琥珀色の戯言

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裁判長!ぼくの弟懲役4年でどうすか ☆☆☆☆


裁判長!ぼくの弟懲役4年でどうすか (ゼノンコミックス)

裁判長!ぼくの弟懲役4年でどうすか (ゼノンコミックス)

 映画化やドラマ化もされた『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』の作画を担当した松橋犬輔氏の実弟が逮捕された。本作は、裁判傍聴漫画家から一転、被告人の家族になった漫画家の苦悩と、その裁判の一部始終を描いた作品である。

 弟の逮捕後、女手ひとつで息子3人を育ててきた母親はショックで寝込み、仕事場にはイタズラ電話がかかってくるようになった。悪夢のような1カ月が過ぎ、弟との面会が叶(かな)うが、本人はことの重大さを理解していないのか妙に楽観的。兄には、そんな弟が宇宙人のように見える。


 深町秋生さんが紹介されていたのを読んで購入。

 僕は子どもの頃から「裁判もの」が大好きで、宇津井健さんの『ひまわりの歌』を観て、弁護士になろう!と心に誓ったこともありました。
 しかし、北尾トロさんの「裁判傍聴シリーズ」や映画『それでもボクはやってない』などを見ると、「裁判に関わる仕事」というのも、けっこう「やっつけ仕事」になってしまいがちなのだなあ、ということがわかり、まあ、弁護士(あるいは検事)になれなくて、結果的にはよかったのかな、という気もします。

 この作品では松橋犬輔さんの実弟が逮捕され、裁判で判決が出るまでの過程が、兄の松橋さんの手で描かれています(弟さんの「その後」についても、最後に少し触れられています)。
 松橋犬輔さんが、北尾トロさんの『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』という裁判傍聴記録のマンガ化の作画を担当していたというのは、なんと皮肉なことだったのでしょうか。
 「身内の罪を商売にする」というのは、ちょっと悪趣味だな、と僕は思いますし、そうやって「この事件」を描くことによって、被害者やその家族たちは、せっかくみんなが忘れかけてくれていることが掘り起こされて、つらい思いをしているかもしれません。
 「身内のこと」ではあるけれど、松橋さん自身が罪に問われているというわけでもなく(それでも「嫌がらせの電話」って、本当にかかってくるんですね……)、「あえて触れない」という選択肢もあったはずなのに、松橋さんはそうせずに、あえて「描く」ことを選びました。

 この本のなかで、松橋さんは北尾トロさんと「ぼくが弟の裁判を描く理由」というタイトルで対談をされています。

松橋:僕は今までさんざん他人の裁判をおもしろおかしく描いてきた。身内だからって自分の弟だけ甘くすることはできません。あとは弟にね、僕や母親や周りの人がどうだったのかって、それを読ませたいんです。


北尾:弟に向けるメッセージでもある。


松橋:弟は「読みたくねぇなぁ」って言ってましたけどね。僕だってこんな漫画描きたくなかったよ(笑)!


北尾:弟の裁判なんて、喜んでヤッホーって描ける話じゃないもんな。でもこれを避けたら今までなんのために裁判漫画描いてきたのかってなる。


松橋:そう。だからもう描くしかない。義務っていうか運命だと思ってます。

「描く」っていうのは、本当に因果な商売ですね……
こうやって「身内の犯罪」を赤裸々に描くことによって印税を稼ぐということに対して、僕は「やっぱりちょっとな……」とも感じます。

この弟さんというのが、自分のやった犯罪(携帯電話を利用して、13〜19歳の中高生などの未成年ばかりをスカウトし、合計約100人を売春クラブなどに紹介して金銭を得ていた)に対して、

大勢の女の子たちをシミュレーションゲームみたく 自分の思い通りに動かせるんだ
しかもそれが ケータイひとつでできるってのが――おもしろくってさ!

と口にする場面では、思わず絶句してしまいましたし。

「生活に困った人間が、金のためにする犯罪」と、「そんなに困ってもいない人間が、快楽のために行う犯罪」はどちらの罪が重いのか?
「儲けていない」という理由で、後者のほうが量刑が軽くなるのは「正しい」のか?


ただ、この弟に憤る一方で、僕はまた「家族」というものについても、あらためて考えずにはいられませんでした。
「大人」になり、こうして新しい自分の家族を持って生活していると、「兄弟がいま何をしているか?」なんて、わかりませんよね。
身内だから、悪いことはやっていないとなんとなく信じてはいるけれど、その一方で、「絶対に悪いことはしていない」という言い切れるほど、お互いのことを把握したり、相談しあっているわけじゃない。
何か事件を起こしたとしても、「兄弟だから」という理由で自分が責められるとしたら、それを受け入れることができるだろうか?


この作品は、あくまでも「被告人の兄」という立場で描かれています。
「客観性」には乏しいし、「被害者へのお詫び」もありません。
しかしながら、だからこそ、この作品は、まさに「当事者にしか描けないもの」になってもいるのです。

表紙の、幼い男の子が手錠をかけられている絵が、すごく印象的だったのですが、他者からみれば「悪そうなヤツが、悪いことをした」ようにしか見えない被告人でも、小さな頃から知っている親や身内にとっては、「なんてアイツが……」ってことばかりなのだろうなあ……

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