琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

メメント・モリ(Memento mori)


 今朝、車を運転していたら、道路に轢かれた犬が転がっていた。
 あまり見たいものではないけれど、そんなに珍しくはない光景だ。

 ちらりと眺めたあと、ふと、昔のこんなことを思い出した。
 小学生の頃は、友達と一緒に、30分くらい歩いて毎日通学していたのだが、通学路には、いろんな生き物の死骸があった。
 車に轢かれた犬、ひっくり返って、どぶ川に浮かんでいる魚、ときには、蛇がつぶれていたこともあった(このときは、さすがにダッシュで逃げ、しばらくその道を通るのをやめてしまった)。


 当時、僕たちのあいだでは、「生き物の死骸を見たら、それに向かって唾を3回吐かないと自分も死んでしまう」という「決まり事」があった。
 僕は当時から、「死者に対して、そんな失礼なことをするほうが、よっぽど呪われるのではないか?」という気がしていたのだが、みんなが唾を吐いているのに、自分だけやらないと「仲間はずれ」になりそうな気がしたし、そういわれてみれば、そのときに口の中に溜まっていた唾を飲み込むのもなんだかちょっと気持ちが悪く、なるべくその死骸とは別の方向に、ペッ、ペッ、ペッ、と唾を吐くことにしていた。


 それにしても、どうしてあんな「言い伝え」があったのだろうか?
 当時から、ニュアンスとしては、「死者を冒涜する」というより、「過剰に共感して、取り込まれるのを予防する」というか、何か追ってくるものから逃れるように、みんな唾を吐いていたようではあったけれども。


 5年生のときに引っ越した先の小学校には、まったくそんな「習慣」がなく、僕は少し安心した。
新しい小学校のほうが、校風としてはいささかワイルドだったにもかかわらず。


 小学生くらいのときのほうが、僕はいまよりずっと、死を畏れていたと思う。
夜寝る前に、寝たあと起きた自分は、いまの自分と違うのではないか?とか、死んですべてがコンセントを抜くように無くなってしまうのと、真っ暗な場所に意識だけがあって、何も聞こえず、何も見えず、何にも触れられない「たましい」みたいなものになるのとどちらが良いか、などと真剣に考えて眠れなくなってしまうこともあった。


 職業柄、たくさんの死をみてきたから、こうなってしまったのか、それとも、年をとって、「考えないようにする」のが上手くなっただけなのか。

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