琥珀色の戯言

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林檎の樹の下で 〜アップルはいかにして日本に上陸したのか〜 ☆☆☆☆☆


林檎の樹の下で ~アップルはいかにして日本に上陸したのか~

林檎の樹の下で ~アップルはいかにして日本に上陸したのか~

内容紹介
アップルコンピューター初の日本市場での総代理店は繊維メーカー「東レ」だったという事実。奔放な西海岸のベンチャーと日本の重鎮企業と の間で、この青い瞳をしたパソコンをめぐり織りなされる壮絶なドラマ。


著者について
大ヒットしたゲームソフト「シーマン」の作者としても知られ、古くからのMacユーザーである斎藤由多加氏が1996年に発行した名著『林檎の樹の下で』の二回目の改訂復刊。

スティーブ・ジョブズさんが亡くなられてから、彼の偉大な功績が、さまざまな場所で、あらためて紹介されています。
そして、昨日。
ジョブズさんの自伝が、全世界同時発売。


この本、ジョブズさんの死がきっかけの「便乗復刊」だと思っていたのですが、「あとがき」を読むと、今回の訃報の前から準備されていたものなんですね。
もちろん、ジョブズさんのアップルCEO辞任、というのが、きっかけではあったのでしょうけど。


この『林檎の樹の下で』は、1977年4月16日に、ひとりの日本人ビジネスマンが、アメリカ・サンフランシスコで1台のコンピュータに魅入られる場面からはじまります。

 会場を一巡し、出入り口近くのブースにできている人だかりで男は足を止めた。大きくとられたブースに50インチほどのTVプロジェクターが置かれ、そこでカラーのブロック崩しゲームが動いている。人だかりの真ん中には、パドルを握ってブロック崩しに熱中する客が陣取っているようだ。横に置かれた本体らしき物は、キーボードと一体となった小さなベージュのプラスチックケースである。
「これはテレビゲームのデモなの?」
 見物客に得意気な表情で応対している若い説明員が近くに来たタイミングを見計らって、男は話しかけた。たどたどしい英語であったが、説明員は質問にすばやく反応して返してきた。
「いえ、これはゲーム機ではありませんよ。アップル2のデモです」
「アップル2っていうのは、このベージュの箱のこと?」
 彼はベージュの箱を指さして尋ねた。
「そう。これは我が社で開発したばかりのパーソナルコンピュータです」
「パーソナルコンピュータ?」
 顎鬚をたくわえた若い説明員がもっともらしく口にしたこの言葉に、男は思わず苦笑してしまった。つい最近まで、「コンピュータ」といえば官公庁や大学の中に置かれる大掛かりな計算機を指した。マイコンがにわかにブームになっているものの、この大胆なネーミングには、人を食ったような響きがあった。

 この日本人男性の名前は、水島敏雄さん。
 彼と彼の会社・ESDは、アップルの日本進出に重要な役割を果たすことになります。
 そして、この「顎鬚をたくわえた若い説明員」の名は、スティーブ・ジョブズ


 この「アップル2」の資料に目を通した水島さんが、「これはいいね」と思わず口にしたとき、若きジョブズは、こう言い放ったそうです。

 ”Simplicity is Ultimate Sophistication!”(シンプルであることが究極の美です)

 この出会いをきっかけに、水島さんの会社・ESDと、水島さんが以前在籍していた日本の大手繊維メーカー「東レ」は、アップル2の輸入販売を行うことになっていきます。
 しかし、アップルと日本との関係は、その初期においては、けっして幸福なものではありませんでした。
 すばらしいマシンでありながら、高価で日本語が使えないアップル製品は、日本の企業にとっては「扱いづらい」ものでした。
 さらに、NEC、シャープなどから「日本語が使えるマイコン」が比較的安価で発売されたことにより、アップルは「マニアのためのコンピュータ」を脱却することができなかったのです。


 さらに、アップル社は、過剰なノルマのわりには、漢字化をはじめとする「ローカライズ」をなかなか許そうとせず、日本市場での苦戦を担当者や「日本の商文化の異質性」のせいにして、どんどん担当者を使い捨てていきました。


 1981年7月にアップル社の日本担当として来日したビル・ションフェルドさんに、当時の関係者は、こんな不満をぶつけていたそうです。

 「宣伝予算が少ない」
 「方針が見えない」
 「サポートがない」
 「日本語ができない」
 「マニュアルがちゃち」
 「不良が多い」……

 いやほんと、製品そのものは素晴らしいもので、偉大なソフトウェア文化を持っているとしても、こんな状況で、「ただ日本に輸入さえすれば売れる。売れないのは担当者や日本での販売会社(当時は東レ)が悪い」なんて言われたら、そりゃあもう「じゃあ勝手にやってくれ!」って感じですよね。
 この本を読んでいると、(もちろんジョブズも含む)当時のアップル社の「日本軽視っぷり」に、腹が立ってきます。
 こんなに日本市場とユーザーは舐められていたのか……


 そして、「設計思想は素晴らしいが、巨大で高価で誰が使うのか見えないマシン」であるLISAの大失敗のあと、アップルが満を持して投入したのが、マッキントッシュでした。
 いまとなっては、「アップルの思想を体現した伝説のコンピュータ」とみなされているマッキントッシュですが、当時の人たちにとっては、必ずしもそうではありません。
 著者は、「リアルタイムでのマッキントッシュ現象の体験者」として、このように記しています。

 米国でのマッキントッシュの評判は、当初は大変なものとなった。パソコン雑誌のほとんどが、この「新種のパソコン」を大きく採り上げた。
 だが、時間を経るにしたがって、このマッキントッシュの評判はやはり下り坂に転じた。目新しさから転じて、その弱点が露呈しはじめたのである。
 開発言語も容量も、あるいは拡張性すらも否定した発売当初のマッキントッシュは、アップル2とは逆の存在だった。自分の書いたプログラムによってハードウェアをすべて直接コントロールしたいという敏腕プロデューサーにとって、あるいは定型業務をプログラムによって自動処理したいDOSの上級ユーザーにとってはなんとも不満なマシンであった。
 発表してから数か月を経ても、マッキントッシュ用のアプリケーションソフトは、マイクロソフトの「MSマルチプラン」と「MS−BASIC」を除いては、大したものが何も登場しなかった。ソフトがなかなか登場しないのはLISAと共通したことだったが、あらかじめビジネスソフトがバンドルされていない分、マッキントッシュはさらに分が悪い。プログラマーのためのプログラム環境が整備されていないこと、そしてそのための容量が不足していることがその主たる原因だった。
 マッキントッシュ発売当初の熱気が冷めはじめる頃には、米国のパソコン専門誌にはそれを鋭く指摘する記事が出はじめた。プログラマーからは、マックはコンピュータではないという評価も出ていた。事実マッキントッシュはプログラムマシンではなかった。独自の「一般ユーザー向けの仕様」は、ビギナーにも習熟者にも「中途半端」であることは否定できなかった。あるいは、マックペイントにしても、難解なプログラミング言語三角関数などの数式を使わなければならないコンピュータグラフィックとは違い、マウス操作ひとつで、簡単かつ迅速に思い通りの絵を描くことができる。これは従来のグラフィックソフトの常識を覆し、後のグラフィックソフトに多大なる影響を与えるものだったが、しかし差し当たって、このマックペイントを何に使うのか、明確な用途を見い出せる者は誰一人としていなかった。

 東レから、キヤノン販売へ、日本でのアップルの総販売元は移っていきます。
 しかしながら、依然として、「日本語化」「漢字への対応」に、アップルは本腰を入れようとしませんでした。
 多量にメモリを使う「漢字」は、大きな負担ではあったのですが、NECのPC98シリーズをはじめとする国産のコンピュータでは「対応」しているのですから、日本でのビジネスユースを目指すのであれば、必要最低限の機能であるはずなのに。
 当時、アップル・ジャパンの福島社長と、スティーブ・ジョブズのあいだに、こんなやりとりがあったそうです。

「漢字というのは文字種がアルファベットよりもはるかに多いので、日本市場で受け入れられるにはこういった仕様が必要と思われるのです」
 三枝が用意した模型をテーブルの上に置いて、目の前にいるジーパン姿の「会長」に、福島は日本語化に必要な仕様についての説明を始めた。アップルジャパン社長としては、この機に日本市場の要求するものをすべて説明してしまおうと、以前から三枝や西林と準備を進めていたプレゼンテーションだった。ジョブズが了解してくれれば、日本語ワープロ開発に必要な資金をアップル社から獲得できると踏んでのことである。
「まず、画数の多い漢字を表示するために、いまのマックよりも一回り大きいカラーのハイレゾディスプレイが好ましいといえます」
「そして多い文字種をロードするのに、メモリも最低2メガバイトは必要です」
「一応これらは、みなOEMで提供できるという確認を日本のメーカーから得ています」
 福島は模型を見せながら説明を長々と続けた。
「余計なことをするんじゃない」
 ジョブズが福島の言葉を遮った。
「えっ?」
「マックをデザインするのは君の仕事じゃない。君が考えているのは、日本語化じゃなく日本で『マックをつくること』だろ? そんなことはこれからも絶対にありえない」
 ジョブズは神経質そうな表情で福島を一瞥した。
「君は、我々アップルがつくった製品を日本市場で売ればいいんだ。そもそもマックが日本で売れないのは、日本語のせいなのか? 君の仕事がよくないということはないのか?」
 一方的なジョブズの言葉が切れるのを待ち切れず福島は興奮した大声で割って入った。
「何を言っているんだ。日本語の使えないコンピュータなんて、いまどきどうやったって日本じゃ売れないんだ。勘違いもいいかげんにしてくれ! ワープロ機器で開発した優秀な日本語フォントや辞書を提供してもいいとキヤノン本社までが言ってくれているんだ。ここまでの協力を取り付けるのにずいぶんと苦労したんだぞ」
「おまえはアップルの技術を日本人に売り渡す気か!」
 ジョブズが叫んだはずみでテーブルの上に置かれていた新型マックの模型が音を立ててフロアの上に落ちた。

 ひどい、ひどいよジョブズ……
「その国の言葉が使えないコンピュータ」が、そんなに売れるわけないですよね。
 しかも、その当然のアドバイスと実現のための根回しに「お前の仕事が悪い」とか「技術を日本人に売り渡す気か!」とキレまくり。
 この本には、スティーブ・ジョブズが直接出てくるエピソードはそんなに多くはないのですが、少なくとも、この本のなかで描かれている、ジョブズが一度失脚するまでのアップルは、あまりに日本という市場とユーザーに対して、傲慢だったと思います。
 多くの人が、「日本人が普通に使えるアップル製品」を目指したあげく、ボロボロになってこの戦線から離脱し、あるはは離脱させられていきました。
 
 
 後年のジョブズは「変わった」のかもしれませんが、このエピソードを読むと、ジョブズの訃報を聞いて、アップルストアに集まり、献花していた日本人って、どこまでお人よしなんだ……とか、つい考えてしまいます。
 このくらい自己主張が強い人じゃないと、あれだけの偉業を成し遂げることはできないのでしょうけど。

 
 「アップル2を最初に見いだした日本人」水島敏雄さんは、のちに、宴席でこんな言葉を口にしたそうです。

 「私はアップルの製品は愛しているが、アップルの人間は大嫌いだ」

 この本を読むと、その言葉の意味が、本当によくわかります。
 そして、水島さんのような「アップルの製品に魅せられた人たち」が、「アップルの人間の理不尽」に耐えながら、日本にこの林檎の樹の種を播いたのです。


 あの『シーマン』の斎藤由多加さんが、15年前に書かれた本なのですが、いまのように「アップルが神格化されてしまう時代の前の証言」だからこそ、この本は貴重で、また、読みごたえのあるノンフィクションになっていると思います。
 アップルとジョブズが大好きな人、そして、大嫌いな人に自信を持ってオススメできる一冊です。



スティーブ・ジョブズ I

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スティーブ・ジョブズ II

スティーブ・ジョブズ II

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