琥珀色の戯言

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「だましだまし生きる」のも悪くない ☆☆☆


「だましだまし生きる」のも悪くない (光文社新書)

「だましだまし生きる」のも悪くない (光文社新書)

出版社/著者からの内容紹介

◎ 本書概要
【初めての告白】
ベストセラー『しがみつかない生き方』の精神科医が、
幼少時代から仕事、恋愛、家族、そして「死」までを語る。

◎ 内 容
「いささか恥ずかしい内容があったり、
やっぱり『自分じゃこんなこと、書かないよ〜』
と思う描写も多々出てくるのですが、
だからこそ逆に、本書は私の著作の中でも類を見ないような内容になっていると、
いま振り返ってみて思います」

(「はじめに」より)
精神科医として、大学教授として、
テレビや雑誌など様々なメディアで活溌に発言する存在として、
香山リカは多面的な活動を続けている。
だが、その素顔については、意外に知られていないのではないだろうか。
幼少時代、上京、受験失敗、就職、仕事、
香山リカ誕生秘話」、そして恋愛・結婚、老い・別れまで。
いま初めて語られる、その知られざる半生。

◎ 目 次
はじめに
第 1 章 原風景 ---- 父と母からの影響
第 2 章 受験失敗 ---- 入口と出口はちがう
第 3 章 就 職 ---- パンのために働く大切さ
第 4 章 仕 事 ---- 替えのきく存在でいい
第 5 章 恋愛・結婚 ---- 自分を見失うほどハマらない
第 6 章 老い・別れ ---- 死とどう向き合うか
おわりに

僕がはじめて「香山リカ」という名前を知ったのは、まだ中学生くらいの頃でした。
ファミコン通信』のコラムを読みながら、「医者のくせに、こんな適当なサブカル(っていう言葉は、当時は無かったのですが)記事を『ファミ通』に書けるなんて、若い女っていうのはトクだなあ」とか、ちょっと妬ましくも思っていたものです。
そして、「まっとうな医者だったら、こんなふうに雑誌にコラムなんて書かないよ」と。


……そんなことを思っていた僕が、こうしてどうしようもないブログを毎日書いているのですから、人生というのは、なんともはや。


当時は「ゲームをする女子」というだけでちょっと珍しかった時代でもあり、香山さんのことはちょっと気になる存在ではありました。
まあ、五木寛之さんとの対談本などは、「こんなオッサンの世迷言に頷くだけで印税もらえるなんていい仕事だなあ。医者としてのプライドがあるのか?」とか言いたくなったりもしたのですが、『しがみつかない生き方』がベストセラーになり、勝間和代という「ターゲット」にロックオンしてからの素晴らしい活躍ぶりは周知の通りです。


僕にとって、ずっと気になる人だった、香山リカさんの半生記、というふれこみで書店に並んでいたこの新書、170ページちょっとしかないし字は大きいしで、地雷かなあ、と思いつつも、結局購入したんですよね。

この新書では、香山さんの出生から、両親のこと、学生時代、執筆という仕事をはじめるきっかけなどが、順を追って語られます。
香山さんは北海道生まれで、お父さんは産婦人科の開業医。お母さんは専業主婦。
ああ、そういえば、中島みゆきさんのお父さんも、北海道の産婦人科の医者だったはず。
香山さんは、自分の父親について、「子どもが医者になることを望んでおらず、もっと研究者みたいな、知識を深めていくような仕事を望んでいたのではないか」と仰っておられます。

この幼少時代を読みながら、僕は「香山リカ、あなたは僕か!」と思わずにはいられませんでした。
正確には、(香山さん+香山さんのお父さん)÷2が僕なのかもしれません。
僕も開業医の子どもで、親が「医者になることを期待している」というのを察しながら生きてきました。
本当は、医者には向いていないと思っていたし(いまもそう思っています)、もっと自分には向いている仕事がある、という気がするのです。
僕の息子も、できれば医者にはなって欲しくない。

でも、いまこうして生きている僕にとっては、とりあえず、「医者になって、お金を稼いで、それなりに安定した生活ができていること」が大きいのは認めざるをえない。
本当に「やりたいことをやる」道を選んでいたら、こうして偉そうにブログなんて書いていられたかどうか。

香山さんは、正直に「大学時代まで、お金に苦労した記憶はほとんどない」と書かれています。
僕も、「裕福な暮らし」に居心地の悪さを感じながらも、それを捨てるほどの情熱や「やりたいこと」が無かった人間です。

たぶん、香山さんの著書や意見を支持している人たちの多くは、「いま、食べるものに困っているわけでもないけれど、自分の人生に物足りなさを感じている」のではないかと思います。
その一方で、勝間さんみたいに、ガツガツやって向上していこう、というような野心は持てない。
そういう意味では、勝間さんと香山さんの「論争」なんていうのは、本当に生活に困っている人たちには、「所詮、恵まれた人間たちの言葉遊び」なのかもしれません。


170ページくらいの、字が大きめの新書ですから、1時間もかからずに読み終えて、僕は物足りない気がしました。
この新書のなかで語られている香山さんの人生は、出生から大学に入学し、北海道の病院の精神科で研修するようになるまでは比較的詳細に書かれているのですが、その先、20代後半から現在については、サラッと流しているだけです。
この新書の後半は「半生記」ではなくて、「いつもの香山リカの人生指南」になってしまっています。
「つきあってきた、そして、いまつきあっている男性」のことが書かれているのには驚きましたが。
僕は、香山さんが「ものを書くようになってから、こうして『超売れっ子』になるまでの考え方や書きかたの変化」を知りたいと思っていたのですけど、そこにはほとんど触れられていません。

もともとサブカルが好きで、文章を書くことが好きだった「女の子」は、「精神科医」という肩書きを得て、細々と執筆を続けてきました。
それが、この「格差社会の歪み」のなかで、「他者との対比」により、あらためて注目されるようになってきたのです。

 自分の半生について、語る。
 なんとむずかしいことか。いや、複雑すぎてむずかしいわけではない。
 私の場合、人生があまりに単純すぎて、語るべきことも何もないのだ。
「約半世紀前に生まれて、大きな病気もせず、これといって目立った業績もドラマもなく、子どもも産まず、ダラダラ仕事をしながらこの年齢に」
 ――すべては、これで語りつくされてしまう。

「流されているうちに、なんとなくここまで来てしまった人生」のように書かれているし、たぶんそれは「事実」なのでしょう。
香山さんほどの「有名人」「成功者」であっても、本人にの感覚というのは、こんなものなのかもしれません。
実際「あなたは、何かオリジナリティのある作品を残したのか?」と問われたら、香山さんは考え込んでしまうのではないでしょうか。
「消費され、忘れられること」に対する諦念も、香山さんのスタイルのような気もしますけど。

 感情的にも起伏が少なくて、極端にハイテンションなこともなければ、落ち込みすぎることもない。「低め安定」がずっと続いているんです・
 落ち込んで、「ああつまんない」とか、「ああなったら嫌だな」とか思うことが、あんまりないんですよ、結果的に。
 なんだろうな……自分って、「頭が昆虫みたい」って言ったらおかしいけれど、あまり先のこととか、視野を広く考えられないんです。
 そんな人が本を書いたりして、読まされる人には、なんか、いつも申し訳ないと。目先のことに喜びを感じて終わるって感じですね。オタクの人にありがちなの。
 目先のこととバーチャルなこと、一方で世界規模のこと……その両極端に興味があって、中間がないんでしょうね。それは、父から譲り受けているのかもしれません。

 私、いま勤めている病院も、もう8年ぐらい勤めていて、「ずいぶんいるな」と思ったんです。世の中の流れを見つつ、どんどん転職してステップアップするとか、そういう発想が全然ないんですよ。流れに身をまかせているだけだから。
 仕事と恋愛の比重m、「仕事を優先に」と考えていたわけではなくて、仕事は、病院に行ってしまえば病気の方がいるから、「診ざるをえない」という感じですよね。

 ああ、こういう話を読んでいると、本当に「香山さん、あなたは僕じゃないですか?」と感じてしまうのです。
 僕の場合は、急患対応をしなければいけない科・病院で仕事をしているので、突然「診ざるをえない」状況になることが多くて、それが年々つらくなってきているのですけど。


しかしながら、香山さんは、けっして、「どんなことにも感情移入できない人」ではないようです。
この新書のなかで、香山さんの弟さん(中塚圭骸さん)が、こんなエピソードを紹介されています。

 姉ちゃんはね、本当はすごく「熱い人間」なんです。
 1989年の宮崎事件のとき、彼が逮捕された日に姉ちゃんは僕の部屋に来ていて、ふたりでテレビのニュースで知ったんです。そのとき、宮崎の部屋がテレビに映し出されて、ビデオやロリータ本などが山積みにされて足の踏み場のないような場面が映し出されましたよね。あれを見て、姉ちゃん、シクシク泣き出したんです。そしてその後、「お前の部屋と同じだ! 一体、お前と宮崎はどう違うっていうんだ!」って叫んで号泣したんです。当時23歳の僕の部屋は、宮崎の部屋とまるで同じようなものだった。姉ちゃんは、僕の将来を心配したのかもしれません。
 それと、2009年の夏に、YMOが出場した夢の島でのフェスに、姉ちゃんとふたりで行ったことがあります。YMOが出てきただけで、姉ちゃん、恍惚の表情になっちゃってるんです。最後にはステージに向かって、「ど〜も〜、ありがとう〜ッ」って絶叫してるんですよ。その興奮しきった姉ちゃんを見て、僕は「コイツ、夜、こんな顔してんじゃねえか!?」と思ったくらいですよ。姉ちゃんのこんな姿、世間の人は想像できないと思うんです。
 つまり、世間には姉ちゃんの素の「熱さ」=「よさ」がぜんぜん伝わっていない。

香山さんには、こんな「激情」が潜んでいるのだけれど、それを表に出すことは、まずありません。
僕はそういう「香山リカを演じていない、香山リカ」を見てみたいけれど、たぶん、あまりに仮面がフィットしすぎてしまって御本人にも、どこまでが本当の自分かは、わからなくなっているのではないかなあ。
40代後半になっても、一緒にフェスに行くという弟さんとの関係も、異常といえば異常ですよね……


率直に言うと、「これは、誰のための本なのか?」という気はするんですよ。
「だましだまし」生きながら、医者や大学教授になったり、ベストセラーを出すなんてことができる人は稀だろうし、ある意味、「ガツガツと生きて、成りあがってやる!」という勝間和代さんの生き方のほうが、共感しやすいかもしれません。
参考になるわけでもないし、それほどドラマチックな人生でもない。
でも、たぶん、「人生なんて、そんなもの」ではある。

僕には香山さんの「他者からは羨ましがられるけれど、自分自身では、なんとなく物足りない感じ」というのが、なんとなくわかるのです。
それはすごく、贅沢な不満なのでしょう。
「今いちばん欲しいもの」は、「何かが欲しくてしょうないという、切実な欲望」。


他人には薦め難い新書ではあります。
ただ、僕はこれを読んで、なんとなく「香山リカがずっと気になっていた理由」が、僕なりにわかったような気になりました。

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