琥珀色の戯言

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ジェノサイド ☆☆☆☆☆


ジェノサイド

ジェノサイド

内容(「BOOK」データベースより)
急死したはずの父親から送られてきた一通のメール。それがすべての発端だった。創薬化学を専攻する大学院生・古賀研人は、その不可解な遺書を手掛かりに、隠されていた私設実験室に辿り着く。ウイルス学者だった父は、そこで何を研究しようとしていたのか。同じ頃、特殊部隊出身の傭兵、ジョナサン・イエーガーは、難病に冒された息子の治療費を稼ぐため、ある極秘の依頼を引き受けた。暗殺任務と思しき詳細不明の作戦。事前に明かされたのは、「人類全体に奉仕する仕事」ということだけだった。イエーガーは暗殺チームの一員となり、戦争状態にあるコンゴのジャングル地帯に潜入するが…。

うーん、これは凄い。
実は、前半3分の1くらいまでは、「なんか専門的な話が多くて(とくに日本の古賀研人パートは)、ちょっとかったるいな」と思っていました。

でも、『ネメシス作戦』の真実が明らかになるにつれ、作者の「発想力」に引き込まれていきました。
いやあ、こういう「エンターテインメント小説」で、ここまで「唖然とさせられた設定」は久しぶりに読んだような気がします。
これが「トンデモ妄想系お笑い小説」にならなかったのは、ひとえに作者の高野和明さんが「大きな嘘のために、ものすごくたくさんの小さなデータや事実を積み重ねていった」努力と細心の注意の賜物だと思うんですよ。
「このくらいの壮大な大法螺になら、騙されてみてももいいや!」と清々しい気分になれたのは久しぶりです。


「リアリティ」を追究するあまり、どんどん物語のスケールが小さくなり、「ディテール重視」になっていく傾向を、僕は最近感じています。
ネットの力で検証されやすいこともあり、エンターテインメントまでが「リアルで小さな物語」と「ディテールにこだわらない大きな物語」に二極化するなか、この『ジェノサイド』は、スケールの大きさとディテールを見事に「両立」しています。
それこそ、高野さんは「新しい人間」なのかと思うくらいに。


この小説、SFなのか冒険小説なのか、それとも「人間とは何か?」を問うものなのか、どうもよくわからない面はあるのですが、おそらく、そういうったものすべての要素を「人が人を殺すこと、しかも『虐殺(ジェノサイド)すること』を通じて描く小説」なのでしょうね。

 持って生まれた暴力性向を爆発させている男たちの行動には、人種差などなかった。武力で勝った側が猛り、狂い、異人種を屠っていく様は、どちらの民族がより劣等なのかを明確に物語っていた、村人たちの手足を切断し、首を刎ねて回っている民兵の姿に、これまで大量殺戮(ジェノサイド)を繰り返してきたあらゆる人種、あらゆる民族、あらゆる人間たちの姿が重なって見えた。この世であっても、人間は地獄なら作り出せる。天国ではなく。
 もしもここにジャーナリストがいたら、殺戮の模様を文章に認めたことだろう。その記事が、読む者の心に平和への希求を芽生えせるのと同時に、怖いもの見たさの猟奇趣味を煽り立ててしまうのを知りながら。そして、低俗な娯楽の送り手と受け手は、殺戮者たちと同じ生物種でありながら自分だけは別だと思い込み、口先だけの世界平和を唱えて満足を覚えるのだ。

この小説、かなり残酷な描写が多いのは事実です。
「少年兵」についてのくだりなど、読んでいて、あまりの救いようのなさに、僕も吐きそうになりました。
残念なことに、この物語でいちばんリアルに描かれているのは、「虐殺」の場面です。
善意の人たちが、子どもたちを救う話ではなくて。

そして、この『ジェノサイド』という作品そのものも、「怖いもの見たさの猟奇趣味を煽り立てる作品」ではあります。
高野さんは、おそらくそれを自覚しているのだろうけれど。


こんな人類は、もう救いようが無いのだろうか?
あるいは、少しずつでも「前進」しているのだろうか?


メタルギア』っぽいというか、『虐殺器官』っぽい作品でもあり、昔読んだ、フォーサイスの作品『オデッサ・ファイル』をちょっと思い出したりもしました。
これらが好きな人たちには、とくに気に入っていただけるのではないかと思います。

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