読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

『ベストセラー作家だけど質問があるよ?』に答えてみました。

いまさらながら、『ベストセラー作家だけど質問があるよ?』に答えてみました。

何でぼくのことを承認欲求の強い人間だと思うの?

このエントリのような質問をすることそのものが「おさえきれない承認欲求」のあらわれなのだと思われるのでしょうね。
「こんなこと書いたら叩かれるかな」と自粛する人が大多数でしょうから。

何でぼくがブックマークのためにブログを書いてると思うの?

「1000ブクマいったら、○○します」というような「ブックマーク数を条件にしたエントリがあるからなのでは。「100万円くれたら、××します」と表明している人がいれば、「ああ、この人はお金が欲しいんだな」と思うのと同じです。

なぜぼくの悪いところだけを取りあげて良いところを見ようとしないの?

僕は良いところ(面白いところ)も見ているつもりです。ただ、これまでの『はてな』での流れをみていると、おそらく、あなたが「成功してしまった、しかも、大成功してしまったから」だと思うんですよ。『もしドラ』が1万部くらいの「スマッシュヒット」であれば、「はてな」の世界では、「目のつけどころがイイ!」って褒めてくれる人がもっといたのではないかと。要するに、妬まれているということです。
そもそも、ネット上では、何かが褒められるよりも、けなされる場合のほうが多いですし(僕の観測範囲の問題かもしれませんが)

カエサルは「人間は自分が見たいと思う現実しか見ない」と言ったけどそれについてどう思うの?

これに対して、あれこれ言っている人もいますが、僕は「見たくない現実を見るには、現実というのはつらすぎる」のだと考えています。
「見たい現実を見ることによってしか救われない人もいる」という現実もまた、考えてみる必要があるのではないでしょうか。

なぜぼくのことを偉そうと批判する人ほど偉そうなの?

これはもうしょうがない。あなたに対して執拗な批判をしている人のなかには、「大ベストセラー作家を叩く」ことによって、「承認欲求」を満たしている人もいます。そういう人が「偉そう」なのは、「他人に対して偉そうにふるまうことによって、自分は偉いのだと信じたい、あるいはそれを他人に認められたい」からです。偉そうにすることが、彼らにとっての『救い』なんですよ。そういう人たちの薄っぺらさは、大部分の傍観者にはちゃんと見えています。
ちなみに世界の大部分の人は、ハックルさんのことを「ベストセラー作家らしいけど、よく知らない、どうでもいい人」だと思っているはずです。

ブーメランって言葉を知っているの?

僕はこのネット上での「ブーメラン」という言葉が大嫌いです。これを使う人は、要するに「千日手」に持ち込みたいだけで、話を前に進める意欲がないということが明白なので。だから、プロの作家には、こんな安易でバカバカしい言葉の相手をしてほしくないです。
これを使いはじめると、「ブーメランだろ」「ブーメランだって言っているお前がブーメラン」「ブーメランだって言っているお前がブーメランって言っているお前がブーメラン」……になってしまうだけです。西城秀樹さんも呆れます。

なぜぼくのことを『ソーシャルネットワーク』に出ていたマーク・ザッカーバーグみたいだと思うの?

うーん、僕は『ソーシャル・ネットワーク』観ましたが、そんなこと全然思いませんでした。あえて想像してみると、「対人コミュニケーションが苦手そうな、才能と個性のある人」という共通点でしょうか。でもまあ、「対人コミュニケーションが苦手」な人は、ザッカーバーグ以外にもたくさんいます(僕もそうです)。ザッカーバーグみたいな成功者に例えられるのは、それなりに光栄なことじゃないでしょうか。少なくとも、「対人コミュニケーションが苦手なだけの引きこもり」をザッカーバーグに例える人はいないでしょうから。

なぜ ぼくのことをスティーブ・ジョブズのような人間だと思わないの?

これは答えやすい質問です。ジョブズは言っていたそうです。「コンピューターの力で、情報格差を無くし、平等な世界をつくりたい」。ジョブズにとって、MacintoshiPhoneを売るのは「手段」でしかありませんでした。彼は本質的には「革命家」だったのです。ハックルさんは、マーケティングを駆使して、「売れるものの鉱脈」をみつけだしました。それはすごいことだと思います。ですが、「世界を変えようとした人間」と「世界の流れをみて、売れるものを作ろうとした人間(あるいは、自分自身を評価してもらうことが目的だった人間)」とは「目指していたものが、根本的に違う」としか言いようがありません。

ぼくのような人間こそ「Stay hungry, Stay foolish」の体現者だと思わないの?

思いますよ。こんなに有名になったのだから、アメブロに移籍して、「有名人ブロガー枠」で、ちゃんと保護されながらブログ書けばいいのに。それができる立場にいるのに、こんなふうに話題作りをしないと不安だというのは、ものすごくhungryなのだろうな、と。

なぜぼくのことを語る時に「ベストセラー作家」とか「もしドラ」とかの枕詞をつけるの?

そのほうが、多くの人に「どういうことをした人なのか、伝わりやすいから」です。僕みたいにそういう枕詞が無い人間や、「前科何犯の」「あの事件を起こした」なんていう枕詞がつく人からすれば、「名刺代わりの仕事」があるのは、うらやましいかぎりです。

ぼくは本を出す前も出した後も変わってないのになぜ「ベストセラー作家になると偉くなって」というふうにイメージをねじ曲げようとするの?

むしろその「変わらない」ことが周囲からすれば、不思議なんでしょうね。そういうのは、「妬んでいる人たちのイヤミ」だと思って、知らんぷりできればいいんでしょうけど。

なぜ「終わってる」という言葉で全てを説明できている気になれるの?

僕はそうじゃないのでわかりませんが、そういう人は「論理的」という言葉を使っていれば、自分の拙い文章が「論理的」だと信じている人と同じ手合いなので、無視したほうがいいですよ。困ったことに、そういう人にも読んでもらえないと、270万部は売れそうもないですが。

ぼくはもう三年も前からここで「終わっている」と言われ続けていることについてはどう思うの?

三谷幸喜さんは劇団時代、自分の作品の内容としてはもう頂点を超え、下り坂だと思ったくらいから、劇団の人気がうなぎ上りになり、なかなかやめられなくなってしまったそうです。「終わっている」って新しい物好きのネットの人たちから言われるくらいじゃないと、みんなに読んでもらえる大ベストセラーなんて書けないのかもしれませんね。


グレース・ハンセンという作家の言葉に、

人生が終わることを恐れてはいけない。


人生が、いつまでもはじまらないことのほうが怖い。


(Don't be afraid your life will end; be afraid that it will never begin.)

というのがあります。大部分の人は、「はじまりすらしない」なかで、「終わっている」と言われるくらい何かができているというのは、すごいことだと思いますよ、本当に。

あるいは子供の時から「お前は絶対成功しない」と言われ続けていることについてはどう思うの?

子どもの頃から、「お前は絶対成功しない」なんて大人に言われるほど、あなたが「成功すること」を求め、周囲にアピールしていたことに僕は驚きました。僕はいままで大人に「成功しない」と言われたことはありませんが、「成功する」と言われたこともありません。大人というのは、子どもに対してそういう「予言」をすることに、かなり気を遣う生き物ですから。そういう言葉を大人に言わせてしまうくらいの溢れんばかりの「成功への渇望」が、こうしてベストセラー作家という成果になったのだなあ、と思うと、素直に感心してしまいます。

「終わり」って三年も(あるいは四十三年も)「続く」ものなの?

ですから、「終わってなどいない」のだと思います。
とりあえず、生きているかぎり、終われない。
でも、「終われない」のはキツイことだな、と感じることもあります。

ぼくのことをすごいとは思わないの?

すごいと思っていますよ、本当に。
少なくとも、すごいことをやったとは思っています。

ぼくを本物だとは思わないの?

いや、まちがいなく本物ですよ。しかし、世間(「はてなの人たち」)は病名がついていなければ、「本物」に対して、こんなに容赦なくバッシングをするものなのかと驚いています。

ぼくの本を読みもしないで批判するのは卑怯だと思わないの?

読んでます。感想も書きました(僕は読んでいない本の感想は書きません)。
僕も「本の内容を批判するのは、本を読んでから」というのがフェアだと思います。もちろん、ブログを読んで、そのブログの内容について批判するのは問題ありません。
ただ、言葉というのは、誤解され、曲解されるものだな、とブログをやっていると思い知らされます。
それが、意図的なものなのか、無意識なのかはわからないけれども。
だから、「伝わっている人のため」に書くというのも、ひとつの方法ではないでしょうか。
「わかってくれない人」「わかろうとしない人」を説得するために時間をかけるよりも、「わかってくれる人」に喜んでもらうほうが、はるかにコストパフォーマンスが優れていると思うので。


参考リンク(1):「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」感想
参考リンク(2):『もしドラ』から、ドラッカーの『マネジメント』を読んでみたら

卑怯者だと罵倒されて悔しくないの?

僕は罵倒されていないと思うので、関係ありません。
そもそも、そう言われて悔しくなるようなココロザシのある人は、あんまり卑怯なことはしないはずです。



<付記>

ベストセラー作家だけどハックルベリー(id:aureliano)さんの質問にこたえるよ! - orangestarの日記
これに関連して、↑のエントリを読めてよかったと思っています。


しかし、「愛」とかいうのも、結局のところ、「作品」と同じ、あるいはそれ以上に不確かなものだという気はするのです。


「子どもがいない」という理由で村上春樹イチロー武豊を叩く人々は醜悪です。
人は、「自分が持っていて、他人が持っていないもの」を探して、優越感にひたりたがる。
その「足りないもの」が、「自分にとってはあたりまえのもの」であればなおさら。


「『自己承認欲求』が無い(あるいは乏しい)自分のすばらしさを認めてほしい」
それって、「尊大な自己承認欲求を露わにする」のと同じくらい、あるいはそれ以上に「傲慢」ではないのかな。


ハックルさんはハックルさんが持っているもので戦わなければならないし、僕は僕が持っているもので戦わなければならない。
あるいは、戦うことそのものを放棄するか。