琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

漂流 ☆☆☆☆


漂流 本から本へ

漂流 本から本へ

内容紹介
筒井康隆のつくり方が、ここに明かされる! のらくろ、乱歩、西遊記、ウェルズ、イプセン、クリスティ、フロイド、セリーヌヘミングウェイ、カント、ハメット、三島、川端、大江、マルケスハイデガー……生まれて初めて手にした書物から、創作活動の源泉となった小説、戯曲、哲学、漫画まで、著者自らの半生を追いながら、同時代に触れた書物の来歴を惜しみなく開示する自伝的書評集。大江健三郎氏推薦!

僕は朝日新聞を読むことは、ほとんどないので、書店でこの本を見かけたときには小躍りしました。
筒井さんの『48億の妄想』を高校時代に読んで以来、僕は「筒井康隆」の大ファンですし、おそらく、僕の読書人生にもっとも大きな影響を与えてくれた人だと感謝しています。
ちなみに、いまでも僕のベスト本は『旅のラゴス』です。
あまりに好きなので、読み返すのが怖いくらいなのですが。

筒井さんは書評においても超一流であり、僕がガルシア=マルケスを手にとったのも、筒井さんの影響でした。
常に進取の気概と洒脱さを併せ持っている筒井さんは、僕にとっては、まさに「神様」みたいなものです。

本の紹介のなかにも、「いかにも筒井康隆」と思うような言葉が散りばめられています。

 最初に手をつけたのがデュマ『モンテ・クリスト伯』二巻である。子供向きにリライトされた『巌窟王』の原作だということは知っていたので、面白いに違いないという確信があったからだ。読みはじめて僕はまず、児童向きの本で読まなくてほんとによかったと思った。「神は細部に宿る」なんて諺はまだ知らなかったが、その諺はまさに小説のためにあったのだ。子供向きの本ではストーリイを追うあまり細部の描写や瑣末なエピソードは省かれてしまう。しかし小説の真の面白さはそういう部分にこそあり、実は以前、同じデュマの『三銃士』を児童もので読み、ちっとも面白くなかった経験がある。人物がチャカチャカと動くだけの紙芝居的な展開にすぐ嫌気がさし、以後、その種のものは読まなくなった。これは今でも正しかったと思っている。

(トオマス・マン『ブッデンブロオク一家』の回より)

 マン自身、この小説を書き始めたのが二十二歳の時であったと知ってぼくは驚いた。ぼくもこんな早熟の天才になれるだろうかと思ったりもした。そして、後年聞かされた文壇での定説は、ぼくを充分に納得させた。
「いい作家が出る条件は、
いい家柄に生まれ、その家に沢山の本があり、その家が没落することである」

イプセンペール・ギュント』の回より)

 面白かったのは第五幕の中ほどの「心配するな。人は第五幕の真ん中で死んだりしないよ」という科白である。「人」というのは主役という意味で、当時なら楽屋落ちというところだたろうが、今で言うならメタフィクションなのであり、ぼくのメタフィクション好きはここから始まったのかもしれない。

「あらすじを読む日本文学」というような本がベストセラーになりましたが、たしかに「ストーリーを追うだけが、小説の愉しみではない」のですよね。
実は「面白い物語」というのは、そんなにバリエーションが豊富ではなくて、その物語の根幹に、どんな肉付けがされているか、つまり「ディテールを味わうこと」こそが、本を読む愉しみなのではないか」ということが、最近ようやく僕もわかってきたような気がします。
「あらすじ」を読むことには、「どんな話か知っていることを他人に自慢できる」という以上の意味はないのです。
まあ、「交際術のための読書」であれば、それで十分なのかもしれませんけど。

ただ、この『漂流』に関しては、正直、「うーん、これはツツイストの僕でもちょっと鼻につくところが多いな……」と思うところがけっこう多かったんですよね。
「書評」として連載されていたものらしいのですが、どちらかというと、子供のころから筒井さんが読んできた本を追いながら、筒井さんの人生を振り返るという要素が強く、「本について」よりも「筒井さんの自分語り」のほうが多くを占めている印象です。
(まあ、オビにも「書評的自伝の決定版」と書いてあるのですが)

(クリスティ『そして誰もいなくなった』の回より)

 後年、作者自身によって劇化された「そして誰も」の主役ウォーグレイヴ判事を、山田和也の演出で演じることになろうとは、その頃のぼくはまだ、夢にも思っていなかった。その芝居の初日のことだ。舞台を見に来た妻と一緒に劇場から帰宅する途中、彼女はやや憤然として言った。「あなたの人生って、なんて素敵なの」

 繰り返しますが、筒井さんは、僕にとって「神様」みたいな存在なんです。
 でも、この本を読んでいると、僕もやや憤然として、「筒井さんの人生って、なんて素敵なんだろう!」と言いたくなります。
 そして、その後に「それに比べて、僕の人生なんて……」という言葉をのみ込まざるをえない。
 僕でさえこんな感じなのですから、たぶん、「ツツイスト」でない人が読むと、「なんだこの自慢話ばっかりの『書評』は」という感じだったのではないかなあ。
 この本の後半のほうでは、「その頃のぼくはまだ、夢にも思っていなかった」っていうような言い回しは、ほとんど無くなっているので、もしかしたら、連載中にも読者からそういう批判があったのかもしれません(後半は筒井さんが作家になってから読んだ作品になるので、「夢にも思っていなかった時期」ではないから、というだけの可能性もあります)。

 これを読んでいて、筒井さんにぜひ、こういう書評形式ではない、普通の「自伝」を書いてもらいたくなりました。
 「普通のこと」をやりたがる御大ではないことは、百も承知なのですが。

旅のラゴス (新潮文庫)

旅のラゴス (新潮文庫)

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