琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

表層的なポジティブと本質的なネガティブ


表層的なポジティブは本質的なネガティブだから(憂鬱な昨日に猫キック 不安な明日に猫パンチ)

↑のタイトルで思い出したこと(エントリの内容とはほとんど関係ないです)

 僕の大学の同級生にTという男がいるのだが、彼はものすごく真面目なヤツだった。
 研修医時代も、ずっと遅くまで仕事をしていたし、みんなが「そんなのあわてて取らなくてもいいよね」と言い合っていた認定医や専門医に、取得条件を満たすとすぐ合格していった。天才というよりは、究極の秀才型、というのが周囲の評価だったように思う。

 あるとき、飲み会で、僕はTに尋ねたことがある。
「そんなに真面目に仕事ばっかりして、くたびれない? 僕なんか日常業務だけで一杯一杯なのに」
 ほろ酔い加減だった彼は、こんなふうに答えてくれた。
「いや〜俺って本当に『めんどくさいこと』が大っ嫌いでさあ……で、考えれば考えるほど、将来いちばんめんどくさくない方法っていうのは、さっさと資格をとれるだけとって、いろんな準備をしておくことなんだよね。資格なんて、後回しにすればするほど、かえってめんどくさくなってくるだけだから」 
 Tはさっさと医局に見切りをつけ、現在は開業医として成功を収めている。


ものすごく他人を信じている人々
↑のようなエントリを以前書いたのだけれど、いわゆる「ネガティブ思考」というのも、「本当は他人(あるいは、自分の力以外の『何か』を信じている」からこそ、外に向かって表出できるのかもしれないな、と思う。それを「甘え」とか言うのは、あまりに厳しすぎるのだろうけど。
僕が知るかぎり、「他人に心底絶望している人」というのは、愚痴をこぼしたりしない。そんなものは、「自分の弱点を曝すだけで、何のメリットもない」と考えているし、「愚痴るくらいなら、裏切られても対処できるようなポジションに自分を置くこと」と意識しているから。
彼らは、表には何も出さずに、朗らかに挨拶をして、テキパキと仕事をこなす。
そして、他人に深入りしないし、自分にも深入りさせない。

「ポジティブ思考の人」の心のうちは、もしかしたら、ものすごくネガティブで、ある種の強迫観念にさいなまれているのかもしれない。
ネガティブ思考が深くなればなるほど、他人に期待できなくなればなるほど、「(自分を守るために)外にはポジティブな自分を見せておかなければ」と考えるようになるのかもしれない。
たぶん僕たちは、そういう人たちに毎日言い続けているのだ。
「いつも前向きでうらやましい」って。

ネガティブを極めると、人は、ポジティブに生きるようになる。
表層的には、ね。

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