琥珀色の戯言

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新版 チェルノブイリ診療記 ☆☆☆☆☆


新版 チェルノブイリ診療記 福島原発事故への黙示 (新潮文庫)

新版 チェルノブイリ診療記 福島原発事故への黙示 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
チェルノブイリ原発事故の影響で甲状腺ガンになった子どもを助けたい―外科医菅谷昭は、ベラルーシに5年半にわたって滞在。貧弱な医療体制の中で数多くの子どもを救い、その手技は「奇跡のメス」と賞賛された。事故後、子どもたちの身に何が起きたのか。現地で綴った貴重な診療記に福島第一原発事故を受けての警告を加筆した、原発禍を最も深く知る医師による真実のレポート。

1998年に出版された本に、「新版に寄せて――福島とチェルノブイリ」という章を加筆したものです。
著者の菅谷昭さんは、信州大学医学部外科の助教授(今で言うと「准教授」)の地位をなげうって、52歳のとき、チェルノブイリ原発事故の被災地であるベラルーシに、甲状腺外科の専門医として無給で赴任されました。
この本によると、「1100万円の退職金を、全部使い果たしてしまった」そうですから、本当に頭が下がります。
でも、この本を読んでいると、菅谷さんは、自分の「選択」を、けっして後悔してはいません。
ここで語られている、ベラルーシでの菅谷さんの体験というのは、「本当に他人に必要とされる人生とは、こんなに充実しているものなのだ」と僕に語りかけてきます。
同じ医者でありながら、僕は菅谷さんが羨ましい。
その一方で、菅谷さんが日本に残してきた家族や、菅谷さんが診ていた患者さん、菅谷さんの元で学んでいた信州大学のスタッフは、どんな気持ちだったのだろうか?とも考えます。
菅谷さんのような高い技術を持つ医師が、病院から去ってしまうこと、ベラルーシの子供たちのためとはいえ、退職金を使いはたしてまで、ベラルーシで無給奉仕を続けたこと、それによって、「しわ寄せ」を受けた人もいたはずです。
もっとも、そんなことを言っていては、海外でのこんな活動なんて、できっこないのだけれど……
僕はこれを読んでいて、菅谷さんが日本の家族のことにほとんど触れていないことが、ちょっと気になってしまいました(菅谷さんには、奥様と息子さんがひとりおられるようです)。
それこそまさに、僕が小市民的であることの証明でもあるのですが。

 私は信州大学医学部での職を辞し、1996年から2001年まで、チェルノブイリ原発があったウクライナに隣接するベラルーシで、内分泌外科、とりわけ甲状腺外科の専門医として医療支援活動に従事した。放射線被曝の影響を受けて甲状腺ガンに罹患した子どもたちを治療することと、現地の医療水準を国際的レベルにまでひきあげる一助となれば、という切なる願いからの行動だった。汚染地での5年半に及ぶ医療活動を経験する中で、私は核というものがどれほど恐ろしいか身を以て知ることとなった。
 天の恵み、地の恵みとともに家族と平穏に暮らす故郷で、親が与えるものを食べ、豊かな大地に身を委ねて生きる子どもたちが、原発事故のために理不尽な形でガンになってしまった。自然発生ガンならまだしも、事故の影響によりガンを発症した子どもの肌にメスを入れる自らの行為は、今思い出しても辛い体験だった。医療者それぞれが最善を尽くしたにもかかわらず、なかには救えない命もあった。
「もっと生きたい」――そう願う子どもたちが、目の前で死んでいかざるを得なかった。そして、親たちは「あの時、外で遊ばせなければ……」「あそこで、キノコを食べさせなければ……」と深く後悔し、一生、自らを責め続ける。放射能による災害は、子どもたちとその家族全員の人生を容赦なく痛めつけ、苦しめ、同時に生き方そのものに計り知れない負の影響を及ぼしたのだ。

 国家の最も重要な使命は国民の命を守ることである。果たして、この認識が政府にあるのだろうか? 最優先されるべき事柄が、なぜか欠けているように思えてならないのだ。
 政治家や官僚、あるいは研究者は、「統計」や「集団」という形で物事を考えたり処理しがちだ。だが、チェルノブイリでの経験から私が強く願うのは、目を向けるべきは、個々のケースであるということだ。たとえ、統計上は甲状腺ガンの致死率が他のガンに比べて高くないとしても、現実には病と闘う子どもがいて、時に命を落とす子どももいた。本人の辛さや悲しみ、家族の切ない思いを目の当たりにすると、ひとりひとり、個々の命こそが大切であることを改めて痛感する。机の上で何をどう分析しても、命を失う痛みはわからない。

 菅谷さん自身も、ベラルーシでの経験が、こうして日本で役立ってしまう日が来るなんて、思ってもみなかったはずです。
 この本で語られているのは、「原発事故についての統計的な話」ではなく、あくまでも「ひとりの医師が現地で体験できた範囲での医療や子どもたち、被災地の現実」です。
 でも、だからこそ、この本には価値があると思うのです。
 僕たちひとりひとりの人間は、「神の視線」で物事を体験することはできないのだから。


 ベラルーシで、菅谷さんを待っていたのは、「過酷な現実」でした。

 ここでこの病院の医療設備、とくに私が深く関わっている手術室の現状について述べてみたい。
 手術室は、病棟の廊下とたった一枚のドアで隔てられているだけだ。
 手術場(実際に手術を行う部屋)に入って一番初めに驚いたのは、戸外に面する側の二重ガラス窓ごしに、病院の中庭や市街の景色がくまなく見わたせたことであった。たしかに、ときには四季折々の極彩色の風景が、過度に緊張した手術中の雰囲気を和ませたり、スタッフの心を落ち着かせたりしてくれるという利点もあるが、逆に言えば、屋外からも手術中の光景が手にとるように見えるのである。すなわち、患者のプライバシーとか人権といった、近年日本では厳しくとり沙汰されている問題など、ここではまったく無視されているわけだ。経済の混乱は、医療者にそのような意識を抱かせることすら忘れさせてしまったのだろうか。
 さらに驚くべきことは、二重窓のうち外側の窓のなかで、透明ガラスがはめこまれていない枠には、目の粗い布製の白いネットが張ってあり、室内が暑いときなどは、内側の窓を開けて外気を直接部屋の中に入れ、温度を調節しているのだ。その上、ときんは好奇心旺盛な虫がネットの端をすり抜け、手術を覗きに舞いこんでくるという珍事もある。
 今日、近代設備を備えた先進国の手術室では、手術の清潔度によって部屋を第一清浄域、第二清浄域などと細かく区分したり、細菌や塵埃が術野(手術をおこなっている部位)に落下せぬよう室内の気流調整がなされている。しかしここでは、そういうことは一切考慮されていない、というよりも、あまりに古い旧式の建物ではどうしようもないのだ。

 安い給料で激務を強いられるスタッフ、たくさん数をこなすことによってもらえる「特別ボーナス」のための、大雑把な手術、切れないメス、サイズがそろっていない手術用の手袋、最新のものからは10年遅れている術式……
 よくこんな環境で働けるものだなあ(しかも「無給」ですよ!)と、感心を通り越して、呆れてしまうくらいです。
 それでも、菅谷さんは、けっして焦ったり、現地のスタッフを突き放したりはしなかった。
 「ここは、こういう世界で、自分こそが『異物』なのだ」と割り切って、少しずつ、環境を変えていこうとしたのです。
 現地での不自由さのなかにも、したたかに生きる人たちに「希望」を見いだしながら。


 僕は、この本を読んでいて、「菅谷さん、よくやるなあ」と思ったのと同時に、「羨ましいなあ」とも感じたんですよ。
 自分に実際にこんなことができるかどうかはさておき、「やるべきことを見つけ、それをやり遂げようとしている人間の姿」が。


 菅谷さんは、一時帰国された際に、日本の各地で「報告会」をされたそうです。

 今回の私の現地報告会に参集してくださった方々のなかには、もうひとつ別のことに関心を抱いて駈けつけてくれた人たちもいたようである。どちらかといえば、同世代の男性に多かったと思われる。
 私が人生の半ばにして、なぜこのような行動を起こすに至ったのか、その経緯と周囲の反応、つまり己の人生を軌道修正することの動機と断行について、私自身の口から直接吐き出される言葉を聞きたい、と思って参加されたようなのだ。
 たしかに講演後の質疑や雑談のなかで、
「そのように生きているあなたがとても羨ましいです」
 とか、
「あなたは今、最高の贅沢をしていますよ」
 と言われたりもした。また、同年代のサラリーマン諸氏からは、
「自分の現在の生活状況と照らし合わせて考えると、まさにショックです」
 とも打ちあけられた。会社人間として盲目的に働く、日本の企業戦士たちの悲哀と懊悩を垣間みる思いがした。彼らも自分の居場所を必死になって探し求めているのだろう。
 誰もが何かをしたいという素朴な気持ちはあるが、現実には様々なしがらみから抜けきれず、なかなか実行できない。そこに言いしれぬ焦りと葛藤があり、多忙な日常生活のある断面で、自分を責めさいなんでいる様子がうかがわれた。
 ただ、彼らとの会話を重ねるなかで、少なくとも「生きがい」とは何かを考え始めていることだけはたしかだと思った。仕事に打ちこんでも、結局それだけのことにすぎないと、気がつき始めている。その気配を察知することができた。

 菅谷さんの講演から、充実した毎日の生活がうかがわれたからだとは思うのですが、「あなたは今、最高の贅沢をしていますよ」って言った人には、さすがに唖然としてしまいますけど……
 この「羨ましい」という気持ち、もうすぐ40歳になり、自分の人生の終点に明確な目標を持てないままでいる僕にも、よくわかります。
 だからといって、菅谷さんのように生きるだけの熱意もなく……
 この本、いわゆる「ミッドライフ・クライシス(中年の危機)」に直面している僕のような大人にとっては、「医療」だけでなく、「どうやって、これから生きていけばいいのか?」を考えさせてくれるのです。
 
 ただし、この本のなかでは、菅谷さんの真似をしようとする人たちに「警告」もなされています。
 日本から現地視察に訪れた、A氏と菅谷さんとのやりとり。

 「あなたがこのような医療救援活動を展開されている根底には、誰にも負けない技術を持っているという気持ちがあるのではないかと思うが、どうですか」
 私はそのとき、生意気にもこう答えてしまった。
「はい。少なくとも私の専門領域の外科治療技術や知識に関しては、国際的にもそれほど引けをとらないと思っています」
 するとA氏いわく、
「やはりそうでしょうな」
 実は、夏のはじめごろから、自分がこのような形で円滑に病院活動ができるのは、たぶん私が外科医であるからだろうと考えるようになっていた。
 言葉も満足にできない医者やボランティア活動家などを相手にしているほど、今のこのセンターには時間的にも人的にも、そして経済的にも余裕はない。結局は私が国際水準の専門技術と知識を有しているから、院内のスタッフたちもそれ相応の対応をしてくれるのであろうと推測していたのである。

 僕はこれを読みながら、同じ医者でも、自分だったら、菅谷さんのような「貢献」はできないだろうな、と思わずにはいられませんでした。
 そもそも、「言葉」の比重が高い、内科医や精神科医では、どんなに意欲があっても、「手で技術を伝えることができる」外科医に比べると、ハードルはさらに高いはずです。
 菅谷さんには「志」があった。
 でも、それと同時に、「世界レベルの技術」があったからこそ、現地で活躍することができた。
「羨ましい」とか「贅沢をしていますよ」なんて言う人たち(僕も含めて)は、そこを見落として、単なる「やる気や環境の問題」にしてしまっているのです。
 もちろん、ベラルーシの人たちからみた、自分の存在意義を客観的に評価できるような人柄だからこそ、菅谷さんは、現地でも信頼を集めることができたのでしょうけど。
 「善意」だけでは、本当に困っている人たちの役に立つことは難しい。


 医療に関わる人間として、あるいは、もうすぐ40歳になるひとりの男として、ものすごく考えさせられる本でした。
 原発事故の経験談としてだけではなく、ひとりの人間の「生きざま」を書いた本として、オススメさせていただきます。


 ちなみに、菅谷さんは、現在、長野県の松本市長を務めていらっしゃいます。

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