琥珀色の戯言

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【読書感想】月と六ペンス ☆☆☆☆☆

月と六ペンス (岩波文庫)

月と六ペンス (岩波文庫)


Kindle版もあります。

月と六ペンス (光文社古典新訳文庫)

月と六ペンス (光文社古典新訳文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
平凡な中年の株屋ストリックランドは、妻子を捨ててパリへ出て絵を描きはじめたが、友人を裏切り、世界をさまよって、タヒチに流れ着く。ここで彼は宿病と戦いながら、壮麗な大壁画にとりかかるのだが……
ゴーギャンの伝記に暗示を得て、芸術にとりつかれた天才の苦悩を描き、人間の通俗性の奥にある不可解性を追究した力作。


「歴史的『名作』を読んでみよう」シリーズ。
この『月と六ペンス』、何年か前から、ずっと読もうと思っていたのですが、ついに手にとってみました。
この小説、自分の絵のためならすべてを犠牲に、というか、犠牲にするという感覚すら失い、どんな常識にも縛られず、友人も平気で裏切る男が主人公だと聞いていたのです。
主人公である、チャールズ・ストリックランドのモデルとなったのは、画家のポール・ゴーギャンだというのは僕も知っていたのですが、実際には、ゴーギャンの伝記というよりは、ゴーギャンの伝説+モームが創った「芸術に囚われた男」=ストリックランドだと現在は考えられているそうです。

ものすごく酷いヤツではあるのですが、ストリックランドというのは、ただ自分がやりたいことをやっているのではなく、彼にとっての「やるべきこと」をやっているだけ、なんですよね。単なる傍観者としては、むしろ清々しいくらいとんでもない人間で、感動すらおぼえるのだけれど、万が一自分の周りにいたら、ひたすら関わらないようにするしかない男です。

「今度のことは、すべて予想もしなかったのです。結婚して十七年にもなるのです。どんな相手にせよ、夢中になる人ではないと思っていましたから。夫婦仲もとても良かったし。もちろん、わたしは趣味が多いのに、あの人と共通の趣味があまりなかったというのは事実ですけど」
「ご主人がパリに、その」僕は、駆け落ちと言いそうになり、つまってしまった。「一緒に出かけた相手が、どういう人なのか分かったのでしょうか」
「いいえ。誰にも見当がつかないのですよ。それが不思議なのです。普通、男が誰かと恋におちれば、その人と食事をしているところなど、一緒のところを誰かしらに目撃されるものでしょう。そうして、妻の所に友人がやって来て教えてくれるわ。その点、今回は何の噂もなかったのです。ですから、あの人の手紙はものすごくショックでした。あの人、わたしとの生活にすっかり満足しているものと考えていましたのに!」

たぶん、「俗人」には、「芸術に魂を奪われてしまった人間」のことは、理解できないのでしょう。
正直、僕もストリックランドの家族や恋人や友人への「悪行」の数々を読んでいると、「なんてひどいヤツなんだ!この恩知らず。こんな人間がどんなすごい絵を書いたって、何の価値もあるものか!」なんて気分にはなるんですよ。
でも、その一方で、僕の妻がストリックランドみたいな男と出会ったら、「まちがい」が起こるのではないか、と怖くもなります。

ストリックランドには、「常識」や「他者に対する罪の意識」が完全に欠落してしまっています。
彼が棄てた「妻」についてのやりとり。

「それじゃあ、ひとつざっくばらんに言いますがね、よろしいですか」
相手は、いいともと言うように、うなづいた。
「奥さんは、こんな仕打ちをうけても当然と言えるようなことをしたんでしょうか」
「いいや」
「奥さんに何か不満でもあるんですか」
「ないよ」
「それじゃあ言語道断じゃないですか。何の落ち度もない妻を十七年もの結婚生活のあげくにこんなやり方で棄てるなんて!」
「言語道断さ」彼が言った。
驚いて彼を見た。こちらの言うことには何でも愛想よく同意してしまうので、足をすくわれるようだった、おかげで僕の立場は、滑稽とは言わぬまでも面倒になった。

もうほんと、酷いんですよストリックランドさん。しかしながら、この本を読んでいると、彼の「悪魔的」とすらいえる魅力や「芸術家」という存在のバカバカしさと崇高さに心を打たれてしまうのです。
そして、あらためて考えてみると、人というのは、「善男善女が書いた、正しい、心が洗われるような作品」に惹かれるのではなく、スキャンダルや薬物や複雑な人間関係のなかで「最低の人間」がつくった作品に惹かれやすいものなんだよなあ。

僕は芥川龍之介の作品のなかでは『地獄変』がいちばん好きなのですが、この『月と六ペンス』を読んでいると、なんだかすごく『地獄変』のことを思い出しました。
地獄変』の場合、絵師は「巻き込まれてしまう」立場であり、絵師の「芸術的な頂点」は、ほんのわずかな時間でしかないのですが、ストリックランドは、ずっとあの焔の前にとどまり続け、絵を描き続けていたのです。

この『月と六ペンス』というタイトル、「月」は理想や夢、「六ペンス」は、現実を意味しているのだと言われているそうです。
この小説内に出てくる、優秀な医学生・エイブラハムのエピソードは、僕にとってはすごく印象的で、あらためて、「幸せ」とは何だろう?というようなことを考えずにはいられませんでした。
エイブラハムは、結果的にエリートコースから外れ、「自分が好きな場所で、お金や名誉にこだわらず、のんびり生きる」ことを選択します。

 果たしてエイブラハムは一生を棒に振ったのだろうか。自分の気に入った土地で、自分がぜひともやりたいことを心安らかにやるというのは、人生を棒に振ることだろうか。著名な外科医となって年収1万ポンドを稼ぎ、美人を妻にすることが、成功なのだろうか。それは結局、人が人生に何を期待するか、社会に何を期待するか、個人に何を期待するか、によるのだろう。

タヒチでストリックランドは、本当に「安らぎ」を得ることができたのかな、と僕は思いました。
ただ、彼はそこで素晴らしい作品を描くことができたのですから、それだけでも「成功」ではあったのでしょう。

ちなみに、こんな言葉も印象に残りました。

「女は、男が自分を傷つけた場合には相手を許すことができる。ところが、男が自分のために犠牲を払った場合には、相手を許せないのだ」と言ったのである。
「そういう理屈なら、あなたの場合、接触した女に許されるばかりで、女に恨まれる可能性はゼロですね」僕が言った。
 彼の口もとにかすかな微笑が浮かんだ。

この岩波文庫の行方昭夫さんの新訳はかなり読みやすく、僕もストレスなく読み進めることができました。
もし「理解できない『芸術家』という人間のことを、少しでも知るきっかけが欲しい」ときには、ぜひ、この『月と六ペンス』を読んでみていただきたいです。
ゴーギャンの作品を一度は目にしてみたくなります。

でもまあ、僕個人としては、やっぱり「芸術のためなら、何をやっても許される」とは思えないけどね……

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