉が連綿とつづられており、中にはその度合いが尋常ではなく、書き手の脳内にドーパミンやら何やらの興奮物質が渦巻いているかのようなものもあった。

(中略、『マッカーサーの二千日』という書籍から、手紙の一例が紹介されます)

 この他にも、天地神明に誓ってマ元帥に感謝するというもの、マ元帥を世界の主様と讃えるもの、元帥様のお姿を朝な夕なに崇め奉っているというもの、加えて各地の市町村からは感謝状が、小学校からは「マッカーサーげんすいさま きゅう食をありがとう」といった児童からのお礼の手紙が、そしてさらに多くの女性からは「あなたの子供を産みたい」というお便りが多数寄せられ、GHQ通訳班を困惑させた。

「いまの日本人は、熱しやすく冷めやすい、無節操」って、「戦後世代」は僕たちに言うけれど、それはもう「伝統芸」みたいなものなのかもしれません。
それとも、「どこの国民でも、同じ状況になればこんなもの」なのだろうか……
「後世からの視点」ではなく、「同時代に生きた人々が体験してきた歴史」を感じられる本です。
歴史、とくに日本の戦後史に興味があれば、かなり興味深く読めるのではないかと。

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