琥珀色の戯言

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リトル・ランボーズ ☆☆☆☆☆

リトル・ランボーズ [DVD]

リトル・ランボーズ [DVD]



あらすじ
1982年、イギリス郊外。ウィル・プラウドフット(ビル・ミルナー)は母、妹、祖母と暮らす11歳の小学5年生。父親はいない。息苦しさを感じつつ過ごす日々の中で、ウィルの唯一の楽しみはノートや聖書にパラパラマンガやイラストを描くことだった。そんなある日、ウィルは学校きっての問題児リー・カーター(ウィル・ポールター)と出会う。ウィル同様、父親のいない環境で育ったカーターは、様々な悪事を働く反面、留守がちな母親に代わって兄の朝食も作る自立した少年だった。気弱で内気なウィルと悪ガキカーター。一見対照的ながらも、似たような境遇で育った2人は、たちまち友情を築き上げてゆく。やがて、この友情がウィルの日常を大きく変えることになる。それは、老人ホームを営むカーターの自宅で生まれて初めて見た一本の映画がきっかけだった。その映画とは「ランボー」。傷だらけで戦うベトナム戦争帰りのヒーローに、人生で最高の衝撃を受ける。すっかり影響を受けたウィルは、ランボーになりきって“僕はランボーの息子だ!”と名乗ると、カーターが制作していた自主映画への出演を宣言。こうして、2人の映画作りがスタートする……。


以前借りたDVDにこの映画の予告編が入っていて、観てみたいな、と思っていたのです。
僕は「フィクションに救われる人間の話」が好きなので。


でも、この映画に関しては、期待していた一方で、「映画作りを通じて、全く性格の違う少年たちに友情が芽生えていって、最後は映画監督になって故郷に戻ってきた元少年が、ランボーの戦闘シーンをツギハギしたフィルムを観る作品」ではないかと危惧してもいたんですよね。
いや、僕はあの映画嫌いじゃないんですけど、あまりにも「ほらここで感動してください!」っていう雰囲気が、ちょっと苦手なんです。


この『リトル・ランボーズ』、僕が予想していたよりも、はるかに「重い」映画でした。
冒頭の、カーターが真面目なウィルを騙して時計をとりあげたり、無理に言うことを聞かせようとする場面などは、昔のトラウマがよみがえって、「こんなの友情でもなんでもなくて、単なるイジメだろ……」と暗澹たる気分になったのですが、2人の少年、とくに内向的な少年・ウィルが『ランボー』を観て、映画づくりに夢中になってからは、なんだかすごく微笑ましい気分になりました。
まあ、カーターも酷いガキだが許す。


僕も子どものころ、いろんなことに自分でうまく折り合いがつけられず、フィクションの世界の登場人物になった想像をして、日々を過ごしていたんですよね。
「もっと現実を直視しろ」と言う人は多いけれど、現実というのは、まともに向き合うのがときにすごくつらいことがある。
「現実よりも人生を豊かにしてくれるフィクション」というのがあるのだと、僕は今でも思っています。


この『リトル・ランボーズ』、少年たちの「友情」と同時に、あるいは、「友情」以上に、「家族」の問題が描かれています。
ある理由で、テレビも見せてもらえない少年ウィルと、家の中には自由に観ることができるビデオテープが山積みだけれど、実質的な家族は、お兄さんひとりだけのリー・カーター。
とくにウィルが置かれた環境のつらさには、観ていてとても心が痛みました。
しかしながら、「親が悪い」かというと、必ずしもそうとも言い切れない。
夫を早くに亡くしてしまったウィルの母親にとっては、その「コミュニティ」に属することが「生きるための方便」でもあったのです。
一度その仲間に入ってしまうと、外界からは異端視されますから、なおさら、そのコミュニティに依存していくしかないのです。


この映画、「監督・脚本のガース・ジェニングスさんの少年時代の思い出をベースに、S・スタローンにキャラクターの使用許可を得て製作された」とのことで、スタローンの「お墨付き」でもあるんですね。
スタローンも粋なことやるなあ。
僕ももう1回、『ランボー』観たくなりました。
ランボー』って、暴力シーンの連続で、「俗悪アクション映画」の代名詞みたいな作品だけど、そういう「フィクション」で、救われたり、夢を与えられた子どもたちは、たぶん、世界中にたくさんいるのでしょう。


大人にとっての「価値観」と、子どもにとっての「大切なもの」には、共通するものもあるけれど、違うものもある。
大人にとって「俗悪なもの」が、子どもの成長のためには、必要不可欠なこともある。


ちょっと真面目に書きすぎてしまったのですが、とにかくウィルが愛らしい。
そして、映画を撮影しているシーンが愉しそうなことといったら!
僕も子どものころ、友人とラジオドラマをつくっていたことを思い出しました。
「どうせお金にもなんないし」とか「プロの作品にかなうわけない」とかいう「計算」などせず、「少しずつでも『自分の作品』ができていくのが、愉しくてしょうがない!」という「子どもにとっての、つくる喜び」が、伝わってくるんですよこの映画からは。


最後は、ある意味「ベタな結末」ではあるのですが、僕は眼から汗が出て困っていまいました。
もうね、こんな感じだろうと予想していたはずなのに、汗が止まらなかった。


少子化」とか「子どもにとって不幸な時代」とか大人の都合はいろいろあるし、子どもだって、無邪気に24時間幸せなわけじゃないとは思う。
でも、子どもは子どもなりに、生きることに「喜び」を見出していくのだな、大人はそんなに心配しすぎることは無いんだな、そんな小さな希望をかみしめられる映画です。

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