琥珀色の戯言

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水惑星の旅 ☆☆☆☆


水惑星の旅 (新潮選書)

水惑星の旅 (新潮選書)

内容紹介
もう、きれいな水は「当たり前」じゃない! 地球的規模では、水の存在は実に不公平だ。ゆえに今や水資源は大きな利権となり、水をめぐる紛争も各地で少なからず起きている。いったい水の未来はどうなるのか……。水格差から淡水化装置、雨水利用、人工降雨、ダムや河川問題、水と健康の関係まで――現場を歩き、水に触れ、話を聞き、驚き、考えた、警鐘のルポルタージュ

このタイトルを書店でみかけて、「ああ、そういえば椎名誠さんには『水域』っていう大部分が水没した世界を描いたSFがあったなあ」などと思い出しながら購入。
『水域』の設定を、映画『ウォーターワールド』が盗んだのではないか、と話題にもなりましたね。
椎名さんは、「偶然の一致」だと仰っていましたが。


椎名さんは、世界中旅をしながら、「水」のことを考えてきたのです。
というか、世界を旅すると、「水」のことを考えずにはいられないんですね。
日本で生活していると、「水なんて、あって当たり前」のように感じてしまいがちなのだけれども。

 簡単にいうと、いま地球に存在する飲料水にたいして地球上で生活する人間の数が多すぎてすでに世界には清潔な水が手に入らない人が9億人近くいる。このままでいくと、10年後、20年後にはこの数が加速度的に増えていく、ということがはっきりしている。2008年の世界の人口は67億人。国連の推計によると2025年には80億人に増加するという。また水不足で不自由な生活を強いられている人の数は、2025年には55億人に達すると推算している。
 生活用水を含む飲料水が得られない人のうち7億人はアジアに住む。衛生設備(下排水、し尿処理)がない環境にある人は世界で26億人、そにうちアジアは19億人である。
 世界の渇水地域はアメリカ、カリブ、北アフリカ、スペイン、中東、インド、中国、オーストラリアと赤道よりも少し上のベルト地帯に多い。

(「」内は『地球がもし100cmの球だったら』(永井智哉・文、世界文化社)からの引用)


「もし地球が100cmの球だったら地球の表面は全部で2畳ほどの広さです。そのうち1畳半弱が海で覆われています。海の平均の深さは0.3mmしかありません。海水は全部で660cc、体積にしてビール大びん1本分ほどです」
 このビール1本分がさっきの14億立方キロメートルといことになるのだろうか。
 直径1メートルの地球の677ccの水のうち大半は海水で、淡水はわずか17cc。そのうち12ccは氷河などになって氷結しているから、飲み水として流通している淡水はわずか5ccでしかないという。その小さな地球に住んでいる人々が利用できる淡水はスプーン1杯の量なのだ。


僕はいままでずっと、日本は「資源に乏しい国」だと思っていました。
おそらく、大部分の日本人も、そう考えているのではないでしょうか。
でも、「水」という、人間が生きていくために、もっとも必要な資源が、日本ほど豊富な国は、世界にほとんどありません。

もちろん、その資源を有効利用できるようになった背景には、先人たちの努力があります。
江戸は、幕府が開かれて以来、ずっと人口過密で水不足の街でした。
ある程度の水が人々に供給されるようになったのは、玉川上水などの整備のおかげです。
こんなに水資源が豊富で、「水なんてタダ同然なのが当たり前」の日本でさえ、数百年前は、「水が貴重な地域が多かった」のです。


日本の「淡水化技術」は世界でも最先端にあり、どんどん人口が増え続けていく世界の水不足を緩和するのに役立ってきています。

 水とガソリンを比べたとき、わたしたちは案外単純に見過ごしているコトがある。その価格比だ。
 今、日本中であたりまえに潤沢に売られているペットボトルの水は500ミリリットルで大体120円〜130円。1リットル換算で240〜260円だ。それにたいして変動幅は大きいが、ガソリンが仮に1リットル130円前後とすると、水1リットルのほうがガソリンより断然高いということになる。ガソリンは常にガソリンスタンドでその日の値段が表示されているけれど、水の価格はメーカーやブランドによってやや違うだけで大体安定している。そんなことから、私たちはついつい水とガソリンの値頃感の違いに意識を払わないですませてしまうが、これはなんだか「ヘン」ではないのか。ガソリンより高い水をあまり意識せずに平気で飲んでいる私たちの社会は、ちょっと「おかしく」はないのか。もっというとなにか「危険」ではないのだろうか。

「島国で、多くの河川を有する」日本という国には、「水」の利用に関しては、非常に恵まれた国なのです。
世界各国の多くの国を通って海にそそぐ大河川では、「その水はどこの国のものなのか?」が、大きな問題となります。
上流にある国が河川を汚染したり、大きなダムをつくったりすれば、下流にある国はその影響を免れることができません。
でも、「この水は、うちの国を流れている川から得たものだ」と言われると、下流にある国としては、なかなか主張しにくい面もあります。
最近まで、日本は、そういう「水戦争」とは無縁でいられたのですが、椎名さんは、「日本の山林の水源地を買っていく外国資本」のことを、この本で採り上げておられます。

 今、日本各地の山(森)がかつてないほどの規模で売れている。林業がふるわなくなったいま、日本の山はその持ち主にとっては「巨大なやっかいもの」になりつつある。そういう山を買い取る動きが活発化しているのだ。相手はダミー会社を使っているので明確にはわからないが、背後に外国の企業が存在しているケースが多いという(『奪われる日本の森』平野秀樹、安田喜憲著、新潮社)。
 この本に書かれている内容は衝撃的だった。山林を買っていく企業の狙いはさまざなで、そこから伐採される木材もそのひとつだが、究極の目的は「水脈」というのだ。日本にはいたるところに「名水」がある。本章の冒頭書いたように山間部にはたくさんの川の源流があり、梅雨や台風が定期的にやってきて、水源が枯渇するということはまずない。質のいい水が安定供給されている「宝の山」に外資が目をつけているのだ。硬水が多いヨーロッパ各国にとって、「軟水」だらけの日本の水は文字通り「宝の源」であり、ウォータービジネスの最高の狙い目だ。国家的な水不足に悩んでいる中国はアジアの大河の源流がほとんど集まっているチベットから巨大な水路を作って中国の川に導き入れる工事を急ピッチで進めるいっぽう、日本の山の水脈にも手をのばしている。

ところが、いまの日本には、「このような外国からの水資源収奪を防ぐ法律が存在しない」のです。
もちろん、コストの問題などもあり、「日本の川の水が、すべて外国人のものとなる」というのは、いまのところ現実的ではないと思われますが、本当に水が枯渇していけば、「日本人が、日本国内を流れている綺麗な水を口にするのが難しい時代」がやってくる可能性もあるんですよね。
「水なんて、タダ同然で使えるのが当然」だと考えている人は、世界のなかでは、「少数派」なのです。
そんな日本人が、こぞってエビアンなどの外国のミネラルウォーターを買って飲んでいるというのも、諸外国からすれば、不思議な話かもしれません。
「水道から、タダ同然で普通に飲める水が出るのに」と。


いまは、原発の問題などで、「水の安全性」にも警鐘が鳴らされ、「日本にとっての最大の資源」への安心も揺らぎつつあるのですが……


「水」は、生命にとって必要不可欠なものであるのですが、あまりに身近すぎて、その重要性は(とくに日本人には)軽視されがちです。
そのことについて、世界をみてきた椎名さんが感じている「もどかしさ」がこの本からは伝わってきますし、それと同時に、日本人からみると「不潔な水」に頼って生きていかざるをえない世界の人々への愛着も感じられるんですよね。


今回の原発事故後の「電気」もそうだけど、本当に大事なものというのは、「あるのが当然」になりすぎてしまって、その価値になかなか気づかない。
これからの世界のことを考えていくためには「水問題」を無視することはできないのです。


ちょっと専門的な話も出てきますが、読みやすい、誠実な本だと思いますので、興味を持った方は、ぜひ一度読んでみてください。

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