琥珀色の戯言

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中国のマスゴミ ☆☆☆☆☆


中国のマスゴミ ジャーナリズムの挫折と目覚め (扶桑社新書)

中国のマスゴミ ジャーナリズムの挫折と目覚め (扶桑社新書)

内容紹介
★情報統制下における記者たちの姿。
ネットという武器を手にした中国にジャーナリズムの萌芽はあるか?


新聞、テレビが党の宣伝機関と位置づけられる中国のマスコミは、
いわゆるジャーナリズムとはほど遠い体質だ。
取材対象へのたかり、ゆすり、記事のねつ造も日常茶飯事。
その背景には厳しい報道統制があり、特ダネが許されないなど、
優秀な記者がスポイルされてしまう構造がある。


その一方で、インターネットの発達にともない、
情報統制やマスコミ腐敗になんとか抵抗しようと、
記者魂をみせる一握りの記者たちも生まれつつある。


新聞社の元北京特派員であった著者が、
中国のマスコミがらみのトンデモ事件の内幕を紹介しつつ、
報道の自由を模索する記者たちの光と影を描く。


(目次より抜粋)
●第一章 中国のマスゴミ
2010年十大ニセニュース/いたずらか当局の世論工作か、幻の「angel girl」/
華南トラ事件とフェイク写真/捏造記事で実刑も!「段ボール肉まん」報道/
記者のたかり体質 炭鉱事故封口費事件/たかりすぎて“口封じ“に殺される記者も


●第二章 マスコミ腐敗・記者モラル崩壊の背景
報道機関とは「党の喉舌」と「金をつかむ手」/党中央宣伝部を頂点とする報道統制/
記者はつらいよ その実態/書くなと言われるエリート記者・嘘でも書けといわれる新聞民工


●第三章 中国ジャーナリズムと外国人記者
外国メディアが暴いた「SARS隠ぺい」/「売血エイズ」報道の苦い記憶/
チベット騒乱報道から見えてきた可能性


●第四章 巧みにしなやかに抵抗せよ
鶴と空椅子の一面写真「南方都市報」/南方週末の“天窓”事件/
温家「室」誤植事件は、故意か不注意か?/天安門事件広告と天安門事件写真/


●第五章 インターネットでジャーナリズムの夜明けは来るか
「微博」記者・飛のインパクト/「氷点」事件を振り返る/地方紙、体制外メディアの台頭

以前、書店でタイトルを見たときには、「ああ、どうせ中国の嘘ばっかりの報道を採り上げて、『マスゴミwww』とかいう『中国叩き』の新書なんだろうな」と思ったので、手にとることもありませんでした。

でも、この記事を読んで、興味がわいてきたので購入。

この本、前半部では、謎の在日アイドル『angel girl』や『華南トラ』『段ボール肉まん』などの捏造記事や、「捏造が起こるシステム」「中国におけるジャーナリストの立場・待遇」が紹介されています。

 日系企業に中国メディア対策や効果的な記者会見のやり方を聞かれると、私はよくないとは知りつつ、「ポジティブな報道をしてほしい時は会見場を企業の会議室ではなく、ホテルの宴会場にして、軽食やコーヒーを用意し、プレスキットにはサンプル商品のほか、封筒に車代として100元〜200元を入れておくのが常識みたいです」と答える。
 実際、私が北京に駐在していた時代に中国の企業や機関の記者会見に行けば、そのようになっていた。会見場にクッキーやコーヒーの一つも用意されていないと、中国人の記者たちはあからさまに不満な顔をし、そういう気の利かない記者会見には二度と来なくなる。
 中国人記者の感覚としては、企業の記者会見は宣伝と同じなのだから、広告費をもらってもいいくらい、だという。実際、プレスリリースを記事にする時は、「広告費」を要求する記者もいる。

 なんだかなあ、という話ではあるのですが、こういう記者たちの態度には、「記者の給料は基本給プラス原稿の種類と文字数の歩合制で、記者会見原稿や企業のプレスリリース原稿、識者インタビューは原稿料が低く設定されている」という理由もあるそうです。

 これが「常態化」してしまうと、

 そういう感覚がエスカレートしてくると、わざわざ自分から「お車代」や「広告代」をもらいに企業に出かけて、それがもらえないと企業のネガティブな噂を記事に書いてみせたりする記者も出てくる。こうなってくると、企業にとって記者は脅威だ。

 ということになってしまいます。
 著者によると、日本の記者たちは、「お車代入りのプレスキットをもらうと、人前で開けて、お車代が入っていないかをきちんと確認し、入っていたら会見主催者にその場で返却する。もちろん私も、一度として受け取ったことはない」そうです。
 こういう点に関して、日本の記者たちは、すごくモラルが高いのです。
 それだけ、「生活に余裕がある」という理由もあるのでしょうけど。


 しかし、こういう「少額の賄賂」だけではなく、中国のマスコミには、こんな記者たちもいて、大きな社会問題になっています。

 企業や記者会見主催者が発表内容を好意的に書いてもらおうと記者に送る金は、通称「紅包」(赤い封筒)という。これに対して、企業や工場、炭坑や地方政府などが不祥事を起こしたのを記者に書いてくれるなと頼む時に渡すのは「封口費」(口止め料)である。ともに一種の賄賂だが、額は封口費が圧倒的に大きい。

 中国では大規模な炭鉱事故がしばしば起こり、数十人〜百数十人の死者が出るのだとか。
 このような事故では、炭鉱主は管理責任を問われて、数百万元単位の罰金+刑事罰を受けることもあり、それが地元政府当局にも及ぶことがあるため、事故の知らせを聞いてやってきた記者たちに「封口費」を払って、事故を「なかったことにする」場合があるそうです。
 そして、その「封口費」に味をしめて、何度も金を要求する記者、あるいは、その「封口費」を受け取らずに事故を報道しようとする記者たちは、暴力によって「口封じ」される場合もある。
 この新書では、河北省、山西省で実際に起こった事件が紹介されていますが、これはまさに「氷山の一角」なのでしょう。

 日本では、さすがに「百人が亡くなった事故が隠蔽される」ことはありえませんから、中国の闇は、まだまだ深いと言わざるをえません。


 中国では、記者の立場というのも、日本とは違います。

 中国において記者というのは大別すると2種類ある。記者証を持っている記者と記者証を持っていない記者だ。2007年の報道ベースでは、中国のマスコミ業界では80万人の記者が働いているが、記者証を取得しているのはわずか18万人だという(C記者は今は記者証を持っているのは5万人くらい、記者全体の10分の1と言っていた)。

 この「記者証」があれば、「取材拒否に遭うことも、地元公安当局から取材妨害に遭うことも格段に少なくなる」「取得すれば、晴れてエリート記者になれる」そうです。
 しかしながら、この「記者証」というシステムによって、こんな「弊害」が出てきます。

 この記者証は維持するのも大変で、毎年更新時に「審査」があり、不穏当な記事を書いた記録が残っていたりすると、その年、記者証が更新されない場合もある。記者の正当な地位を守りたければ、国家新聞出版総署のブラックリストに載るような記事は書けない。つまりエリート記者ほど党中央宣伝部の通達する報道規制に触れる記事は書けないのだ。

 むしろ原稿を書けば書くほど、給料が減ることもある。党中央宣伝部直轄中央紙だけに、原稿のミスに厳しい。誤字脱字があれば1字最高50元の罰金が科される。誤字脱字より厳しいのは政治的間違い、つまり体制批判と取られかねない表現だ。指導者の名前や肩書きなどの打ち間違いなども、政治的間違いと判断される。大きなミスは、デスクや編集長にも罰金が科されることがあり、出世にも響くから、上司から「原稿は書かなくていい。書いてくれるな」と頼まれることも多いそうだ。
 だから、原稿を書かない記者ほど出世する。そして出世すれば、部下の記者に間違った原稿を書かれて出世の足を引っぱられても困るので、原稿を書かせない。北京大学や精華大学や復但大学のような名門大学を卒業し、記者証もしっかり取得しているスーパーエリートなのに、ほとんど原稿が書けない。書かせてもらえない記者が、こういう中央大メディアにくすぶっているのだ。一般にこういう中央大メディアでみなが憧れるポジションは現場で働く記者ではなく、誤字脱字間違いを見つけて直す校閲記者らしい。

……ここまで、「エリート記者たちを骨抜きにするシステム」が整備されていると、「そりゃあ、政府の監視下での報道の自由なんて、機能するわけがない」ですよね。
 そんななかでも、「記者証を持たない現場を取材する記者」たちのなかに、「少数の真のジャーナリスト」がいるのです。
 むしろ、「こんな環境で真実を報道するのは、よっぽど変わった人なのではないか」とすら思えてきます。


 それにしても、『南方都市報』の一面の「鶴と椅子」の写真が、ノーベル平和賞を受賞した劉暁波さんが、投獄されていて、ノーベル平和賞の式典に(家族も含めて)出席できなかったことへの「寓意」であるなどというのは、いまの日本人である僕からすれば、「そんなめんどくさいことをしなければならないのか……」と驚くばかりです。
 そういう「検閲と、それを逃れるための一部の良心的なジャーナリストたちの闘い」が、中国では、今まさに繰り広げられているのです。


 その一方で、「微博」(中国版twitter)などのインターネットというのは、中国の良心的なジャーナリストたちにとって、本当に大きな「武器」となっているようです。
 中国ではネットでも検閲がなされているのですが、それでも、ひとりの記者の「呟き」が波紋のように広がっていけば、当局もそれを「なかったこと」にはできません。
 もちろん、発信するには、危険が伴うのですが……

 著者は、「微博記者」といわれる、訒飛さんにもインタビューをしています。

 別れ際に彼に聞いた。「2003年春、新型肺炎(SARS)が北京に流行した時、記者たちは誰も真相を報道できなくて、米タイム誌が元軍医の告発文を特ダネで報じたことで隠ぺいが暴かれたのだけれど、今もし、同じ状況が北京で起きたら、あなたはどうする? 当局が許さない内部告発の文書をあなたが手に入れて、それは多くの人の人命に関わる。だけど上層部は絶対報道するなと圧力をかけてきたら?」
 訒飛ははっきり答えた。「状況はあの時と違う。もし僕が、その情報を手に入れて、信頼できて、報道する価値があると判断すれば、僕は微博で発信するよ。その情報は2秒で転載されて広がっていく」。

 こういう話を聞くと、たしかに、twitterは世界を変えているのだな、と思わずにはいられません。
 それでも、「犠牲になる(かもしれない)最初の情報発信者」が必要になることには、変わりないのだけれども。
 

 この『中国のマスゴミ』というタイトルについては、著者の福島香織さんが、「あとがき」でこんなふうに書かれています。

「最初は”中国の記者”ってタイトルで企画書出したら、『最近は中国モノ売れないんですよ』って、担当の編集さんに言われて没。で、同じ内容で”中国のマスゴミ”ってタイトルで企画書出し直したら、『これなら企画通ります』って言われました。

酷いタイトルなんだけれども、残念ながら、「こちらのほうが、日本の読者にはウケる」というのが、出版社側の認識のようです。
まあ、この「釣りタイトル」に惹かれてでも、少しでも多くの人が、この本を手にとってくれればいいなあ、と読み終えた僕も思いますけど。


清廉潔白な「ジャーナリスト」の命がけの報道よりも、自分たちがバカにできる「マスゴミ」のほうが、むしろ、「読者」からは好まれているのかもしれません。
日本は、中国に比べれば、はるかに「報道の自由」が保たれている国のはずだけれど、多くのマスメディアが「自主報道規制」をしてしまっているのです。
でも、その理由には「国民が、本物のジャーナリズムよりも、スキャンダルやゴシップ記事を求めている」という事情もあるんですよね。

マスメディアを「変える」ためには、まず、受信する側が変わらなくてはならないのです。
twitterをはじめとするインターネットによって、中国の人々にも「当事者意識」が芽生えてきたのと同じように。


参考リンク:「ヤフーニュースでは、コソボは独立しなかった」(活字中毒R。)

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