琥珀色の戯言

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原発のウソ ☆☆☆☆☆


原発のウソ (扶桑社新書)

原発のウソ (扶桑社新書)

内容紹介
危険性を訴え続けて40年
“不屈の研究者”が警告する原発の恐怖

“安全な被曝量”は存在しない! 原発を止めても電力は足りる!
いま最も信頼されている原子力研究者の、3.11事故後初の著書

著者の小出裕章氏は、かつて原子力に夢を持って研究者となることを志した。
しかし、原子力を学ぶうちにその危険性を知り、考え方を180度変えることになる。
それ以降40年間、原子力礼賛の世の中で“異端”の扱いを受けながらもその危険性を訴え続けてきた。
そんな小出氏が恐れていたことが現実となったのが、2011年3月11日に起きた福島第一原発事故だった。
原発は今後どうなる?
放射能から身を守るにはどうすればいい?
どのくらいの「被曝」ならば安全?
原発を止めて電力は足りるの?
など、原子力に関するさまざまな疑問に“いま最も信頼されている研究者”がわかりやすく答える。


内容(「BOOK」データベースより)
“安全な被曝量”は存在しない!原発を全部止めても電力は足りる、福島第一は今後どうなるのか?危険性を訴えて続けて40年“不屈の研究者”が警告する原発の恐怖。

2011年3月11の福島第一原発事故以来、メディアやネット上で、「原発」について、さまざまな解説や議論がなされています。
いま、書店の新書コーナーに行くと、新刊の多くは「震災」「原発」関連。
それがいちばんの話題であり、問題であることは間違いないのですが、いろんな話が次から次へと耳に入ってきて、「何が本当に正しいのか?」僕はわからなくなってきています。
そんななか、読んでみたのがこの一冊。


本当に、読んでみてよかった、と思います。
この『原発のウソ』という新書には、「スキャンダラスな話」も「原子力発電についての詳細な解説」もありません。
著者の小出さんは、「いま、福島で起こっていること」「これから予想される放射線による被害」「本当に原発は必要なのか?」という「みんながもっとも知りたいこと」について、わかりやすい言葉で、事実に基づいて書いておられます。
正直、「60歳をちょっと過ぎたくらいの年齢の科学者」が、「現在の原子力の技術」について、最前線での知識を持っておられるかどうか、という疑問はあります。
(現場のことをほとんど知らない「権威」が書いた、「偉い医者による、病気についての話」は少なくないものですから)
しかしながら、そういう疑念を差し引いても、この小出さんは、信頼できる科学者ではないかと、僕は思いました。
もちろん、国や政府や東電に媚びてはいない。
その一方で「読書」「一般市民」に寄り添いながらも、「迎合」はしていない。
そういう姿勢が貫かれているのは、「今回の事故に便乗して、原発叩きをはじめた、にわか反原発学者」ではなく、夢をもって原子力の研究をはじめたのち、その危険性に気づき、40年間も日陰からそれを訴え続けてきた人だからこそ、なのでしょう。


1986年のチェルノブイリの事故と今回の福島原発の事故について、小出さんは、こんなふうに書かれています。

 チェルノブイリ原発は、事故が起こるまで「(首都モスクワの中心部にある)赤の広場に建てても安全」と宣伝されていて、みんながそれを信じていました。周辺住民は、まさかこんな事故が起きて放射能をまき散らすなんて思いもしないで生活してきました。
 事故直前、発電所の所員と駈けつけた消防士たちが、燃えさかる原子炉の火を消すために必死で格闘しました。そのうち特に重度の被曝を受けた31人は、生きながらミイラになるようにして、短期間のうちに悲惨な死を遂げました。
 モスクワの近くに作業員たちの墓があります。彼らの遺体は鉛の棺に入れられ、墓も隔離されています。遺族も遺体に近づくことはできません。すさまじい被曝をしながら、彼らはできる限りの努力をしました。
 その後、放射能の拡散を防ぐために投入された人員は膨大な数にのぼりました。事故後数年にわたって、動員された「リクビダートル(清掃人)と呼ばれる軍人・退役軍人・労働者たちは、累計で60万人に及びます。
 彼らが猛烈な被曝をしながらボロボロに崩れた4号炉を「石棺」で覆ってくれたことによって、さらに大量の放射線が出る事態は防がれました。しかし、この石棺もすでに25年経ってあちこちに損傷が生じており、外側にもっと大きなシェルターを作ることんなっています。まだ事故処理は終わっていないのです。

 チェルノブイリ原発のあったウクライナソ連きっての穀倉地帯で、ソ連国内の40%もの穀物を供給する豊かな大地でした。その大地が一面放射能で汚れてしまい、食物を通して「内部被爆」を受ける人たちが膨大な数にのぼりました。特に子どもたちが放射能で汚れた牛乳を飲み、小児がんに襲われました。

 チェルノブイリの事故は深い爪痕を残しています。もう25年も経ったのにまだ終っていないのです。事故を収めるためのソ連政府の負担はすさまじく、結局完全な終結を見ないまま、ソ連という国家の方が先に消滅してしまいました。チェルノブイリの重みに耐えられなかったのだ、と考える人もいます。
 さて、日本政府は福島第一原発から出た放射能の量を4月現在で「チェルノブイリの約10分の1」と発表しています。「4月現在」という留保をつけるのなら、私もそうだろうと思います。ですが福島の事故は発生からまだ半年も経っていません。チェルノブイリすらいまだ終っていないのに、福島がこれからどうなっていくかはまだ誰にも想像できません。

みんな、少しずつ「日常」に慣れてきて、「もう原発の話ばかりしなくてもいいじゃないか」という人も少なくないと思います。
(実は僕も、最近ちょっとそんな現実逃避したい気分にとらわれていました)
でも、「本当の問題は、これから」なんですよね。
それも、数か月、数年どころじゃなく、僕たちの子供、孫、あるいはもっと先の世代にも、すでに大きな「負の遺産」を遺してしまったのです。


この新書のなかで、小出さんは、「原発推進派(あるいは容認派)」の「50ミリシーベルト以下の被曝は何の問題もない」とする人たちが論拠としている「生き物には放射線被曝で生じる傷を修復する機能が備わっている(修復効果)」、「放射線に被曝すると免疫が活性化するから、量が少ない被曝は安全、あるいはむしろ有益である」(ホルミシス効果)について、証拠を提示しながら疑念を呈しています。

 細胞分裂が活発な子どもたち、そして胎児は、成人に比べてはるかに敏感に放射線の影響を受けます。「人体に影響のない被曝」などというものは存在しないのです。専門家は、「ただちに影響はないレベル」なんてことは絶対に言ってはいけないと思います。


「不安を広げないように」という配慮もあるのかもしれませんが、信頼できる専門家かどうかを見分けるひとつのポイントとして、「ただちに影響はないレベル」というような言葉を使うかどうかを参考にしてもよさそうです。

 年間1ミリシーベルトという基準は、1万人に1人ががんで死ぬ確率の数値ですが、「それは我慢してくれ」というのが今の法律です。これが10ミリシーベルトの被曝になると、1000人に1人ががんで死ぬことになります。原子力安全委員会は、すでに放射線量の高い地域の年間限度量を20ミリシーベルトまで引き上げる検討をはじめました。「安全を考えて」基準を決めるのではなく、「現実の汚染にあわせて」基準を変えようとしているのです。
 すでに、緊急時における原発作業員の被曝限度量は、100ミリシーベルトから250ミリシーベルトまで引き上げられています。それまでの100ミリシーベルトという数字は、被曝による急性障害が出るラインが目安となっていました。それが250ミリシーベルトに引き上げられたということは「もう急性障害が出たとしても我慢してくれ」ということを意味します。

 (2011年)4月19日、文部科学省福島県内の学校の「安全基準」を提示しました。それによれば、1時間あたりの空間線量率3.8マイクロシーベルト未満の学校には、通常通り校舎や校庭を利用させるとのことです。
 この「3.8マイクロシーベルト」とは、どのような根拠で決められた数字でしょうか。年間の積算被曝量を20ミリシーベルトと定め、子どもが1日8時間屋外にいることを前提として、そこから3.8マイクロシーベルトという数字を導き出したと言います。
 これは正気を疑わざるをえないような高い被曝量です。まず前提となっている年間20ミリシーベルトという値がとてつもなく高すぎます。たびたび述べているように、日本で一般の大人が法律で許容されている被曝量は年間1ミリシーベルトです。大人よりはるかに放射線に敏感な子どもが、なぜ20倍の被曝を受けさせられなくてはいけないのでしょうか。年間20ミリシーベルトとは、原発作業員が白血病を発症した場合に労災認定を受けられるレベルです。
 さすがに原子力安全委員会の一部委員も「子どもは成人の半分以下とすべきだ」と指摘しましたが、文部科学省は「国際放射線防護委員会は大人も子どもも原発事故後には1〜20ミリシーベルトの被曝を認めている」と開き直っています。結局、原子力安全委員会はろくに検討もせず文科省の決定を追認しました。


(中略)

 文科省は、基準を上回る学校では校庭を使う時間を1時間に制限し、うがいや窓閉めを奨励するなどして対応してほしいと言っています。子どもたちを自由に遊ばせられないような環境になっていることは彼らも認めているわけです。
 さらに、この3.8マイクロシーベルトという数字には、放射性物質を体内に取り込む「内部被曝」は含まれていません。それを考慮に入れたとすれば、被曝量はもっと多くなるでしょう。
 このひどすぎる基準は、すぐに事故が解決に向かうという甘い見通しをもとに策定されていますから、事態が悪化したり処理に手間取れば当然汚染地域は拡大し、汚染のレベルも上がります。その時には20ミリシーベルトという基準さえ反故にされる可能性があると私は思っています。

 ……もう、絶句するしかありません。
 何が「原子力『安全』委員会」なんだ!
 文部科学省っていうのは、将来の子どもの安全よりも、自分の目先の仕事を減らすことしか考えていないのか?
 何のために、こんな「残酷な基準」を子どもたちに強いているんだ?
 そもそも「国際放射線防護委員会」の基準が正しいとして、なぜ、その「最大値」を当然のように主張するんだ?


 そりゃ、山本太郎さんも怒るよ、というか、こういうことを知りもせず、政府の決定だからと唯々諾々と受け容れていた僕たちのかわりに、山本さんは怒ってくれたのだ。
 「なんか政治的な人になっちゃったなあ」なんて思ってしまって、山本さんには、本当に申し訳ない。


 もう、原発は必要ないと僕も思います。
 そう言うと、「電力が足りなくなって、真夏でもクーラーが使えなくなる」「日本の経済競争力が落ちる」と反論されるのですが、小出さんは、「原発を無くしても、電気は足りる」ことを、データに基づいて書かれています。

 原発を止めたとしても、実は私たちは何も困らないです。
 確かに日本の電気の約30%は原子力ですが、発電設備全体の量から見ると、実は約18%にすぎません。なぜその原子力が発電量では約30%に上昇しているかというと、原子力発電所の「設備利用率」だけを上げて、火力発電所を休ませているからです。
 発電所は止まっている時もあるし、必ずしもフルパワーで動かしていません。それでは、設備のどのぐらいを動かしているのかというのが「設備利用率」です。
 2005年の統計によれば、原子力発電所の設備利用率は約70%です。原発は一度動かしたら1年間は止めることができません。それで逆に電力が余ってしまい、消費するために揚水発電所という高コストな設備を造っていることはすでにご紹介しました。
 一方、火力発電所は約48%です。つまり半分以上が止まっていたということになります。今回の地震津波で、原発が止まって電力不足になったような印象がありますが、実は違います。火力発電所が被害を受けたことが大きな理由です。
 それでは、原子力発電所を全部止めてみたとしましょう。ところが、何も困りません。壊れていた火力発電所が復旧し、その稼働率を7割まで上げたとすれば、十分それで間に合ってしまいます。原子力を止めたとしても、火力発電所の3割をまだ止めておけるほどの余力があるのです。それだけ多くの発電所が日本にはあるのです。

 小出さんは、そのほかの「原発推進派からの反論」についても、懇切丁寧に答えておられます。
 「ピーク時には電気が足りなくなる可能性があるのではないか?」「電気料金が上がるのではないか?」「石油や石炭などの化石燃料は枯渇するのではないか?」
 これらはすべて、「原発を容認する理由」にはなりえないのです。
 そもそも、こんなに原発をつくっているのに、日本の電気料金は「世界一高い」と言われています。
 もちろん、日本の技術の活かして、「次世代の、本当に安全でクリーンなエネルギー」を開発していくことは必須です。


 日本は、「被爆国」でありながら、戦後「夢のエネルギー」として、原子力を利用してきました。
 原子力が「希望」だった時代は、まちがいなくあったのです。
 そうじゃなければ、『鉄腕アトム』なんて名前がつけられたはずがない(妹は、「ウランちゃん」だし)。
 それを認めたうえで、もう、「卒業」すべきだと思うんですよ。
 たぶん、さまざまな利権があって、「原発をやめると困る」人たちは大勢いるはずです。
 それでも、いま、未来の日本人、そして人類に僕たちができる「償い」は、「原発を止めること」だと僕も思います。
 そして、正確な情報をもとに、まずは、子どもたちを守ること。

 
 小出さんは、この新書の冒頭で、こんなふうに仰っておられます。

 私が「原発は危険だ」と思った時、日本にはまだ3基の原発しかありませんでした。私は何とかこれ以上原発を造らせないようにしたい、危険性を多くの人に知ってほしい、それにはどういう方法があるんだろうかと、必死に模索してきました。しかし、すでに日本には54基もの原発が並んでしまいました。
 福島原発の事故も、ずっと懸念していたことが現実になってしまいました。本当に皆さん、特に若い人たちやこれから生まれてくる子どもたちに申し訳ないと思うし、自分の非力を情けないとも思います。
 けれども、絶望はしていません。私が原子力の危険に気づいた40年前、日本中のほとんどの人が原子力推進派でした。「未来のエネルギー」として、誰もが諸手を挙げて賛成し、原子力にのめりこんで行く時代でした。そんな夢のエネルギーの危険性を指摘する私は、ずっと異端の扱いを受けてきました。
 その時に比べれば、だんだんと多くの人が私の話を聞いてくださるようになりました。「原子力は危険だ」ということに気づきはじめたようです。今こそ、私たちが社会の大転換を決断できる時がきたのではないかと思っています。
 起きてしまった過去は変えられませんが、未来は変えられます。
 これから生まれてくる子どもたちに、安全な環境を残していきませんか。皆さんの一人ひとりが「危険な原発はいらない」という意思表示をしてくださることを願っています。

 そう、「未来は変えられる」。
 これでも変えようとしないのならば、それは、政府や東電のせいではなく、僕の、そしてあなたの責任です。



参考リンク:『朽ちていった命―被曝治療83日間の記録』感想

朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)

朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)

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