琥珀色の戯言

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尾道坂道書店事件簿 ☆☆☆☆


尾道坂道書店事件簿

尾道坂道書店事件簿

内容紹介
著者・児玉憲宗が勤める啓文社は、昭和6年、尾道にある商店街に十坪ほどの店舗、わずか3人で創業した。もともとは、煙草の元売捌をしていたが、制度廃止後、今まで、身体の害になるものを売ってきたから、今度やる商売は人の役に立つものにしたいと、薬局か書店かに絞られた末、書店をすることにしたという。今では広島県内に二十店舗を展開する書店チェーンである。
そのお店で、先輩から仕事を盗み、良いお店に向かってがむしゃらに突き進んでいた児玉を襲ったのは、脊髄の悪性リンパ腫だった。新店オープンを前に入院することになるが、児玉は一切泣き言をもらさず、現実と立ち向かい、手術、リハビリの末、退院。手に入れたのは車椅子とバリアフリーの家、そして「わしはおまえに障害があろうと特別扱いはせんよ。バンバン仕事をやってもらうから。」と肩を叩く社長をはじめ、同僚だった。現在本部として啓文社の売り場を支えているが、そのフットワークは、誰よりも軽く、改造した車に乗って各店舗を見て歩く。そんな書店員人生と地方の書店の現状、本部という仕事を描いた1冊。

「難病を患いながらも、懸命に書店員という仕事にこだわり続ける、児玉憲宗さんのエッセイ集……なのですが、児玉さんは、「悪性リンパ腫」という難病のために下肢が動かなくなり、車椅子の生活を余議なくされているという現実を、けっして「お涙頂戴」の話にされてはいません。むしろ、「本を仕入れて、売る」という仕事に対する児玉さんの強烈なこだわりのほうが、強く印象に残る本です。

 児玉さんは、自分の体験を「美談」として済ませようとはしていません。
 退院後、車椅子で職場に復帰後出席した、ある会合でのエピソード。

 ある書店チェーンの社長が、わたしを見つけて声をかけてくださった。
「復帰おめでとう」
「ありがとうございます。クビにならずにまた働けることになりました」
「そうだね。わたしの経営者だからよくわかるけれど、手塚社長のような人はなかなかいない、感謝することを忘れてはいけないよ」
「もちろん、わかっています」
 いっしょにリハビリを頑張った仲間たちが退院するわたしを見送ってくれた時に見せた何とも複雑な表情を忘れはしない。障害者にとって退院は必ずしもめでたいことではないことを知っているからだ。社会に出ればさらに厳しい新たな戦いが待っている。特に、両下肢麻痺の障害者が以前の仕事に復帰することは奇跡に等しかった。
「退院したらどうするの」と訊かれ、「今までいた会社に戻るんだよ」と答えると、どんな魔法を使ったんだという顔をする。また別の人たちは、「帰ってこいと言いながら、帰ったらやっぱり無理だったねって言われるんだよね。去年退院した○○さんもそうだった」と話していた。
 入院したばかりの頃は、多くの人が見舞いに来てくれ、温かい言葉をかけてくれたが、退院すると、やがて職場から見放され、親戚や友人も足が遠のき、気がついたらひとりぼっちになっていた、なんて話は、わたしも耳にタコができるくらい聞いていた。

 周囲の理解と協力、そして何よりも、書店員としての児玉さんの替え難い能力によって、児玉さんは同じ職場で仕事を続けられています。
 でも、児玉さんの奥様は、児玉さんに協力するために書店の仕事を辞めることを選ばれていますし、どんな職種でも、児玉さんのような凄い努力をすれば復帰できるのか?と問われたら、やっぱりそうはいかないのだろうな、と思います。
 児玉さんの場合は、本当に「レアケース」なのです。本来はそれじゃいけないはずなのですが。
 医者の世界なんて、同僚が妊娠・産休をとるという状況になれば、周囲の医者たちはみんな「これ以上仕事が増えるのか?勘弁してくれよ……」とぐったりしてしまうくらいですから……

 それでも、児玉さんに、こんな心ない言葉を投げつけた人もいたのだとか。

「君は君にしかできない方法で手塚社長に恩返しすれば良いのだよ」
 某書店チェーンの社長は続けた。
「要するに、君は啓文社の広告塔になれば良いんだ。障害者の君が表立って働くことで啓文社のイメージアップにつながるから」

 その話を聞いた手塚社長は、このように仰ったそうです。

 わかっていると思うが、おまえを広告塔にしてまで会社のイメージを上げたいと思うほど、わしは落ちぶれておらんからな。会社に必要な社員のために働きやすいよう環境を整えるなんて、経営者としては当たり前のことをしているだけだ」
 そして、「わしはおまえに障害があろうと特別扱いはせんよ。バンバン仕事をやってもらうから」と肩を叩き、「でも手助けが必要な時は遠慮なく言えよ」と付け加えた。

 素晴らしいエピソードなのですが、その一方で、こんな幸運な出会いがなければ「社会復帰」というのは難しいのだ、という現実を思い知らされるのも事実です。
 いままで普通に働いていた人が、障害を持った状態での「普通」で働こうとしても、受け入れられないのがいまの社会なのです。

 そして、この本のなかで僕にとってとくに興味深かったのは、「地方書店の現実」でした。

 情報だけでなく、地方書店は書籍の入荷する数も少ない。販売シェアに合わせて配本したとすると、二十パーセントが東京都内の書店、残りの八十パーセントが北海道から沖縄までの書店に届けられる。地方といっても政令指定都市や県庁所在地にある大型書店には優先だろうから、中小、零細書店には届かない本が多い。これは当然といえば当然のことなのだが、そのためお客さんから「テレビでベストセラーだと紹介し、出版社が重版したと新聞広告を掲載しているのに品切れしているとは書店として失格だ」と叱られることも少なくない。
 一冊だけ入荷した本が発売日に売れたとしたら追加注文すべきか、注文するなら何冊が妥当か、この判断がなかなか難しい。二十冊入荷して発売日に五冊売れたとしたら、どの書店も追加注文を出すはず。たくさん入荷し、たくさん売れる書店のほうがきっと判断しやすいに違いない。
 他業種の人からよく「本や雑誌は返品できるんだよね、そんな楽な商売はないよ」と言われるが、やみくもに仕入れれば良いというものではない。返品業務には人件費もかかるし、首都圏にはないが、地方では返品運賃も書店が負担している。これがばかにならないほどの金額だからタイミングや目論みがはずれると何のために仕入れたのかわからなくなる。
 地方の書店には、地方の書店ならではの苦労があるのだ。

 そんな環境のなか、児玉さん、そして啓文社は生き残りをかけて闘っているのですが、僕のまわりの「地方中小書店」の現状をみていると、本当に苦しい時代なんだろうなあ、と考えずにはいられません。
 前の職場の近くの郊外型の中規模書店では、村上春樹さんの『1Q84』の発売日に、影も形もないどころか、何のアナウンスもされておらず、「本当にそんな本出ているの?」という雰囲気だったのに驚きましたし。
 まあ、実際のところ、「文芸書(単行本)」って、田舎では、『夢をかなえるゾウ』と「ホームレス中学生』が置かれているくらいの郊外型書店がたくさんあるんですよね。

 「本を売っている人たちの今」が、切々と伝わってくる、とても興味深いエッセイ集でした。

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