琥珀色の戯言

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マリアビートル ☆☆☆☆☆


マリアビートル

マリアビートル

内容(「BOOK」データベースより)
元殺し屋の「木村」は、幼い息子に重傷を負わせた相手に復讐するため、東京発盛岡行きの東北新幹線“はやて”に乗り込む。狡猾な中学生「王子」。腕利きの二人組「蜜柑」&「檸檬」。ツキのない殺し屋「七尾」。彼らもそれぞれの思惑のもとに同じ新幹線に乗り込み―物騒な奴らが再びやって来た。『グラスホッパー』に続く、殺し屋たちの狂想曲。3年ぶりの書き下ろし長編。

うん、これは面白かった!
伊坂さんの作品で、こんなに睡眠時間を削って読んだのは、『アヒルと鴨のコインロッカー』以来かもしれません。
東京から盛岡に向かう東北新幹線での、個性的な「業者」たちのバトルには、伊坂さんらしい蘊蓄と意外な展開が待ち受けています。
この作品は、何人かの「業者」(=「殺し屋」)の視点から描かれているのですが、この「マルチキャラクター」のひとつの特徴として、「誰が主役で、誰が生き残るのか(あるいは全滅するのか)最後までわからない」ことがあげられます。
(いやまあ、後から考えると、大きなヒントは最初に明かされていますけど)
最近の伊坂さんの作品は、『ゴールデンスランバー』『モダンタイムス』と、「監視社会への懸念」というテーマが前面に押し出されていて、僕は「言いたいことはよくわかるけど、なんか『社会性』重視で、物語としてはいまひとつだなあ……」と感じていました。
しかしながら、この『マリアビートル』では、原点回帰というか、「まず、読者を引きつけるストーリー」「キャラクターの魅力」があって、そこに「テーマ」みたいなものがさりげなく織り込まれているんですよね。
「新幹線の中」という閉鎖空間の緊張感も見事です。
そして、この作品の主要人物である「王子」の不快さは、まさに、ここ数年の伊坂作品の集大成、という感じです。
「不快な人間を、説得力を保ちつつ徹底的に不快に描く」っていうのは、実はすごく難しい。

「ねえ、おじさん、世の中で正しいことって何だか分かる?」王子は靴を脱ぎ、膝を折り曲げ、それを両手で抱える。座席に背をつけて、尻でバランスを取るようにする。
「正しいことなんてねえだろうが」
「そうそう、その通り」王子はうなずく。「世の中にはさ、正しいとされていること、は存在しているけど、それが本当に正しいかどうかは分からない。だから、『これが正しいことだよ』と思わせる人が一番強いんだ」

この「王子」っていうのが、本当にイヤなヤツなんですよ。
でも、こいつがどうなるのか、すごく気になるんだよなあ。

ちなみに僕がすごく読んでいて嬉しかったのは、本筋とはあんまり関係ない、この文章。

 いや、大先輩からの頼みなのだ。クラシック、古典のようなものだ、と仲介業者は勢い込む。ゲームで言えば、ハイドライドとかザナドゥみたいなものだ、敬意を払うべきだろう、と押してくる。
 分かる比喩を使ってくれ、と言うと、音楽で言えば、ローリング・ストーンズだ、と答えがある。
 それなら知っている。

ドラゴンクエストファイナルファンタジー」じゃなくて、「ハイドライドとかザナドゥ」!
伊坂さんもマイコンゲーム少年だったのかな。
しかしこんな理解できる人が少なさそうなたとえ、よく使えたものです。
それとも、いま30代後半〜40代前半くらいの男子には、「常識の範疇」なのだろうか。

「どうして人を殺してはいけないんですか?」

この問いに対する「答え」は僕としては、なんとなく消化不良な感じだったのですが(たぶん、伊坂さんも「まだ考え中」なのではないかと)、久々に「寝る間を惜しんで読んだ」小説でした。
そうそう、伊坂さんの『グラスホッパー』を先に読んでおくことをオススメしておきます。
「続編」ってわけじゃないけど、かなり「つながっている」部分があるので。


参考リンク:「どうして人を殺してはいけないのですか?」という問いかけへの「もっとも有効な答え」(活字中毒R。)

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