琥珀色の戯言

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グーグル革命の衝撃 ☆☆☆☆☆


グーグル革命の衝撃 (新潮文庫)

グーグル革命の衝撃 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
「人類による文字以来の革命的発明」とも言われる「コンピュータ検索」。アメリカの2人の学生が興したベンチャー企業は、10年を経て今最も注目される巨大企業となった。私たちの暮らしは、もはや「検索」抜きでは考えられない。世界で1日10億回、世界中のネットユーザーが、1日1回はグーグルの検索ボタンを押している。徹底した取材を基に、進化し続ける世界屈指の頭脳集団に迫った話題作。

 この本のもとになった、「NHKスペシャル“グーグル革命の衝撃”あなたの人生を検索が変える」という番組は、一昨年の放送当時けっこう話題になったんですよね。
 僕は当時、この番組を見ていなかったのですが(どうせNHKの番組だし、毒にも薬にもならないような内容なんだろ、と思い込んでいたこともあって)、今回文庫化されたこの本を読んでみて、「ああ、リアルタイムで観ておけばよかったなあ」と思わずにはいられませんでした。
 一般の視聴者を対象とするNHKの番組として制作されたものであるため、「コンピューターやコンピュータービジネスに詳しくない人でも、わかりやすく読める内容」であるのが素晴らしい。
 いわゆる「専門家」が書いた本っていうのは、どうしても要求される「予備知識」の水準が高くなりがちですから。

 「Googleって、所詮、『検索エンジン』の会社じゃない。タダで使える面白いツールもたくさん作ってくれてるし、何が問題なの?」っていうくらいが、世間の平均的な「Google」への認識だと思うんですよ。いや、もしかしたら、「Google」は「もともとパソコンに付属しているツールのひとつ」だと思っている人も少なくないかも。

 つまり、現代はある特定の政府がすべての個人を監視するのではなく、マーケティングの目的と政府のテロや犯罪などに対する警戒とが合わさって、お互いがお互いをネットワークを通じて監視し合い、相手の行動を予測し合うという新しい社会秩序が登場しはじめているというのである。
 そしてその一方で、検索エンジンマーケティングの関係に対する消費者の理解の驚くべき実態も明らかになりつつある。検索エンジンからマーケティング目的にものか、そうでないかを消費者の多くが区別できていないことが分かってきたのである。
 全米消費者団体のコンシューマー・ユニオンのインターネット調査部門である「コンシューマー・ウェブ・ウォッチ」。ここでは数年間にわたって検索エンジンマーケティングの関係が消費者にどのようにとらえられているかを調査してきた。
 2002年に最初に行った調査であ、全米の1500人にアンケートを実施。続く2003年には、17人の消費者にフィールド調査を行った。数週間にわたって、消費者のインタビューと検索行動を記録。人々がどのように検索エンジンを捉えているかを調査した。その結果、アメリカでは、この時点では検索結果の中に広告が含まれていることを知っている人は4割に満たなかったのである。

(中略)

 調査にあたったビュー・ブレンドラーは、これまで数年間続けてきた同様の調査の中で、こうした状況の改善は見られるものの、アメリカ人の半数が依然検索に広告がつけられていることを認識していないと語った。そして私たちの取材にこう答えた。

「最も重要な点は、消費者は私が考えたほど、検索エンジンが広告に対してどう機能しているかを理解していなかったことです。消費者は、検索結果が広告主によって影響を受けている可能性があることについて、必ずしも理解していません。検索結果が時には広告や企業がその検索の関連に基づいて、消費者にクリックしてもらえるように料金を支払って設置したリンクかもしれないことについて、あまり理解していなかったのです」

 ブレンドラーは、消費者の側に立った検索エンジンを、たびたび検索エンジン・サービスを提供する企業に提言してきた。広告と検索結果の明確な区別、そして検索結果の透明性である。しかし、現在でもそれは不十分であるという。彼の話は、こうした状況下で、検索エンジンが個人情報を保存し続けることへの懸念についてに及んだ。

「もし私がウェブ検索を多く行っていて、特定の病気の症状についてくり返し検索していたら、その病気にかかっていることを示すものかもしれない。例えば、私がHIVなどと入力していて、検索エンジン会社がその情報を保存して、ここ2週間の間に、私がエイズに関する情報を20回も検索した、と言いだすかもしれない。そうなれば、多分、製薬会社が私にエイズの薬を売ろうとするかもしれませんが、私の保険会社が、その情報を手に入れたり、またはその情報を購入したりして、私の医療保険を解除してしまうかもしれない。正直に言って、特定の検索エンジンでの私の検索パターンが、どこかに保存されて利用されている、たとえば、マーケティング目的で利用されていると考えると、恐ろしくなります。それは、たとえて言えば、私の地元のビデオストアが、どんな映画を私がレンタルするか記録を残していて、私はアクション映画が好きだとかわかったら、その情報をほかに売って、別の会社が私に好みのバーボンウイスキーを判定して売ろうとする。、そんなような感じだと思います。消費者がインターネットを便利に使うときには、ある程度のプライバシーはあきらめることになると、消費者が理解している必要があると思います。ですから、便利さにはそれなりのコストが付いてくるということなのです。そして、それはあなたの(履歴などの)データがその後どう使われるか、はっきりと知ることはできないのです。プライバシーの問題は、ある面ではこれからずっと悪化していくと思います。もっと多くの人が検索エンジンを利用して、ウェブ上の情報にアクセスするようになりますから。ですから、検索エンジンの使用データと広告データや人口統計学上のデータを一緒に使う上で、最も倫理的に問題が少ない方法を見つけた検索エンジンが、最後に成功すると思います。

 しかしながら、僕自身としては、Googleがエリート集団であることは知っていても、現時点で、そんなに「悪質」な企業ではないとは思うのですよ。
「『検索』をひとつの大企業が支配していることの問題点」については、「まあ、僕みたいな無名の人間にとっては、そんなに目くじらたてるほどのことじゃないかな、便利なのは間違いないし」という気もします。
 ただ、Googleという企業がここまで大きくなってくると、今後も、その「大きさ」を維持し続けるために、よりいっそう「営利的」になっていかざるをえないのではないか、という危惧もあるのです。 そして、医療という仕事をやっていると、「検索」という行為の危険性について、考えさせられる機会が多いんですよね。

 人間って、「広告だとわかっている広告」については、それなりに身構えるものだと思うんです。これはセールストークだから、鵜呑みにしちゃいけないな、って。
 ところが、「自分で検索した、探し出したもの」に関しては、ものすごくガードが甘くなってしまう。
 「これは、自分の力で『発見』した知識だ」と勘違いしてしまいがちになるんです。

 ここ数年、病院では「インターネットにこんなことが書いてあったのだが、先生のやりかたは間違っているんじゃないか?」あるいは、「この『健康食品』のほうが、よく効くのではないか?」と疑問をぶつけてくる患者さんが増えてきています。
 ところが、そういう患者さんが「根拠」にしているのは、誰かひとりの「個人的な経験」であったり、もっとひどいときには、「広告そのもの」だったりします。データの裏づけに乏しい、かなり「異端」の医者の主張を提示されて、「この先生の言っていることのほうが正しいのではないか」と言われることも多々あります。
 そういうもののほとんどは、「その患者さんにとって、都合が良いもの、ラクなもの」であり、結局、人は信じたいものを信じるのだな、と考えずにはいられないのですが、「自分で検索する」という行為について、あまりにも無防備というか、「”自分が検索した”のだから、公正中立な結果が出るはず」と思い込んでいる人が、あまりに多いんですよ。
 自分でつくった料理がおいしく感じるように、「検索」というのは、(あんなに簡単なことなのに!)「主体的に」何かをやった気分になるだけに、過信してしまう危険が、けっこう高いのではないかと。

 「検索エンジン対策」をやっている企業もたくさんあるわけで、Googleはすでに「重要な宣伝合戦の場」なんですよ企業にとっては。自分では「検索している」つもりでも、実は、「検索させられている」のかもしれないし、Googleに「自分好み」のものを提示され続ければ、いつの間にか、「Googleがくれる餌を食べるだけの人間」になってしまうかもしれない。
 「自分の意思でやっている」と思っているときこそ、人って、騙されやすいものなのです。

 この本を読んだからといって、「検索しない生活」を送ることは不可能でしょう。
 でも、インターネット社会、検索社会を生きていくうえで、最低限知っておくべき知識がこめられている本だと思います。

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