琥珀色の戯言

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シューマンの指 ☆☆☆


シューマンの指 (100周年書き下ろし)

シューマンの指 (100周年書き下ろし)

内容紹介
シューマンの音楽は、甘美で、鮮烈で、豊かで、そして、血なまぐさい――。

シューマンに憑かれた天才美少年ピアニスト、永嶺修人。彼に焦がれる音大受験生の「わたし」。卒業式の夜、彼らが通う高校で女子生徒が殺害された。現場に居合わせた修人はその後、ピアニストとして致命的な怪我を指に負い、事件は未解決のまま30余年の年月が流れる。そんなある日「わたし」の元に、修人が外国でシューマンを弾いていたいう「ありえない」噂が伝わる。修人の指にいったいなにが起きたのか――。

野間文学賞受賞後初の鮮やかな手さばきで奏でる書き下ろし長編小説。

書店でみつけたときには、本当に血が付いているような装丁がすごく印象的でした。
この『シューマンの指』、最近流行りの「音楽を題材にした小説」なのですが、「シューマン」というドイツの作曲家・音楽評論家をタイトルに持つこの作品は、これまで僕が読んできた「音楽小説」に比べると、はるかに「シューマンの作品論」としての比重が高いものでした。
シューマン好き、あるいはクラシック音楽フリークにはたまらないのかもしれないけれど、その予備知識も興味もない僕は「修人の指にいったい何が起きたのか――」のほうがずっと気になっていたので、なんだか延々と作者の「シューマンに関する蘊蓄」を読まされているようで、「シューマン論」の部分は流し読みしてしまいました。
でも、この小説は、そういう「細部」にこだわる人じゃないと楽しめないのかもしれません。

「君の弾くダヴィッド同盟、是非とも聴いてみたいな」
 修人が、どんな形であれ、人からピアノを弾いて欲しいと請われることを、極端に嫌っているのを私は知っていた。けれども、修人の楽譜への熱中ぶりに煽られた私は、それでもなおいわないわけにはいかなかったのだ。
 顔色が変わるという表現がある。このときの修人の表情がまさにそれで、手ひどい裏切りにあって傷ついた人の、絶望と怒りが一つになった冷めた火が薄い肌の下で一瞬燃えあがり、しかし、それはたちまち消えて、あとには虚ろで弛緩した笑いの浮かぶ、劣化した分厚いゴムの仮面が残った。
「僕が弾くわけないさ。だって、弾く意味がない。音楽はここにもうある」
 修人はいい、《ダヴィッド同盟舞曲集》の楽譜を軽く指で叩いた。
「僕はもうこの音楽を聴いている。頭のなかでね。だったら、いまさら音にしてみる必要がどこにある?」

「ミステリ作品」として読むには、事件が起こるまでがあまりに長くて「シューマン論」ばかり。
そして、我慢して読み進めていって、「驚愕の最後の20ページ」にたどり着いても、ある程度最近のミステリを読んでいる僕にとっては、「ああ、またこのトリックか……はいはい、もう『この手』には飽きているんだけど……」という読後感しか得られませんでした。
まあ、そこで『シューマンの指』というタイトルの「意味」はわかるし、「上手い」とは思うけど、ミステリとしては、「道尾秀介さんみたいだな」で終わってしまうんですよね。

この小説、「ミステリ」としてはオススメしません。
あまり「音楽」に詳しくない人にとっては、『船に乗れ!』のほうが、はるかに「音楽小説」としては面白いと思います。

ただ、前述したように、シューマンクラシック音楽に詳しい人(シューマンに関する蘊蓄部分を楽しく読める人)にとっては、「すばらしい作品」なのかもしれません。
興味を持たれた方は、まず、書店で冒頭の部分を少し読んでみることをオススメします。

僕にとっては、「鼻血がついたのか?」とあわててしまった表紙の装丁が、いちばん印象的な本でした。

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