琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

証言。『革命』はこうして始まった ☆☆☆☆☆


内容紹介
日本のゲーム産業に革命をもたらした「プレイステーション」の真実
SCEが設立された1993年11月時点でのゲーム業界の勢力分布は、日本国内においては、ほぼ任天堂の独り勝ち状態であり、アメリカにおいてSEGAの16ビットマシーンが気を吐いていたとはいえ、任天堂が絶対的な王国であった。
しかしその10年後、2003年9月までの「プレイステーション」の全世界におけるハードの生産出荷台数は9820万台。
同じくソフトの生産出荷枚数が9億3500万枚。
プレイステーション2」のハードの生産出荷台数は6000万台超、ソフトの出荷枚数が4億2500万枚。
1993年には、ゼロであった「プレイステーション」フォーマットの市場は、10年間で世界ナンバーワンのフォーマットに成長したのである。
まさに誰もが予測できなかった「革命」が、この10年間に起こったのである。
その「革命」の真実が、今、ここに明らかになる!

僕はこれを読みながら、プレイステーション(以下プレステ)発売当時のことを思い出さすにはいられませんでした。
プレイスーテション発売後の「次世代ゲーム機戦争の結末」を知っている僕は、「プレイステーションの勝利は、歴史の必然」だと思ってしまいがちだけれど、当時の記憶をたぐり寄せてみると、「ゲームのハードメーカーとして、まったく実績がないソニーのゲーム機が、ここまで世界を席巻するなんて、まったく予想していなかった」のです。
バーチャファイター』と『闘神伝』を比較して、「ハードの性能はともかく、ゲームの質は……」と、当時は考えていましたし。
プレイステーションもサターンも、任天堂の新機種が出たら吹っ飛んでしまうだろうな……」そう予想していたのです。


プレイステーション」が発売されたのは、1994年の12月3日。
 僕たちは、その後、「プレイステーション」がおさめた歴史的な大成功を知っています。
 でも、発売当時は、テレビゲームのハードメーカーとしての実績がまったくなかったSONYのハードがここまで売れると予想していた人は、そんなにいなかったのではないでしょうか。
 同時期に満を持して発売されたセガの『サターン』は、まさにここで話題になっている『バーチャファイター』が遊べることが大きなアドバンテージでしたし。


 この本によると、『プレイステーション』開発初期には、当時「一人勝ち」の状態であった任天堂の勢力が非常に強く、当初『プレイステーション』は、スーパーファミコンに接続するCD-ROMシステムだったそうです。
 それが、任天堂の「変心」で宙に浮くことになり、そこから、SONYの新ハードが動き始めました。当時は、SONYの社内でも、慎重論がかなり強かったそうです。
 スーパーファミコン用のCD−ROMがすんなり商品化されていれば、SONYが独自のハードを出すことはなかったのかもしれません。
 歴史というのは、実に皮肉なものですね。
 著者が書かれているように、もし、そこで「任天堂SONY連合」ができていれば、世界のゲーム業界は、この2社に支配されていた可能性も十分ありそうです。


 でも、SONYは、あえて「独立への道」を選びました。
 いまからみると、それは「歴史の必然」のように思えるけれども、当時、リアルタイムでの1994年12月3日のプレイステーション発売日を迎えたときの僕は、「ああ、SONYも欲にかられて失敗したなあ、と。3DOを観るような目で観察していた記憶があります。


 そんな「無謀な挑戦」から、『プレイステーション』は、いかにして、「ゲーム機の歴史を変えた」のか?
 この本は、関係者のインタビュー中心なので、少なくとも「プレイステ―ション発売前後のゲーム業界の予備知識」がないと、楽しむのはちょっと難しいのではないかな、と思います。
 その予備知識を持っている人にとっては、本当に興味深い「証言」の数々でしょう。
 
参考リンク:『バーチャファイター』が、『プレイステーション』を救った!(活字中毒R。)

この「参考リンク」で書かれているように、プレイステーションに対して、ゲームメーカーも、当初は好意的ではありませんでした。
制作側からすれば、「3Dのゲームをつくる」というのは、いままでの経験が活かせない面も多く、不安も大きかったようです。
そして、「プレイヤーも、3Dにそんなに魅力を感じていない」はずでした。
ところが、宿敵・セガが出したひとつのゲーム『バーチャファイター』がきっかけて、歴史は動いたのです。
もちろん、『バーチャファイター』がなかったとしても、ゲームの3D化は「歴史の必然」だったのかもしれませんが。

この本には、プレイステーションをつくった、さまざまな「関係者」の興味深い話も収録されています。
そのうちのひとつ、プレイステーションのコントローラーをデザインした、後藤禎祐(ごとう ていゆう)さんのお話。

インタビュアー:コントローラーのボタンには、「△○×□」と描かれていますが、これにはどういう考えや意図があったのでしょうか。


後藤:これもたいへんでした。当時、他社のゲーム機はボタンを色分けをしたり、アルファベットで区別していました。それよりも意味があり、覚えやすいものをと考えて、記号やアイコンにしようと思いました。そのとき考えついたのが「△○×□」だったのです。「△○×□」には、それぞれ意味を持たせ色を付けました。「△」は視線のイメージで頭や方向の意味を持たせ緑色にしました。「□」は紙のイメージです。メニューやドキュメントの意味を持たせピンク色にしました。「○」と「×」は決定のイメージで、イエスとノーの意味を持たせ赤と青にしました。じつは、これも最後まで反対されたのですが、「絶対これは間違いありません」と事業部を説き伏せて、「後藤がそこまで言うなら」と納得していただきました。こんなシンプルな記号を使用できるチャンスというのは、滅多にないことです。それを実現できたのは、すごく幸運なことでした。たとえば「マドンナ」と聞いたら、ほとんどの人が「あの人か」と同じ人物をイメージすると思います。それと同じで、シンプルな記号とその組み合わせで「あ、プレイステーションだ」ということや、ゲームの楽しさを表すアイコンとして、その楽しさが伝われば、これ以上のことはありません。

 たしかに、「△○×□」という、この世の中に満ちあふれているシンプルな記号の組み合わせが、プレイステーションを示すアイコンになったというのは、すごいことですよね。
 そう言われてみるまで、あまりに「当たり前のことになりすぎていて、気づかなかった」けれど。

 プレイステーションの「勝因」について、セガのすごいゲームを作り続けた、ゲームアーツ・宮路洋一代表取締役は「敵側」から、こんな分析をしています。

宮路:我々はセガサターン向けにソフトを供給していたわけですが、プレイステーション次世代ゲーム機戦争に勝った最大の理由は、「流通革命」だったと思います。ファミコンの頃から、抱き合わせ販売とか、品切れるとす数カ月供給されないとか、さまざまな問題があったにも関わらず、プレイステーションが出てくるまでは一切改善されていなかったのが、「注文すれば1週間後に商品がお店に届く」というビジネスモデルを確立したところはさすがだと思いました。セガサターンも同じCD-ROMだったのに、1週間での納品は無理でしたね。


インタビュアー:CDの生産工場をソニー・ミュージックが持っていたからですね。


宮路:それに加えて、お店と直販体制を取ったことで、お店は無用な在庫を持たなくても済むようになった。お店からの支持はもちろん、ゲームメーカーの営業サイドの支持も得ることができたわけですよね。CD-ROMだったのに、それまでにあった任天堂の流通を使ってしまったことがSEGAの敗因のひとつだったと思います。

「われわれは、『ゲームの質』でプレイステーションに負けたわけではないのだ」という宮路社長の矜持が伝わってくるようなインタビューなのですが、たしかにこの「流通革命」が、プレイステーションの勝利に果たした役割は大きかったようです。


 この本で、僕がいちばん印象に残ったのは、任天堂SONYがCD-ROM(幻のスーパーファミコンに接続する「プレイステーション」)で決裂したことに対する、渡辺浩弐さんの、このコメントでした。

 今思い出したのですけれど、任天堂SONYジョイントしたときに、(SONY側が)「ものすごく良い条件で契約できた」と喜んでいたのですよね。「まさか、この条件でサインしてくるとは意外だった」とか言っていて。そのときに私は、ちょっと危ないな……と思ったのですよ。こういうのって勝ちすぎちゃだめじゃないですか。「任天堂はやはり凄い会社で、瞬間的な勝ち負けではなく、百年単位で付きあっていかないといけないと思います」と私ははっきりと言ったのですけれど……

 「相手と極限の交渉をして、少しでも自分たちの側に有利な条件で決着をつけたい」と多くの人は思うはずです。
 でも、2つの会社の契約で、どちらかが一方的に有利な条件であれば、それは長続きするものじゃない、と考えるべきですよね。
 「勝ち過ぎ」は、一時的には大きな利益を生んでも、長い目でみれば、相手の反感を生んでしまい、関係を悪化させていきます。
 「長い間のつきあい」を続けていくためには、やはり、「お互いにメリットがある」ことが重要なのですね。


 さて、これからまた、プレイステーションのように、「ゼロから歴史をつくるゲーム機」が出ることがあるのでしょうか?
「いまさらニンテンドーソニーに敵うわけないよ」
 でも、プレイステーションとサターンが出るまで、いや、出てからもしばらくの間は、多くの人たちが「ニンテンドーの優勢が揺らぐわけがない」と思い込んでいたのです。

 こうしているあいだにも、世界のどこかで、「革命的なゲーム機」がつくられているのかもしれません。
 そんなことをちょっと考えてしまう、そんな一冊です。

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