琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

テレビは生き残れるのか ☆☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
地上アナログ放送停波、広告費激減、ソーシャルメディアの台頭、スマートTV登場etc.これらは日本のテレビや映画をどう変えるのか?―財務的な源泉であった広告収入に頼れなくなる今後、日本の映像ビジネスはどうなっていくのか。スマートフォンタブレット端末の登場は映像コンテンツの流れをどう変えるか。ソーシャルメディアの台頭によって私たちのメディアとの接し方は変わるのか。コンテンツを生みだしてきた“クリエイター”はどこへいくのか。メディアビジネスを熟知する気鋭のブロガーによる、渾身の論考。

なかなか刺激的なタイトルの本なのですが、僕にとっては、後半のテレビについての話よりも、前半の「映画ビジネス」の話のほうが興味深いものでした。
この本のすごいところは、かなり現実的な「お金の話」が出てくるところだと思います。

 さて、ここまで映画製作、そして制作についても見てきた。その際、興行収入20億円で製作費5億円という数字でシミュレーションしてきたのだが、これはどれだけ一般性があるのだろう。


 日本映画製作者連盟という団体が毎年1月末に、前年の映画興行のデータを発表している。たとえば2010年の興行成績なんてのもわかる。邦画の興行収入10億円以上の作品を表にしたものを見てみよう。
 興行収入が20億円を超えたもの、つまりぼくがシミュレーション用に提示した数字にあてはまりそうなのは、15位の「おとうと」、16位の「悪人」、このあたりまでだろう。一方で、この年に公開された日本映画は408本あるのだそうだ。……408本!
 408本のうち、興行収入が20億円を超えたものは15本に過ぎないのだ!
 興行収入20億円で製作費が5億円、というシミュレーションでは、劇場公開ではトントンだった。DVDで利益が出るが、そのDVD販売は落ち込んでいる。


 では残りの390本の日本映画は元がとれているのだろうか?
 少なくとも、20億円には達しないとしても、この表にある10億円以上の作品なら、DVD販売、製作費との兼ね合いや、アニメやヒーロー物だとその他の収入なども含めて、ビジネスとしての計算は成り立っている可能性が高い。
 

 でも10億円に満たない、他の379本の作品はどうなのだろう?
 一概には言えないが、この表に入っていない作品は、ビジネスとして成り立たなかった可能性は高いだろう。それが380本もある。それが日本映画なのだ。

「映画は儲からない」とは聞いていたけれど、ここまで儲からないものなのだなあ、と。
こういう状況であれば、「低予算でつくられた、最初からDVDでで稼ぐための『劇場公開作品』」ばかりになるのもしょうがないのかもしれません。
しかし、そのDVDも売れなくなってきているというのだから……


後半の「テレビは生き残れるのか?」についての話は、率直に言うと、「まあ、そんな感じになるんだろうな」という印象でした。

 大きなニュース、たとえば「○○首相が辞任を宣言」とか「××国で暴動が起こった」という知らせは、多くはまずテレビ放送中に臨時ニュースとしてテロップで配信される。それを見た人々がツイッター上でそのニュースを伝えてくれる。移動中にそれをスマートフォンで知り、帰宅したらテレビをつける。ちょうどその詳細なニュースをテレビで放送している。それを見ながらタブレットでまたツイッターを眺めていると、関連情報を教えてもらえたりする。そのつぶやきを見て記事をネットで読んだり、またオピニオンリーダーの意見や感想をツイッターで読んだりする。
 つまり、テレビは第一次情報のソースとして大いに力を発揮するのだ。テレビ放送からソーシャルメディアにマクロ情報が伝わり、詳細なミクロ情報がまたツイッターを通してもたらされる。そんな流れを、テレビとタブレットの連携によって上手にすくい取ることができる。
 テレビはリビングルームに置かれていることが圧倒的に多い。ということは、リビングルームというメディア視聴の最大の拠点で、今後はテレビとタブレットが連携して人々にコンテンツを送り届けていくことになる。そういう前提に立つと、この2つを連携させた新しいサービスやコンテンツの考え方が生まれてきそうだ。
 そしてそれは実際に始まろうとしている。

 僕もネットをやりながら、よくテレビやDVDを流していますし、いまの時代のテレビには、スポーツ中継をリアルタイムで観ながらtwitterのタイムラインを眺める、なんて新しい楽しみかたがあります。
 先日、『天空の城ラピュタ』が放映されたとき、twitterのタイムラインに「バルス!」が溢れてきたのには、なんだか感動してしまいましたし。
 テレビを媒介にすることによって、ネットで「より親密に、多くの人と同じ時間を共有することができる」。
 それこそが、今後のテレビの大きな「存在意義」になっていくのでしょうね。
 ある番組を観るため、だけでなく、「みんなと一緒に、同じ時間に観たいから、テレビの前に座る」そんな時代。
 だって、これだけDVDなどの録画機器が発達していれば、そういう目的がなければ、テレビ局の都合に縛られず、録画いておいて、観たい時間に観ればいいわけです。CMはとばして。
 それでも、「テレビ放送をリアルタイムで観ている人」が、ドラマでも10%くらいはいるのですから、「なんのかんの言っても、みんなテレビ好きなんだよな」とも思うんですよ。
 僕の家ではCSも観られるのですが、CSの番組表を観ていると、「この時間に、こんなに多くのテレビ番組が流れているのか……」と気が遠くなります。昔の懐かしいドラマやバラエティ、映画などが目白押し。
 そのなかで、自分が観ることができるのは、ごくごく一部であることが悲しくなりますし、観られるとなると、意外と観ないものなんですねこれが。


 ほんと、「夜になったら何もすることがなかった」子どもの頃の僕に「24時間、観るものがありすぎて困っている」いまの僕から、テレビ番組をわけてあげたいくらい。


 このあいだ、「クラブニンテンドー」のアンケートに答えていたのですが、そのなかで、「このゲームのことを知るきっかけになったものを挙げてください(複数回答可)」というのがあったんですよ。
 そこには、テレビ、新聞広告、ラジオ、ゲーム雑誌、一般雑誌、インターネット広告などのさまざまなメディアが並んでいました。もちろん「友人から」というのも。
 僕はそれを見て、「ゲーム雑誌」の項目に○をつけ、そして、「テレビ」にも○をつけながら、「ああ、やっぱり僕みたいな、この年齢になっても『ファミ通』を読んでいるコアゲーマー以外にとっては、テレビCMの影響力って、大きいんだろうな」と感じずにはいられませんでした。
 有名人が大勢登場しているニンテンドーのテレビCMを「一度も観たことがない」人は、まずいないと思うし、ネットでの広告というのは、こちらから能動的に探しているものでなければ、なかなか印象に残りません。
 いまは、新聞や雑誌がどんどん売れなくなってきていますから、「テレビCMの『もともとそれに興味がない人たちの目を留める力」は、相対的に上昇してきているのではないか、とすら考えてしまいます。


「とりあえずつけている」人たちがまだまだ大勢いるかぎり、「広告媒体」としてのテレビの影響力は、そう簡単には失われないはずです。


 その一方で、、マスメディアの報道によって、「テレビが一方的に視聴者に何かを押しつける」のは、難しい時代になっていっていますよね。


 テレビだけではなく、「これからの人とメディアはどうなっていくのか」が「クリエイター側」の視点から語られている、なかなか興味深い本でした。
 もっとも、「クリエイター」ではない立場の僕からすると、ちょっと「クリエイターとして生き残って行きたい人向け」すぎて、蚊帳の外に置かれたような気分にもなったのです。

 ハリウッドでは、いくつかのエンディングを編集しておき、試写をしてアンケート調査でもっともふさわしい結末を決めることも多いそうだ。そんな味気ないことでどうするとか、作り手としての沽券はないのかとか、ぼくだって言いたくはなる。
 でもそういうシステムを構築することで、ひとりの勘だの感性だのに背負わせるプレッシャーと非合理はなくなるだろう。
 日本の映像ビジネスには明らかに、マーケティング発想が欠けている。ぜひ取り入れるべきである……のだが、それが簡単にはいかないのは、日本映画には市場としての難しさがあるからだ。

 この「日本映画の市場としての難しさ」も書かれているのですが、僕はやっぱり、観客として、そういうふうに「マーケティングで映画の結末を決める」というのは、「味気ない」というか、「そんな作品に魅力があるのだろうか?」と思うんですけどね……

アクセスカウンター