琥珀色の戯言

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秋元康の仕事学 ☆☆☆☆


秋元康の仕事学 ( )

秋元康の仕事学 ( )

内容紹介
マーケティングは役立たない!

大ブレーク中のAKB48や、美空ひばりの名曲『川の流れのように』はどのように生み出されたのか? その秘訣は「リサーチをしない」「予定調和を裏切る」「企画のマイナス面を意識する」など、独創的な発想にあった! メガヒットメーカー・秋元康氏が明かす、目からウロコの企画法や生き方論。勝間和代氏との対談も収載した、ビジネスパーソン必読の書!

 僕はずっと、秋元康さんに対して、あんまり良いイメージを持っていませんでした。
 楽屋オチみたいな企画を濫発して、視聴者より人気タレントのほうばかりを向いている人のように見えたし、「ヒットすれば、どんな企画でもいいのか?」と感じることも多かったし。
 AKB48にしても、「いまさらこんなふうにしてアイドルを売り出そうとしたって、秋葉原に集まってくるオタクたちに、局所的な人気が出るだけなんじゃないの?」と思っていたんですよね。
 まさか、こんなに売れて「国民的アイドルグループ」となり、「総選挙」の結果が生中継されたり、翌日のスポーツ新聞の一面を飾るようになるとは。


 この『秋元康の仕事学』の冒頭で、秋元さんは、こんな話をされています。

 僕が企画について講演会をしていたときの話です。講演を聞いていたOLの方が、「秋元さんは企画の話をしていますけど、私は社内でお茶汲みばかり。企画のできる部署だったらいいんですけど」と言ったんです。しかし、僕はこうお話しました。たとえば、そのOLさんが、部署内でお茶を出すとき、「この人は胃が弱い」「この人は昨日徹夜で顔が真っ赤」と、それぞれの体調に合わせて、効くと言われているハーブティを出してあげたら、この人は企画力のあるお茶汲みになります。タクシーの運転手さんでも、見ていると、企画力のある人がいます。例えば、どこを何時頃に走れば、お客さんがいるか? 無線タクシーであれば、どこで待っていれば、一番配車される確率が高いか? 自分がお客さんだったとして、タクシーを必要とするいろいろなケースを考える人です。ただ普通に接しているより、考えている人のほうが売り上げもいいでしょう。
 これは、あらゆる営業職の人にも通ずる話だと思います。つまり、企画力とは、自分の居場所をつくることです。“この人がいないとダメなんだ”とまわりに認めてもらえる手段でもあるのです。オーバーに言えば、“存在価値”かもしれません。ですから、企画を考えるということは、実は誰にとっても身近なものなのです。

 「企画」っていうと、仕事上のプロジェクトとか、テレビ番組などの「大きな企画」を思い浮かべてしまいがちなのですが、こういう「日常の企画力」は、多くの人が、自分でも意識しないうちに、日々問われているんですよね。
 「自分はタクシードライバーだから」「上の指示通りに動くサラリーマンだから」と考えてしまいがちだけれど、「お茶汲み」だって、創意工夫の余地はたくさんあるのです。
 逆に、「日常生活で創意工夫を意識していない人」は、いきなり大きな企画に抜擢されたととしても、良い仕事をするのは難しいでしょう。

 秋元さんは、「日常生活での気づきやひらめき」を、すごく大事にしている人なのです。


 また、「人脈」についてのこの話も印象的でした。

 よく「人脈のつくり方を教えてください」と訊かれるのですが、人脈はつくろうと思った瞬間に嫌らしさが出てしまうんですね。パーティなどでも、一生懸命に名刺を配っている人を見かけますが、僕にはできません。僕はよく、全く仕事と関係のない人と会います。人間的に面白い人ばかりで、そこには何の思惑も計算もありません。何年か何十年か後、彼等から何か頼まれたら、僕は何でもやってあげようと思うし、彼等も僕が何かを頼んだらやってくれるでしょう。そもそも、仕事のために人脈をつくろうとする人は、警戒されますよ。タレントにしても、売れない時代からのスタッフやブレーンを信用しますね。それは、やっぱりメリットがないのにつき合っていた仲間だからです。ですから僕は、昔の仲間を大切にしています。
 つまり、人脈というのは、気づくと後ろにできているものなんです。努力してつくろうと思っていなくてもできるものはあります。一番いい例は、学生時代の仲間です。はじめから「人脈」だと思ってつき合っていませんよね。単に気が合って一緒にいたのが、何かのときに、「ああ、あの会社だったらおれの同級生が働いているから、無理かもしれないけれどもちょっと頼んでみるよ」という風になります。けれど、これが例えばどこかのパーティで「あ、どこどこの企業の人だ。知り合っておくといいことがあるかもしれないな」と、名刺交換をしたとしても、絶対に人脈にはならないんですよ。
 ですから、僕は、人脈を無理につくろうとするのではなく、目の前に出てくる縁を大切にしたほうがいいと思います。もっと、オーバーに言えば、人間というのは、運があり、縁があるんですよ。未来が見えるとか予言めいた話を、僕はまるで信用しないのですが、必ず自分の運命には理由があって、その理由はきっといいことなんだろうと信じればいいと思うのです。そう思っていれば、どんなトラブルがあったとしても、何かが次に広がるためにあるんだろうなと思えてきます。
 これは、自分も含めて、多くの人を見てきて思うのですが、おそらく人間関係というのは、そんなにむきにならなくても、必ずタイミングが来れば必要な人があらわれて助けてくれたりするものだと思うんですよ。だからこそ、僕も何かの縁で出会えた方には、僕にできることはできるだけやろうと思っています。

 僕も常々「人脈づくり」といって名刺交換会に参加するというのが、なんとなく疑問だったのです。
 名刺を交換したくらいで、本当にその人と「つながった」ことになるのだろうか?
 サイン会に行ってサインをしてもらったから、その作家と「知り合い」だと思い込んでいるようなものではないのか?

 多くの人と「面識がある」というのは悪いことではないと思うんですよ。
 でも、「浅く広く」あるいは「有名人と名刺交換をすることばかりを重視する」という人間関係のつくりかたは、結局のところ「自分はこんな大勢の人、有名人と『知り合い』なんだ」という自己満足にしかなりません。
 困ったときに相談もできないような「友達」の数に、意味があるのだろうか?


収録されている、秋元さんと勝間和代さんの対談では、こんな話が出てきます。

秋元康僕は、「人生、無駄なし」という言葉が大好きで、人生には本当に無駄がないんですね。
 例えば僕が、ニューヨークに住んでいるときに、ふと、ロサンゼルスの友達に会いに行こうと思ったんですよ。それで実際にロサンゼルスに行ったんです。いつもなら、友達に迎えに来てもらったり、迎えの車が用意されたりするんですけれども、ホテルも予約しないで、空港にあるインフォメーションでホテルを紹介してもらって、タクシーに乗って行ったんですよ。それでホテルにタクシーが停まって、ドアを開けて降りた瞬間に、犬のフンを踏んだんです。僕はこれに感動したんです。


勝間和代な、なんで感動したんですか?


秋元:だって、この犬のウンコを踏む確率、すごくないですか。僕がニューヨークにいようと思えば、このフンは風化していったわけですよ。僕が友達に電話をしていたら友達が迎えに来て、いつものホテルに連れて行ってくれたんですよ。それに、ちょっと時間がずれていて、犬がここを通る手前だったら、踏んでいないわけですから。すべてが重なって、もう、たったひと通りしかない、このウンコを踏む確率に、僕はしばらく感動して本当に動けなかったですよ。


勝間:酔いしれていたんですね、そこで。


秋元:「これはすごい!」と感動しましたよ。だから、それくらい僕は無駄がないと思う。普通だったらもしかしたら、「あー、ウンコ踏んじゃった。犬のフン、踏んじゃった」ということで、何かこう「ついてないや」で済んじゃうのかもしれないですけれども、僕は、それにひどく感動した思い出があるんですよね。


勝間:ちなみに、ソレはさすがに取ったんでしょうか、その後。


秋元:取りましたよ、もちろん。必死に取りましたよ。

なんというポジティブ思考!
というか、こういうふうに考えていけば、ありきたりの日常や、ちょっとしたイヤなことのなかにも「発見」は少なからずあるはずです。
「日常がつまらない」のは、もしかしたら、「日常」のせいではないのかもしれません。
そんなふうに疑ってみる姿勢が、大事なのでしょう。
その気にさえなれば、見えてくるものはたくさんあるはず。
いやまあ、それでも、犬のフンはちゃんと取っておかないと、なにかと困ったことにはなりそうですけど。


こういう話ばかり読んでいると、「ああ、ポジティブ志向の人なんだな」と感じるのですが、この本のなかで、秋元さんのイメージが変わったのは、この部分でした。

 人の目や世間というものは、車窓から見える景色みたいなものなんです。例えば、電車の窓から、田んぼの真ん中で踊っている裸の女の人が見えたとします。みなさん、そのときは「なんか、変なのがいるぞ」って窓際に集まりますよね。けれど、次の駅で降りてタクシーを飛ばして見にいく人はいないものなのです。
 あるいは男性が、「おれ、エアロビ習おうかな」と、ふと思ったときに、でもレオタードを着ることが、恥ずかしいと思うかもしれません。はじめのうちは、見た人は「プッ」と笑うかもしれないけれど、何回か通っていると、ずっと見ている人なんて誰もいなくなるんですよ。多くの人は、そのはじめの部分だけを気にして、やりたいと思うことを断念してしまうんです。
 ですから、先輩に「なに、あなた、勝手なことして」と言われることだけに怯えて、何もやらなかったりすることが、僕はとてももったいないなと思うんです。その先輩が家までずっと後ろをついて「カッテナコトシテ、カッテナコトシテ……」と耳元でささやいていたら別ですよ。けれど、そんなわけ、ないじゃないですか(笑)。
 人に悪口を言われたとしましょう。悪口を言われたら、みなさん傷つくでしょう。でも僕は、悪口を言われてずっと落ち込んでいる人によく言うんですけれども、悪口を言った張本人は言った瞬間に満足することが多いんですね。それでもう充分で、そのあとは友達と飲み屋でバカ騒ぎをしているか、テレビを見て大笑いして、とっくに忘れてしまっています。それなのに言われた被害者のほうが引きずってしまうんですね。そうやって、ずっと傷ついている人というのは、何かこう、おならを手に握って、ずっと嗅いでいるような感じに見えるんです(笑)。もう、いいじゃないですか。その瞬間は臭かったんだからと思うのですが、すごく大事に、何度も何度も「くせぇなあ……」と言っているように見える。それは、非常にもったいないと思うんですよ。なぜなら、いつかは忘れるわけじゃないですか。だったら早いほうがいいでしょう?
 僕が今、人生の半ばで思うことというのは、自分勝手でわがままに生きることの大切さです。もちろん社会のルールは守らなければいけません。青信号は進めで、赤信号は止まれということを守らなければ、この社会では生きていけません。しかし、それさえ守れていれば、人に嫌われようが、自分の生き方を貫くほうが魅力的だと思うんです。新しいことをやろうとするときには、必ず反対意見が出るものなのです。多少嫌われてしまうのは、しょうがないんですね。つまり、嫌われる勇気を持たないと優れた企画は生まれないのです。「こんなのはだめだ」「こんなの当たるわけがない」と言われては当然なんですよ。むしろ、みんなが「いいんじゃないの?」という平均点の企画ほどつまらないものはないんですよ。

 これを読んでいて、僕は、「あの秋元康さんも、いろいろと苦労してきたんだなあ」と思わずにはいられませんでした。
 こういう心境に至るまでには、悪口に対して、けっこう傷ついたり、落ち込んだりされたこともあったのではないでしょうか。
 放送作家として「時代の寵児」になったときの秋元さんへの評価は、けっして好意的なものばかりではありませんでした。
 僕も、「なんかうまくやったなこの人は……おニャン子クラブの高井さんと結婚までしちゃったし……」と思っていましたから。
 有名になるっていうのは、けっして、良い面ばかりじゃない。
 
 いろんな逡巡のすえ、秋元さんは、いまの「ポジティブ思考」にたどり着いたのです。
 だからこそ、強い。


 「秋元康なんて嫌い」という人にこそ、読んでみていただきたい一冊です。

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