琥珀色の戯言

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トラウマ映画館 ☆☆☆☆☆


トラウマ映画館

トラウマ映画館

内容紹介
町山智浩さんが主に10代の頃、テレビなどで出会った、衝撃の映画たち。
呪われた映画、闇に葬られた映画、一線を超えてしまった映画、心に爪あとを残す映画、25本!


貴方の記憶の奥に沈む、忘れたいのに忘れられない映画も、きっとここに!


【目次】
1 「消えた旅行者」は存在したのか?――『バニー・レークは行方不明』
2 孤高の鬼才が描く、アイドルの政治利用――『傷だらけのアイドル』
3 人間狩りの果てに言葉を超えた絆を――『裸のジャングル』
4 『エクソシスト』の原点、ルーダンの悪魔祓い――『肉体の悪魔』 『尼僧ヨアンナ』
5 世界の終わりと檻の中の母親――『不意打ち』
6 ハリウッド伝説の大女優、児童虐待ショー――『愛と憎しみの伝説』
7 少年Aが知らずになぞった八歳のサイコパス――『悪い種子』
8 あなたはすでに死んでいる――『恐怖の足跡』
9 奴らは必ずやって来る――『コンバット 恐怖の人間狩り』
10 初体験は水のないプールで――『早春』
11 古城に吠える復讐の火炎放射――『追想』
12 人間対アリ、未来を賭けた頭脳戦――『戦慄! 昆虫パニック』
13 残酷な夏、生贄のかもめ――『去年の夏』
14 核戦争後のロンドンはゴミとバカだらけ――『不思議な世界』
15 アメリカが目を背けた本当の「ルーツ」――『マンディンゴ
16 ヒルビリー、血で血を洗うご近所戦争――『ロリ・マドンナ戦争』
17 深夜のNY、地下鉄は断罪の部屋――『ある戦慄』
18 メーテルは森と湖のまぼろしの美女――『わが青春のマリアンヌ』
19 真相「ねじの回転」、恐るべき子どもたち――『妖精たちの森
20 十五歳のシベールは案山子を愛した――『かもめの城』
21 サイコの初恋は猛毒ロリータ――『かわいい毒草』
22 聖ジュネ、少年時代の傷――『マドモアゼル』
23 二千年の孤独、NYを彷徨う――『質屋』
24 復讐の荒野は果てしなく――『眼には眼を』
25 誰でも心は孤独な狩人――『愛すれど心さびしく』

あとがき

ここで紹介されている25本の映画、1本も僕は観たことがありません。
かなりの映画ファン以外にとっては、聞いたことがない映画ばかりではないでしょうか。
テレビでゴールデンタイムに放映されるような作品でもないですしね。


この本、映画評論家の町山智浩さんが、「主に10代の頃に出会い、衝撃を受けた映画」が紹介されているのですが、この本の中身の多くは、「映画のあらすじの紹介」にあてられています。
普通、「あらすじ紹介」って、あんまり面白くもないし、これから観る人にとっては、「ネタバレ」になるだけなんですよね。
ところが、この『トラウマ映画館』は、その「あらすじ」が滅法面白い。
そもそも、いま日本で観るのは、非常に困難な作品揃いだし。


たぶん、実際にこの25本の映画を僕が偶然テレビで観たとしても、この本を読むほど楽しめないと思うんですよ。
むしろ、この本を先に読んでから映画を観たほうが、面白く感じるような気がします。


予備知識なしで観たら、「なんか気持ち悪い映画」「後味が悪い作品」という評価をして、「なんとなく忘れられない作品」となりそうな、この『トラウマ映画』たちなのですが、そういう「大勢の観客に受け入れられることを望んでいない映画」だけに、それぞれの作品には、監督、出演者の「主張」があり、「こういう映画が撮られた理由」があるのです。
そういう「文脈」を教えてくれる、貴重な本なのです。
アメリカ映画=ハリウッドの娯楽超大作、という目でしかみていなかった僕は、こんなふうに差別や貧困、世の中の不条理を描こうとしている「ヒットしそうもないアメリカ映画」がたくさんあるということに、素直に驚いてしまいました。
なかには、普通に「大ヒット映画」を目指したはずなのに、完成したものは「トラウマ映画」になってしまっていた、という例もあるのですけど。

この本のなかで、僕が興味を持ったのは『傷だらけのアイドル』という映画。
ピーター・ワトキンス監督は、1967年にこの映画を作ります。

 スティーヴン・ショートは作られたスターだ。歌からファッションから言動から何から何まで超一流のプロデューサーやマーケッターたちに管理されている。その背後には政府がいる。スティーヴンの大成功を見た政府高官はこう語る。
「民衆はナチやロシアや中国のように間違った方向に行くことが多い。スティーヴン、君は大衆を正しい方向にリードしなければならないのだ」
 スティーヴンの新しい路線が決められる。キリストだ。

「カリスマ」となったスティーヴンは、政府の方針に従って民衆を「導いて」いくのですが、この映画は、あまりにも反英国的だと批判され、ワトキンス監督は英国を去ることになります。
しかし、ワトキンス監督は、屈しなかった。

 1969年にワトキンスはスウェーデンで『グラディエイターズ』を作る。世界各国から兵隊たちが一箇所に集められ、殺し合いをさせられる。この勝敗で国家間の紛争を解決し、全面戦争を防ぐためだ。これは、平和のためのイベントとして開催されたオリンピックが実際には国家間の競争になっている現状への皮肉だ。

 1970年にアメリカのケント大学でベトナム反戦デモの学生が州兵に射殺される事件が起こると、ワトキンスはアメリカで『パニッシュメント・パーク』(1971年)を製作した。反戦運動で逮捕された若者たちが、砂漠で水も食糧も与えられずに三日以内に60マイル(約100キロ)踏破するサバイバル・ゲームをさせられる。平和主義者だった若者たちは生き残るために暴力性を爆発させる。しかし、必死でゲームを勝ち抜いても州兵たちに処刑されてしまう。これはあまりにも反米的な内容ゆえにアメリカでは公開されなかった。

この項の最後に、町山さんは、こう書かれています。

 2004年の大統領選挙ではCCMのミュージシャンが連合して全米ツアーを行い、キリスト教原理主義者であるブッシュへの投票を呼びかけた。『傷だらけのアイドル』は現実になったのだ。


『かわいい毒草』の項より。

「先生は、現実は厳しいとおっしゃいましたが、その通りでした」
 アゼナウア医師はデニスが病院に戻りたくて捕まったのだとわかる。
「君はなぜ、罪をかぶる?」
「毒を見つけました」
 デニスはスーのことを話し出す。
「誰も気づいていない。その毒は実に可愛らしいから。でも、放っておくことにしました」
「なぜ?」
「僕のような人間が警告しても人は信じてくれませんから。でも、毒はどんどん被害を拡大していくでしょう。誰の目にも明らかになるまで」
 そしてあきらめたように言う。
「人は自分のことにしか興味がないんだ」
 場面はあの化学工場に戻る廃液を流し続ける川にホットドック屋がゴミを投げ捨てる。でも自分のバイクはピカピカに磨く。デニスの言葉を証明するように。
 スーという誰にも気づかれない毒が公害と重ねられる。アメリカで水質汚濁防止法が成立したのはやっと1972年である。


『眼には眼を』の項より。

 カイヤットはフランスの映画監督だが、元々は弁護士だった。人の罪を白黒はっきり裁く法律や倫理と、白黒はっきり分かち難い人の心との対立。それがカイヤットの生涯追い続けたテーマだった。
 代表作とされる『裁きは終わりぬ』(1950年)は陪審員の協議を描いた法廷劇。被告の女性は、ガンに苦しむ恋人から頼まれて彼を毒で安楽死させた。しかし彼女は死んだ恋人の遺産相続人でもあり、実は密かに別の若い青年と愛し合っていた。彼女は有罪か?

 この映画が描くのは被告ではなく、それを裁く7人の陪審員たちだ。被告と同じように若い青年に惹かれている未亡人、障害に苦しむ我が子を死なせようと考えたことのあるカソリック教徒、女を次々と籠絡しては捨てるプレイボーイ……。罪のない者は一人もいない。我々すべてがそうであるように。
『裁きは終わりぬ』は世界的に高く評価された。陪審員を描いた映画では『十二人の怒れる男』(1957年)が有名だが、『十二人の怒れる男』がアメリカの良心と民主主義を讃えるハッピーエンドなのに対し、『裁きは終わりぬ』は「人に人を裁く資格はあるのか?」という問いを観客の胸に突き刺したままで終わる。

 実際にその映画を観なくても(本当は観たほうが良いのでしょうけど)、この本を読むだけで、映画の世界の奥深さ、そして、映画に関わる人たちの執念が伝わってくるのです。
 そして、自分のいままでの映画の観かたについても、あらためて考えさせられました。
「後味のよさ」や「リアルな特撮」や「感動の涙」も、もちろん映画の愉しみではあります。
 でも、「何なんだこのスッキリしない終わりかたは……」というのも、映画のひとつの魅力ではあるんですよね。
 僕はこの年になって、ようやくそれが少しだけわかるようになってきた気がします。
 映画の世界には、ワトキンス監督のような「炭鉱のカナリア」であろうとしている人が少なからずいることも。
 日本映画も、そういう目で、もう一度見直してみようかな。


 町山さんは、「あとがき」で、こんなふうに書かれています。

 たしかに観ても楽しくはなかった。スカッともしなかった。それどころか、観ている間、グサグサと胸を突き刺され、観終わった後も痛みが残った。その痛みは、少年にとって、来たるべき人生の予行演習だった。

 いつでもレンタル店で好きな映画を借りてきて観られるというのは、ありがたい時代であるのと同時に、「観たいものしか観なくなるというデメリット」もあるのかもしれません。
 その前には、「とりあえずテレビで放映されている映画を観るしかなかった時代」があったのですから。


 ここに紹介されている映画を観たことが無い人にも、あるいは、観たことがない人にこそオススメしたい、珠玉の映画本です。

 

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