琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「幸運」を許せない大人たち

毎日jpに掲載された、6月27日付の記事。

東日本大震災:スマップ・中居さん配布のゲーム機、石巻市が慰問の子から回収 /宮城
 ◇石巻の避難所
 石巻市の門脇中学校の避難所で26日、慰問に訪れた人気グループ「SMAP」のメンバー、中居正広さんが子供たちに配ったゲーム機を、市職員が、クラシックバレエの披露のために同校にいた子供たちから「避難所外の子供」を理由に回収したことが分かった。市は抗議を受け、返却することにしたが、市の対応に批判の声も上がっている。

 市などの説明によると、中居さんは同日、被災した子供と一緒に、市内のバレエ教室の子供に人形や1台数万円のゲーム機を配った。中居さんから「頑張ってね」とプレゼントを手渡された子供たちは大喜びした。

 ところが、被災者の子供の保護者らから「ボランティアで訪れた子供が高価なプレゼントを受けるのはおかしい」と市職員に抗議。これを受け、市職員はバレエ教室の子供に返還を求めた。ゲーム機を回収された小学4年生の女児は「中居さんからもらったと、友達に自慢しようと思っていたのに」とがっかりしていたという。

 一方、市には「子供たちの心を傷つけた」などと対応を批判する苦情の電話が相次いだ。市避難所対策室では「配慮に欠けた」と陳謝。ゲーム機をバレエ教室を通じて子供たちに返すことにした。

これはいったい、どうすれば良かったのでしょうか?
これに対する、『はてなブックマーク』での反応は、こんな感じでした。

結果的には、中居さんの善意のプレゼントが騒動の元になってしまったわけで、なんだかなあ、という感じではあります。
その場の状況を想像してみると、避難所にプレゼントを持ってやってきた中居さんの周りに、たくさんの子供たちが集まってきて、中居さんは、その場にいる子どもたちに、わけへだてなくプレゼントをあげた、ということだったのでしょう。
わざわざ、「避難所暮らしじゃない子どもたちにプレゼントを配るために、避難所を訪れた」とは考えにくいので。

ブックマークのコメントのなかには、こんなふうに、特定の子どもたちだけにプレゼントをしようとするから、トラブルになるという意見もありましたし、ゲーム機は高価すぎるのではないか、というのもありました。
ただ、避難所で生活している子どもたちにとっては、「現在の状況を束の間でも忘れられる」携帯ゲーム機(ニンテンドー3DSだと報道されています)というのは、ありがたいプレゼントではないかな、と僕は思うんですよ。
「生活必需品」は届いても、「娯楽のためのもの」は、どうしても優先順位が低くされてしまうだろうし。
そういえば、アメリカ軍の兵士たちは、中東でゲームボーイをやっていたそうです。
大きなストレスにさらされているとき、ゲームをやるというのは、現代人にとって、かなり有効なストレス解消法のはず。

「直接モノを届けるのではなくて、日本赤十字社などを通じて、被災者みんなへの義援金を出せばいい」
これはたしかに「正論」なのでしょう。
しかし、義援金というのは、協力している側にとっても、「相手の顔が見えない」というのが、なんとなく物足りなかったり、不安だったりもするのではないでしょうか。
SMAPもかなり高額の義援金を出しているそうなのですが、中居さんも、「直接被災した人たちに会って、元気づけたい。子どもたちの笑顔を見たい」と、避難所にやってきた。
そして、その場に子どもたちが集まってきたら、「被災者だから」「ボランティアで来ている子どもたちだから」と「区別」するのが難しい状況だったのか、あるいは、そんなふうに差をつけると、かえって良くないと感じたのか。

子どもたちが大喜びしているのを見て、中居さんも嬉しかったはず。

結局、そのゲーム機が、騒動の種になってしまったのです。
「避難所にいるわけではない(比較的ダメージが少なかった)子どもたちが、まだ避難所にいる子どもたちを差し置いて、高価なゲーム機を受け取るのはおかしい」という意見があり、「回収」してみると、今度は「プレゼントを受け取って喜んでいた子どもたちに『返せ』と言うなんて残酷だ」という反論が出て、市の職員は、まさに「板ばさみ」。
これらの意見は、「大人たちのもの」なのですが、当事者の子どもたちは、この経緯について、どう考えていたのでしょうか?
被災者であるという前提条件は頭になく、「中居さんがゲーム機くれるんだって、ラッキー!」と、目の前の幸運を喜んでいただけだったのではないかと思うのです。

僕はこのニュースを聞いて、こんなことを考えました。
「こんなふうに、他者の『幸運』を問題視する社会って、ちょっと息苦しいというか、夢が無いなあ」

大きな災害に遭い、不自由な生活を余儀なくされているなかでは、「不平等」に敏感になってしまうのは、いたしかたない面はあるのでしょうけど。


今年の1月に、こんな話がありました。
参考リンク:「AKB48」メンバーと支配人が謝罪 女子高生にタダのチケットで「炎上」

大震災に比べれば、本当に「穏やかなトラブル」ではあると思うのですが、僕はこの事例でのAKBファンたちの態度が、よくわからなかったのです。
だって、こういうのは、「スタッフがAKBを利用して女子高生を口説こうとした」とかじゃなければ、ファンにとっては「朗報」だと思うから。
「ああ、AKBを一生懸命応援していると、こんな幸運が舞いこんでくることもあるんだな」
そういう「希望」をファンに持たせるという意図を持って、この「ハプニング」は起こされたのかもしれません。

ところが、AKBファンの多くは、「特定のファンを優遇したということ」に対して、猛反発。

戸賀崎支配人が謝罪した後も「ツイッター」に苦情のリツイートが止まることはなく、


「どんな思いで我々がチケットやら色々買ってるかもう一度考えてほしい」
「入りたくても入れない人いっぱいいるんですよそれなのに『大声で応援してた』ってだけでチケットあげるって?それじゃあ抽選する意味ないじゃん」
「運営側がルール守ってないですよね?ファンに偉そうに言わないでください」
などと書き込まれていた。

とのことです。
うーむ、「平等」「公正」って、大事なことですよね。
でも、こういう場合は、それを重視することによって、「いつか自分も楽屋に呼んでもらえるかもしれない可能性」の芽を摘み取ることになってしまうのです。
それは、ものすごく小さな可能性ではあるのでしょうし、このときに楽屋に呼ばれたのが「女子高生」で、ファンの男性に同じような幸運がもたらされるとは考えがたいのも事実ではありますが。

「いつかは自分にも同じようにチャンスが巡ってくるかもしれない」
「どうせ自分にはそんな幸運はもたらされないのだから、他の人ばかりがいい思いをするのは許せない」

 このハプニングを起こした側の人たちは、前者が圧倒的な多数であることを期待していたはずです。
 ところが、実際はそうではなかった。
 みんな「次は俺を招待してくれ!」じゃなくて、「不公平だから、誰も招待するな!」と抗議してきたのです。


 いくら中居さんが稼いでいたとしても、すべての避難所の子どもたちにニンテンドー3DSを直接配ることは、金銭的にも時間的にも難しいでしょう。
 こういう「有名人による被災者訪問」の恩恵を直接受けられるのは、ごく一部の「幸運な人たち」でしかありません。
 しかしながら、「中居さんが来て、みんなを励まして、ニンテンドー3DSを配ってくれた」という「伝説」は、子どもたちにのあいだに広まっていって、「がんばっていれば、自分にも良いことがあるかもしれない」という「希望」を与えるはずです。
 バレエ教室の子どもたちも、「ああ、こうやってボランティアをすれば、こんな『幸運』がもたらされることがあるんだな」と感じただろうし、それによって、今後、ボランティアに来る子どもたちが増えるかもしれません。
 そういう「モノで釣る」ことは正しくないのかもしれませんが、子どもにとっては、それが「きっかけ」になることもあるはず。

 いずれにしても、「すべての子どもたちが、ニンテンドー3DSをもらえたわけではない」のなら、「その場に居合わせた幸運」に任せてしまったほうが、みんなラクになれると思うのだけれど。
 そもそも、中居さんの行為は「個人的な善意」でなのだから、もらえなかった人が抗議するような筋合いのものではないし、市が関わるべきものでもありません。
 ニンテンドーDSは「高価な玩具」ですが、「現在の生活を変えるための決定的な要因」になるものではありませんし。
「いつかサンタクロースがプレゼントを持ってやってくるかもしれない」世界と、「自分はどうせプレゼントなんてもらえないから、サンタクロースなんて必要ない」という世界の、どちらが「幸せ」なのでしょうか。

 大人は「自分の子どもがプレゼントをもらえなかった不公平」や「一度もらったプレゼントを回収されて、子どもの心が傷ついたというクレーム」を訴えるよりも、「いまはきつい生活が続いているけれど、がんばっていたら、きっといいこともあるよ」と子どもたちに話してあげるべきだと思います。
 中居さんがあげたかったのは、ゲーム機じゃなくて、そういう「希望」だったはずなのに。


……と、ここまで書いたところで、僕はその事件の「続報」を目にしました。

翌28日付の『スポーツ報知』の記事では、もう少し詳しい経緯が紹介されていたのです。
参考リンク:中居正広の善意の贈り物、石巻市が回収…避難所以外の子供の手に渡り父母から抗議(スポーツ報知)

 石巻市などによると、中居は26日、プライベートで石巻市の避難所になっている門脇中学校を訪問。子供たちと握手をし、「頑張ってね」などと声を掛けながら、持参した新型携帯ゲーム機「ニンテンドー3DS」(2万5000円相当)十数台や人形などを配布した。その日は、避難所暮らしではない宮城県内の子供たちもクラシックバレエを披露するため中学校を訪れており、同所にいる子供たちと一緒に、中居から玩具を受け取ったという。

 子供たちの間では「3DS」が人気だったが、結果的にその多くをバレエ教室の子供が受け取ってしまい、避難所の子供たちはほとんどもらえなかった。その後、一部の被災者の保護者の間から「ボランティアで訪れた子供が高価なプレゼントをもらうのはおかしい」などと疑問の声が噴出。対応した市職員は、バレエ教室に対し、受け取った玩具の返還を求めた。

 しかし、いったん受け取ったものを返還するよう求めたことで、バレエ教室の子供たちからは「なぜ返さなきゃならないのか」との声が上がった。市には「子供がもらったものを取り上げるのか」などと抗議の電話などが殺到したという。

 市側は「配慮が足りなかった」と陳謝し、バレエ教室と話し合いを進めた結果、回収した3DSはすべて教室の子供たちに返すことを決めた。これに対し教室側は、2台は子供たちが受け取ると決めたが、残りについては検討中という。


うーむ、こうして「詳細」を知ると、けっこう印象が変わってきます。

子供たちの間では「3DS」が人気だったが、結果的にその多くをバレエ教室の子供が受け取ってしまい、避難所の子供たちはほとんどもらえなかった。

実際にこれを目の当たりにすれば、やっぱり「不公平だ!」って言いたくなるますよね……
子どもたちからすれば、「目の前にやってきた『幸運』に、飛びついただけ」なんでしょうけど。

しかし、これは本来、親や教室の先生たちが「そのプレゼントは、いま自分たちよりも困っている人たちにあげたほうがいいよ」とバレエ教室の子どもたちを「説得」すべきもので、こういう「個人的な善意」への揉め事の処理まで、市の職員任せというのもねえ。
どっちに転んでも、「市の対応に疑問を呈する」人は出てくるでしょうし。


ただ、僕はこんなふうにも思うのです。
「子どもたちの心を傷つけた」と言うけれど、こういう「幸運や不運」って、生きていれば、何度も何度も経験するものです。
 傷ついたことがない子どもは、この世界のどこにもいない。
 もらえたとしても、もらえなかったとしても、「その後」の周囲の大人たちの対応によって、子どもたちにとっては、プラスにもなれば、マイナスにもなる「経験」ではないでしょうか。

 
それにしても、ひとつの「事件」でも、伝えられかたによって、だいぶ印象が違うものですね。
今回の「続報」を読んで、あらためてそう感じました。

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