マスコミをマスゴミと言っているようじゃ…。(ニシエヒガシエ(2009/6/18))
↑のエントリを読んで。
とりあえず、『ウェブはバカと暇人のもの』に関しては、読まずに批判するのはどうかとは思うけれど(「読んでいない」わりには、批判している内容は正鵠を射ているのですが)、これを読んでいろいろと考えさせられたことを書いてみます。
焼肉店・床に肉を叩きつけるシーンは嘘「テレビ局に言われてやった」【追記09/06/01】(ロケットニュース24)
日テレ報道の焼肉店「取材の方に嘘をついた。いつも床に肉を叩きつけている」(ガジェット通信)
↑の騒動、まだけっこう記憶に新しいのですが、僕はこのニュースそのものよりも、このニュースに対する、多くの「ネットユーザー」たちの反応に考えさせられました。
多くの人が、最初のニュースで、「日本テレビのやらせ」を糾弾していたのですが、それが「やらせではなかった」ことが判明したとたん、今度は店に抗議の嵐。
そりゃ、ウソついてたんだから、この店が悪いですよ。同じ人が、あっちを叩き、こっちを叩きしていたのかもわかりません。
でもね、こういうのを見て、「俺たちを騙しやがって!」って、常に被害者意識に立てるのって、何なんだろうな、とは思います。
この一連の流れのなかで、日本テレビは「冤罪」で叩かれたわけですよ。にもかかわらず、「日本テレビに謝罪した人」は、何人いたのだろう?
僕は「マスコミ」が大嫌いです。
それはある体験からきています。
僕たちがある事件の被害者になったとき、あまりのショックに、僕たちは家でうなだれていました。
そんなとき、ドンドンドン、と家のドアを激しく叩く音。
「○○新聞の者です!今回のことについて、コメントをいただきに来ました」
「今は精神的にも参っていて、とてもお話できるような状態じゃありません……」
「そうですか。そう仰るのなら、新聞に何を書かれても知りませんよ!」
結局、「あなたにお話することなど、何もありません」とお引取りいただいたのですが、マスコミ人の全員が、こういう人ではないのだろうな、と信じたいところです。
でも、一度こういう体験をしてしまうと、「彼らは、被害者を脅迫してコメントを取る連中で、取材拒否されたら、好き勝手なことを書く人たちなのだ」と考えざるをえなくなります。
医療の世界でも、「報道被害」に苦しんでいる人は、大勢います。
厳しい条件のなか、患者さんを助けるために一人きりで頑張った産婦人科医が、さまざまな「感傷的な報道」で傷つけられた事件は、記憶に新しいものです。
しかしながら、マスコミは、その医師に対して、補償どころか一言の謝罪すらしていません。
警察を責める声はあっても、マスコミを責める声は小さい。
報道被害というのは、受ける側にとっては取り返しのつかないダメージなのに、多くの人は、「自分がそんな目に遭う可能性は低いし、誰かを叩くと面白いから」という理由で、それを黙認しているのです。
それでも、僕はネットの海を長年さまよってきた末に、「マスゴミ」などという言葉を使うのはバカバカしい、といまは考えています。
何年か前に、某マスコミで働いている高校の同級生に「なんでお前らは『医者に対する不当な報道』ばっかりやるんだ?現場の実情だって、取材していればわかるはずなのに」と尋ねてみたことがあります。
彼の答えはこうでした。
「いや、お前の言いたいことはわかる。でもな、読者は政治家と公務員と医者を叩くと喜ぶんだ。それが、どんな偏った内容でも。結局さ、俺たちだって商売だから、お客さんが喜ぶ記事を書かざるをえないんだよ。俺たちだって悲しいけどね」
「マスコミ」というだけで批判したがる人ってけっこう多いのですが、考えてみてください。彼らはみんな、あなたと小学校や中学校で一緒のクラスだった、「どこにでもいる、ちょっと勉強ができたヤツ」のなれのはてでしかありません。
もちろん、「最低限の職業倫理」というのはありますが、「どんなに読者の評判が悪くても、『本当のこと』『社会にとって大事なこと』を書き続けられる」なんて気骨のある人は、ほとんどいないでしょう。
僕だって、あなただって、もし「マスコミ」の一員になっていたら、同じようなものだと思う。
自分や家族を飢えさせてまで、「純粋な真実」を語れる自信がある?
「ブロガー」とは何者なのか?(琥珀色の戯言)
↑のエントリは、2年前に書いたものですが、人というのは、「マスコミと同じような立場になれば、マスコミと同じように振る舞ってしまう」可能性が高いのではないかと思うのですよ。
『クライマーズ・ハイ』という小説があるのですが、そこでは、日航機墜落事故の報道に携わった地元新聞記者たちの姿が描かれています。
彼らは、「社会のため」「被害者のため」に身を粉にして働くのではなく、「自分の手柄として、スクープをとるため」、そして「うまく言葉にできないような使命感」のために、ボロボロになって現場で取材をしていたのです。
マスコミの人間だって、基本的には、「社会のため」や「読者のため」に仕事をしているわけじゃない。
もっとも、それは「公言すべきこと」じゃないのかもしれませんけど。
僕はこんなふうにも考えています。
「もしそれを読者やスポンサーがいちばん喜んでくれるのならば、『事実をありのままに書く』のが、マスコミにとっては、いちばんラクなんだろうな」って。
そうじゃないから、マスコミはウソをつく。つかざるをえない。
極論すれば、NHKみたいに、みんながお金を出してCMや広告を廃止し、公正で勉強になる番組しか観ないようにすれば、メディアは公正中立で良質なものになるはず。
でも、現実はそうじゃないし、そういうことを考えてみる人さえ、ほとんどいない。
そもそも、「マスゴミ批判」をする人の大部分は、「別のマスコミから出てきた情報」や「ネットの噂」を「ソース」にしています。
いやちょっと待ってくれ。朝日新聞は信じられないけど、「朝日と違う内容が書いてある」という理由で、讀賣なら信じられるの?
誰が書いたかすらわからない「2ちゃんねる」の書き込みを、「実体験っぽい」「内部情報っぽい」という理由で信じるの?
僕は、自分の目や頭を使わずに、他の「マスゴミ」が発した情報やネット掲示板の噂話を根拠に、「マスゴミのウソツキ!」なんて言う人を見ていると、いつもある種の人たちを思い出します。
それは、「病院で出される薬は、副作用が多くて危険だから、信じられない。こっちの健康食品のほうが『自然』だから効果がある」っていう患者さんたち。
最終的には、何を信じるかは、個人の自由です。
でもね、病院の薬は、治験という厳密なプロセスを経て認可されたものだし、「副作用」というのは、「作用」があるものには避けがたいのですよ。「血圧を下げる薬」には、「血圧が下がりすぎてしまう危険」がありますし、人体にはさまざまなアレルギーがあって、「すべての人に、ちょうどいい効果があって、悪い作用が起こる可能性がゼロの薬」なんてありえない。それは、「どんな食べ物でも、100%安全とは限らない」のと同じです。
……というような話をしても、「治験での効果」よりも「チラシの誰が書いたかわからない体験談」のほうを信じてしまう人というのは、けっして少なくない。健康食品のほうが「効かないし危ないのに高い」にもかかわらず!
人は「信じたいものを信じる」のだなあ、と考え込まずにはいられません。
確かにどうしようもない記事や記者はいますよ、僕があの日絶望させられたような。
それでも、「大手新聞社がチェックして出した記事」(しかもそれは、誌面に載ることやネットに出ることで、何百万人もの人が、リアルタイムで「検証」しているわけです)と、「ネット上で、ある個人が取材もせずに書いた話」や「巨大掲示板の噂話」のどちらが「信頼性が高いか?」なんて、考えるまでもないでしょう。
もちろん、マスコミにはいろんな利害があるので、内容を鵜呑みにしてはいけないけれど、「ゴミ」扱いして全否定するのは、それこそ、「自然食品至上主義者」と同じような、「信じたいものしか信じない自分」を肯定するために、不当に何かを貶めているだけのことでしかありません。そして、その「しっぺ返し」を受けるのは、自分自身。
何かを「100%信じない」というのは、実は、「100%信じる」のと同じことなのではないかという気がします。
新興宗教の世界では、たくさんの「新興宗教ショッピング」という人たちがいるそうです。ある宗教に入信して、熱心に活動していたと思いきや、すぐに他の宗教へ、その繰り返し。「教義」に納得できるかということよりも「自分の居場所」が欲しい人。同じような「ビジネス書渡り鳥」もたくさんいるそうです。次ぎから次へとビジネス書を読破するのに忙しくて、実践する暇がない!
メディアリテラシー、という言葉があるのですが、いまの時代に必要なのは、まさにその「情報の取捨選択ができる能力を身につけること」なのです。マスコミは、嘘をつくかもしれない。でも、マスコミがなければ、僕たちは手の届かない場所の情報を得ることができない。となれば、「うまくつきあっていく」しかない。
僕は最近、「マスゴミ」扱いするよりは、「良質な記事やそれを書いている記者を、積極的に称賛しよう」と考えているんですよ。
そのほうが、マスコミは少しずつでも良い方向に向かってくれるのではないかと。
もちろん、違うと思ったことには、違う!って言い続けますけどね。
……なんで当たり前のことを、こんなに長々と書いてしまったのだろう?
でもね、ほんと、こういう「当たり前のこと」って、意外とどこにも書いてないんですよ、自分で言うのもなんですけど。