琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

ろくでなし三国志 ☆☆☆☆


内容紹介
実は三国志の英雄たちは困った奴らだった!?
孔明は悪人だった!? 劉備たちは流浪の契約社員!? 新しい三国志の読み解き方を提供する、画期的な一冊。

いつも負けてばかりの劉備、誇大妄想の持ち主・孔明、ポエマーの曹操……。本書を読めば、三国志のヒーローたちの意外な素顔が見えてくる!? 彼らの時に滑稽で、時に悲しい生き方は、現代を生きる我らの人生の教科書にもなるはず!?

 本田透さんには、こんな「三国志フリーク」の一面もあるんですね。
 この新書、「こんなふうに『英雄』たちを小馬鹿にしなくても……」と悲しくなる記述もたくさんみられるのですが、中学時代から「三国志」に関するさまざなま本を読んできた僕は、孔明は「内政の人」であり、「戦争は得意ではなかった」ことも知っていますし、そんなにショックではありませんでした。
 逆に、「こういう歴史の読みかたもあるのか!」と興味深かったです。
 本田さんが語る、「諸葛亮孔明の功罪」は、こんな感じ。

 人智を超越したどころか宇宙の理すら凌駕してGОDにクラスチェンジした関羽大明神だけは例外ですが、怨霊神となった関羽とてみんなで神様としてお祭りしてしまえば、商売繁盛の神様になってくれるわけです。
 しかし諸葛亮は、「言葉」すなわち「思想」という形で後世2000年に及び中華人民とその周辺民族に甚大なるダメージを与え続けておるのです。
 そういうわけでは、現実レベルでは結局勝者がいない「三国志」の世界ですが、その後2000年の歴史を振り返ってみれば孔明が勝ったのだ! と言えなくもありません。
 曹操に現実で勝利するのは不可能――。
 そこで知力100の大軍師・孔明は、「脳内勝利」を最終目的にすり替えました。
 脳内勝利のために、天をも恐れぬ「俺ルール」を捏造。
 中原を抑えている魏=曹操は偽者で悪党で不義不忠の輩。
 あくまでもこっちが正義であり正統だから、たとえ負けても勝ちなんだ――、と。
 僻地にすぎない蜀(幕末でいえば函館あたり)を「漢」だと言い張り、劉備を漢の皇帝だと強弁し、まあ要は中国史上初の亡命政権を樹立したわけですが、実は亡命政権でもなんでもなくて幽州から流れてきた耳がでかいヤクザのおっさんを漢の正統な皇帝だと言い張っているところが凄まじく、なんと孔明が作った蜀政権とは「脳内亡命政権」だったのです!

 僕は小学生のときに、はじめて孔明の「天下三分の計」の話を読んだのですが、正直、「それって、そんなにすごいアイディアなの? あのシチュエーションなら、誰でも思いつきそうなもんじゃない?」と感じたんですよ。
 しかしながら、この新書を読んでみると、「実力による直接の禅譲や、袁術のような『僭称』ではなく、勝手に漢の正統な後継者を名乗り『脳内勝利』!」というのは、あの時代には、とんでもないアイディアであったことがよくわかります。
 孔明は、みんながそれぞれ「皇帝」を名乗ることに、大義名分を与えてしまった。
 これ、当時の中国の人たちにとっては、迷惑千万だったんじゃないかとも思いますが。
 そして、あらためて考えたのは、「孔明は、蜀漢の建国で、何をやろうとしていたのか?」ということです。
 孔明という智者は、「漢王朝が永遠に続くこと」など、信じていなかったのではないだろうか? 劉備が「正当な後継者」だと思っていたのだろうか?
 もし、そう信じていなかったのだとしたら、さっさと魏に降参してしまったほうが、一般庶民にとっては生きやすい世の中になったんじゃないだろうか?
 「蜀(劉備)のために忠義を尽くす」ことだけが、孔明のモチベーションだったのかなあ。

 この新書を読むと、いつも「さっさと曹操に降参しましょう」の人というイメージの張昭が、実は「まっとうな常識人」であったように感じられる、というように、「三国志の英雄たち」を違った角度からみることができるような気がします。
 まあ、それは「憧れの人をネタにしてしまう」という悲しい転換でもあるのですけど。

 この本から三国志に触れるのはオススメできませんが(というか、『三国志』についての予備知識+武将たちに対する「独断と偏見」を笑いとばせるほどの余裕、がないと楽しめない本なので)、「三国志フリーク」を自認している人には、けっこう面白い作品じゃないかと思います。

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